「『セバスチャン』」
二人の言うだろう言葉を、セバスチャンは察知した。
『命令よ』
「洪水を止めろ!」
「レディ・エリザベスの方は、よろしいのですね?」
『二度も同じ命令をさせるな』
「エリザベスは僕が守る」
言いながらシエルは帽子と上着を脱ぎ去る。
「それが、僕の義務だ!」
そう言い切ったシエルにセバスチャンは笑みを浮かべた。
「御意、ご主人様」
頷くと、セバスチャンはいきなりダリアを抱き上げた。
『え!?ちょ!』
驚くダリアに構わずセバスチャンはその場からある場所に移動し始めた。
『何なの一体…!』
「荷物を減らしておくためですよ」
『荷物って』
高い一本杉のてっぺんにセバスチャンは一度着地すると、川の方を見た。
『シエル…』
ロープを伝ってシエルは川の中をボートへと向かっていた。心配そうなダリアと違い、セバスチャンはそれを見て笑うと下へと飛び降りた。
『何をするの?』
「お嬢様、しっかり私に捕まっていて下さいね」
手袋を噛んで取り払うと、パキパキ、と指を鳴らすセバスチャン。そのまま拳を握り、水門である地面に垂直に構えた。徐々にセバスチャンの意図を理解し始めたダリア。
『ちょっと…まさか!』
「はッ!」
止めるまもなく、ダリアの予感は的中し、セバスチャンはその拳を勢いよく地面に振り下ろした。その威力に地面にはヒビが入っていき、最後には耐えきれず決壊した。
『何をしているのよ!?』
勿論水は溢れ出て川は増水したのだが、すぐに本当のセバスチャンの意図をダリアは理解することに。
*
ーーーー…ル
ーーーーシエル…
濁流に流されたシエルは、自身を呼ぶ声に目を開けた。
『…よかった。目が覚めて』
「シエルーーーー!!」
最初にシエルの目に入ったのは、安堵するダリアの顔。アングルからして、膝枕でもされているようだった。そのすぐ後に、エリザベスが泣きながら抱きついてきた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいーーーーっ!私あんなこと…っ」
「エリザベス…」
呼ばれて体を離したエリザベスに、シエルは笑いかけながら頬を軽く撫でた。
「無事でよかった…」
「坊ちゃんも、ご無事で何よりです」
ダリアの隣に立っていたセバスチャンが言えば、数秒の間の後ハッとして起き上がったシエルはセバスチャンの胸倉を掴む。
「セバスチャン!何故水門を開いた。僕は洪水を止めろと命じたはずだぞ」
「ですから、ご命令通りに」
「なんだと?」
「もう洪水が起こる事はないでしょう。未来永劫」
『シエル』
呼んだダリアをシエルは見る。
『シエル達が気絶している間に、セバスチャンの指示でここにいる皆で、せき止められていた川の流れを変えたのよ。そのためには水を開放しなきゃいけなかったみたいで』
「ええ。最も安全な、本来あるべき姿へと」
「あるべき姿?」
不思議そうにするシエルに「そう」とセバスチャンは頷く。
「数千年の昔と同じ、白い鹿のいた頃と同じ姿に」
「だが、その鹿は見つからなかった」
「いいの。いつかきっと見つけるから」
『でも…』
「幻の鹿なら、あの丘に」
え?と三人はセバスチャンを見上げて立ち上がる。すぐさまシエルとエリザベスは丘の方へと走っていく。
「!これは…」
丘を超えた向こうに、それはいた。
「白い鹿だーーーーっ!」
地面のへこんだ部分にたまった水が空を反射させ、その姿は白い鹿そのものだった。
『これが、白い鹿の正体…』
「フィルフィギュア」
「ふぃるふぃぎゅあ?」
セバスチャンの言葉をなんだそれ?とバルドが発音悪く復唱した。
「白亜質の丘に刻まれた、太古の地上絵です。先程の激流で、丘の表面が洗い流され、隠れてきた絵が出て来たのです」
「…これが、伝説の真相か」
『まさか絵だったとはね…』
「すごいわセバスチャン!」
「ファントムハイヴ家の執事たる者、これ位出来なくて「菊川の、流れは絶えずして留まることなく人の住処も移ろいゆく」
「「「うわ!?」」」
セバスチャンの言葉を遮って現れたのはタナカだった。
「タナカさん!?」
「一体今までどこに!?」
「ま、まさか…!」
三人の視線はランチボックスの最後の一つに。
「あれか…!?」
真相は、闇の中。
「定例するもののない地上絵は風化し、いつしか、忘れさられたのでしょう」
きゅ、とシエルとエリザベスは手を取り合っていた。
「でも、よかった。よかったねシエル、ダリア姉様。白い鹿が見つかって」
『え?』
こちらに振り向いて笑って言ったエリザベスを不思議そうにダリアは見る。それはシエルも同じだった。
「あれは、お前が探していたものだろう?」
「あのね、シエル、ダリア姉様。今、楽しい?」
え?とエリザベスを見る。
「私は、楽しかった。シエルやダリア姉様と1日、遊べたから。あのね、シエルもダリア姉様も、二人揃って仕事だって何処かへ行っちゃうでしょう?それで、帰ってきたら沈んだ顔しちゃってるの」
「だからね」とエリザベスはシエルとダリアを見た。
「白い鹿を見た人は、一生ずっと幸せな気持ちで満たされるんですって!」
「『リジー…』」
「ふふ。やっとそう呼んでくれた」
また前を向いたエリザベスにつられ、二人もまた白い鹿を見る。
「ねぇシエル、ダリア姉様。この景色の事、忘れないで」
ふ、と柔らかく笑って、ダリアは頷いた。
『ええ』
「ありがとう、リジー」
使用人達はよかったと言わんばかりにはしゃいでいた。
「おめでとう、おめでとう」
何度も繰り返す劉は止め処なく涙を流している。
「おめでとう……ありがとう」
なぜお礼なのか。その答えは、劉の背後の足下に。そこには小切手が大量に入ったカバンが。…賭けは、劉と藍猫の二人勝ちだったのだった。
ーーーー
談笑していた二人は、ノックの音に会話をやめた。中に入ってきたセバスチャンは、円を描くように並べられた手紙が乗ったトレーをデスクに置いた。
「…またか」
「いいえ。まだまだ」
『はあ』
二人は椅子へと座る。
「招待状の他に、会見の申し込みも。あの一件以来、坊ちゃんとお嬢様の社交界での人気は鰻登りですから」
『?コッチの分けられた分は何かしら?』
「同じくあの一件以来、お嬢様の以外に優しい性格のギャップにやられたのか、様々な方から交際の申し込みが」
「『燃やせ』」
「御意」
『大体意外に優しいって何よ』
「しかし、こちらの招待状や会見の申し込みなどは燃やしませんよ」
じっと見ていた二人は力を抜く。
「『めんどくさい』」
「ああした方々にサービスして、繋がりを作っておくのも、今後のためには必要です」
言いながらセバスチャンは二人の前に新聞を置いた。
「こちらは、一般顧客へのサービスですね。これを機に、旅行事業の方へも手を広げられそうですよ」
新聞の見出しには、あの白い鹿の写真があった。
「ああ」
興味なさげにシエルは手で下がれと示す。一礼して、セバスチャンは部屋を後にした。
『…!シエル』
新聞を何気なく開いてみたダリアは、そのページをシエルに見せると、シエルもハッとそのページを見た。
「在るべき姿のままに、か」
そこには、笑顔のエリザベスが掲載されていた。
next.
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