▼ 第五十三夜
「さあ、始めましょう」
告げた瑠佳は青ざめた顔でピク、と眉を吊り上げた。
「…ちょっと」
視線の先には、部屋の角で背を向け小さくなる優姫が。
「瑠佳さん…やばいかもしれないです…私不安になってきました…超不安…」
「え、やめなさい!!藍堂家のメイドもいるのよ!」
慌てる瑠佳の背後でメイドは引き気味に顔を見合わせていた。
「構わないわ、やって!」
業を煮やし瑠佳が強行突破を申し出た。
「あっ、あの、一人でできま…きゃあっ」
で、メイドにより服は脱がされ薄いワンピース一枚に。
「……」
なんだか複雑な心境。
「さ、まずは爪を出して。完璧に整えてあげる」
「あっ」
優姫の手を取った瑠佳は目を瞬かせた。
「…あら、自力のお手入れ突然上手になったのね。これならこのままで大丈夫よ」
爪から優姫の顔に顔を上げた瑠佳はすべてを理解した。
「…そう。枢様が手ずからなさったのね」
気恥ずかしそうに頬を赤らめ、気まずげに視線を下に向ける優姫。
「…なんだかいたたまれないからやめてって言ったんですけど……やめないし、あまりにも楽しそうだから、もうなに言っても無駄だなあって…しかもとても上手だし…」
その時を思い出し、率直に思った一言。
「上手である意味と目的がわからない…あの人は将来なにになりたいのでしょう」
「私はわかるわ…しょうがない方ね……」
さすがに呆れる瑠佳。
「でもまあ、仲良くてよかったわ…」
「瑠佳さん…」
安心したように口元を緩めた瑠佳を優姫は見つめる。
「…枢様がお得意な理由は、珱のことがあるからよ」
「…十六夜さん…?」
どうして珱なのかと不思議そうに優姫は瑠佳を見る。
「珱も昔はよく、枢様にしてもらっていたのよ…ああ見えてこういうの、苦手な子だから」
「そう…なんですか…」
なんだか複雑な気持ちになり、思わず視線が下がる。
「そういえば…会合はここの最上階で行われているわ」
言いながら瑠佳は上を見上げた。
「貴女は夜会で以前のお知り合い達と顔を合わせることになるわ…懐かしい顔につられて淑女の仮面を落とさないでね」
「…気をつけます」
*
「ーーーーそう、仰るとおりです。我々の体制は中枢が私≠ノ替わっただけで、我々の主義や生活が変わったわけではありません」
「そちら側もそうでしょう?」と向かい側に座る灰閻に枢は同意に近い感じに尋ねる。
「ただ一つ共通して変わったのは、相当な膿≠出せたこと」
「そっち側の膿は、今も俺たちが忙しく掃除しているんだがな」
「心外だね。こちら側だって掃除は徹底的なつもりだよ」
「徹底的だと?だとしたら綻びだらけで笑えるな」
「そうだとしたら申し訳ないな…と言いたいけど、本来吸血鬼退治は君たちの仕事のはずだよ?」
挑発めいた目を綱吉は対極に座る夜刈に向ける。
「君たちのずっと遠い先祖は吸血鬼退治のその力を手に入れるために、始祖吸血鬼を手にかけたのだから」
「先祖の罪を仕事で償えと言わんばかりだな」
「綱吉さん」
「…失言だったね…謝罪するよ」
険悪な空気の中、枢に咎めるように名を呼ばれ綱吉は表情を和らげ軽く頭を下げた。反省の色はあまり見えないが。
「…理事長。いえ、協会長」
灰閻の傍らに立っていた零からの視線を数秒受け止めていた枢は、何事もなかったかのように灰閻に視線を向けた。
「優姫は元気ですよ。あとでゆっくり会ってやってください」
「そうさせてもらうよ。さて…」
いつもの温厚な空気は消え失せていた。
「それでは今後はこれまで以上に協力し合い、我々は正当な理由なく貴方たちの存在を脅かさずーーーー」
「こちら側も人間の命を無闇に脅かす同族には永遠の眠りを。互いが存在し合うための最良の選択と信じて」
枢は続けた。
「貴方の言う共存≠ヘ本当に遠い道程です…まず我々皆が獰猛な本能にではなく理性≠ノ完璧に忠実な生き物にならなければ…」
壁際にいた珱はそっと目を伏せる。
「玖蘭代表、最後に一つ問いたい」
立ち去りかけていた枢は足を止めた。
「一年前の君のやり方は強硬すぎた。他の純血種をはじめ、吸血鬼たちは君に従ってくるかい?」
「そうですね…」
歩き出した枢は肩越しに答えた。
「その答えは、夜会の招待客の出席率次第ですね…」
珱は夜会の招待客リストを思い出す。その中には莉磨や支葵、それに一条の名前もあった。
『(…どうしてるかな…)』
協会側を一度も見ることなく、珱は会合を終えた部屋を後にした。
「枢、少し珱を借りてもいいかい?」
『お父様…?』
「どうぞ。僕はそろそろ優姫のところへ行きますから」
枢と別れて、珱は綱吉と控えの間のソファに腰を並べた。
『どうしたの?』
「…今日、何かがある」
脈絡なく告げた綱吉の言葉に、珱は理解できず目を瞬かせる。
「…絶対、何かがこの夜会で起こる」
『……直感?』
張り詰めていた綱吉の表情が一気に情けなく緩んだ。
「うん。直感…信じる信じないは気にしなくていいけど、用心していた方がいい」
『…お父様の直感は、下手な論理より信じてる。でも、それ…枢様には言わないの?』
「これは内部伝達だ。それに、その主犯が玖蘭枢かどうかも、今は分からない状況だ」
気付かされたような言葉に目を見開いていたが、すぐにそれを隠すかのように無表情になった。
『…そうだね……』
next.
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