「この近隣は、永らく水の害に悩まされてきました。皆様のお力添えにより、我がファントムハイヴ領の地図に、また一つ、新たな水門が書き加えられた事を、嬉しく思います。一族が代々力を濯いできた、治水という名の難事業に、全力で取り組んでいくつもりです」
演説を繰り広げ頭を下げたシエルに、集まった人々から拍手が送られた。それから始まったパーティーでは、様々な人々とシエルは話しっぱなしに。その間に噂好きの貴族は互いの情報を交換しあう。
「いやあ、伯爵のスピーチは、堂々としたものでしたな」
「会社経営の方も、儲かって儲かって困るという程らしいですぞ」
「なんでも」と青年は隣の貴婦人に耳打ちする。聞いた額に婦人はオーバーに目を丸くさせた。
「まあそんなに!?はしたないこと」
「お若い身で調子にのって、今に痛い目にあわないといいですが」
「あら、それを誰より望んでいらっしゃるのはどなた?」
『それは私達も知りたいですわ』
「「!?」」
突然の声にビク、と三人揃って肩を跳ねさせる。恐る恐る振り向けば、そこにいたのは今の今まで噂をしていたシエル、ダリア、セバスチャン。
「よろしければ、この若輩者にご教授頂けませんか?」
にっこりと笑ったシエルに、話していた者達はひきつりながらも笑い返す。
「わ、私達がお教え出来ることなど、何もありませんわ」
「いやあ、全く」
「そ、それよりも伯爵、ご令嬢。よい投資の話を耳にしたのですが」
「失礼、皆様」
話を振られた二人の前に出て、セバスチャンは三人へと頭を下げる。
「主人達は次の予定がありますので」
セバスチャンが言い終わる頃には、二人は背を向けさっさと歩き出していた。
「つまらん連中だ」
『同感』
「シーエールーーーー!!」
「ん?」
「ダリアねーさまーーーー!!」
『ん?』
「『わっぷ!?』」
エリザベスの声が?と前方を見ると、エリザベスが突進してきた。かと思うと、エリザベスは二人の顔に新聞を押しつけてきた。
「ねえこれ見て!」
『ちょっと!』
「おいエリザベス、これじゃ見えないだろっ」
「鹿よ!」
新聞を顔から離して言ったテンションの高いエリザベスの言葉に、二人はえ?と目を瞬かせた。
「『鹿?』」
「この近くの丘にね、世にも珍しい幻の鹿が住んでるんですって」
「世にも珍しい?」
胡散臭いな…と半信半疑の二人と違い、信じ切っているらしいテンション高潮のエリザベスは新聞を手渡す。
「幸せを呼ぶ白い鹿なのよ」
「聞いたこともないな…知ってるか?」
『いいえ』
「伝承に曰く」
ん?と三人は口を開いたセバスチャンを見上げる。
「白い色をした希少な鹿は、古来、異界よりの死者だと考えられてきました。そのメッセージを受け取った人間に、幸運をもたらすのだそうです」
「そうなの!さすがねセバスチャン!」
瞳をキラキラとさせるエリザベスにセバスチャンは軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
対して二人はふん、と顔を背ける。
「ただの御伽噺じゃないか」
『本当にいるか、怪しい話ね』
「ううん。本当の話よ、ちゃんと目撃者だっているんだから」
そう言うエリザベスの後ろで、セバスチャンは笑みを浮かべながら二人を見ていた。
「ねぇねぇシエル、ダリア姉様、探しに行きましょう!」
「だめだ。僕もダリアも忙しい」
『探したいなら他の誰かと…ん?』
新聞を返していたシエルも、エリザベスを見たダリアも、目を丸くさせた。エリザベスが不機嫌そうに涙をためてこちらを見ていたのだ。
「ひどい…うわーーーーーーーーんッ!!」
「『!!』」
人目も憚らずに大泣きしだしたエリザベス。これにはシエルもダリアも溜まったものではない。
「おい、エリザベス!」
『泣かないでよ、ちょっと!?』
「おやおや。フィアンセを泣かせてしまうとは」
「継母の虐めならぬ、義姉からの虐めですか」
『どこを見て発言していらっしゃるのですか!?』
「ヒッ。も、申し訳ありません」
「お嬢様、落ち着いて下さい」
はあ、とシエルはため息を吐いて、ダリアを止めているセバスチャンに言った。
「セバスチャン、ボートを用意しろ」
「御意」
シエルがセバスチャンにそう言うのを耳にして、ダリアは睨むのをやめて居住まいを正した。
「レディ・エリザベス」
シエルの優しい声音に呼ばれ、泣いていたエリザベスは顔を上げた。
「下流の水門へ、視察に行きたいのですが」
紳士らしく、シエルはエリザベスに手を差し出した。
「川下りにお付き合い頂けますか?」
『この土地には、幻の白い鹿が住んでいるとか。ご存知なら、弟と共にご一緒願いますわ』
「はい、勿論!喜んでお供致しますわ」
シエルと腕を組んで二人と一緒に行くエリザベス。周りからはおお、と拍手が起こっていた。
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