05


嫌な風が吹いている。
何時もより静まりかえった城の中、依の頬を撫でたのは土と血の臭いのする風。数日前から戦へ出ている父が、御館様が、武田の家臣達がずっと気にかかっていた。落ち着かないままでは弁丸を不安にさせてしまうからと、彼の世話を乳母に任せて独りで鍛錬をして気を鎮めていたのに、そんな風が吹いてしまえばその努力すらも無に還る。

「父上・・・」

胸騒ぎが、した。
風が教えてくれる真田の、武田の苦戦の報せ。居ても立ってもいられなくなって、依は己の武器を取りに走る。

「依様、」

行く手を阻むのは、お目付役の忍。もう長い付き合いの彼には、依がこれから何をするのか分かっているのだろう。鋭い目で梃子でも通さないと伝えてくるが、それに彼女も負けじと視線を尖らせる。

「才蔵、退いて」
「退きません」
「才蔵」
「否」
「退いて」
「・・・ッ、依様!!」

声を荒げて揺れる瞳を、依は真っ直ぐに見上げる。落ち着かなくてどうしようもなくて、心配で居ても立っても居られなくて此処まで駆けて来たのに、才蔵と睨み合っているうちに酷く心が凪いでいた。
そして、それでもこれは必要な事だと決意を固める。

「才蔵、私は冷静です。大丈夫。・・・心配なら、貴方もついてきなさい」
「っ、」

彼の腕を掴み、塞がれていた自室の中へ押し入った。昌幸が依の為に作らせた、仕込み刀入りの番傘と鉄扇。スルリとそれらを撫でて鉄扇を帯の間へ、番傘を左手へと持つと、そのまま依は才蔵の背に腕を回した。

「依様ッ、!!」
「黙って」

瞳を閉じて、身体の周りを流れる風、庭の樹々を撫でる風、空の高いところ・・・雲を流す風、そして、腕の中の才蔵の婆娑羅に集中する。集まってくる風に、力に、強く強く、才蔵の背を掴んだ。

ブワッ

「ッッッ!!!」

カッ!!と開いた依の瞳は黄金色に輝き、普段よりも強い突風は竜巻のようになって二人の身体を持ち上げた。

「いくよ、才蔵」

途轍もない力の大きさに、才蔵は主の婆娑羅の真髄を垣間見た。





戦場に、突風が吹き荒れた。

「なっ、!!」
「うわぁっ?!」
「ッは、!!」

突然の強風に足下を掬われ、飛ばされ、戦いの最前線には人の輪の空洞が出来る。そこにふわりと、真っ赤な番傘を広げて降り立ったのは、深い紅色の袴を纏った人物。

「「「?!?!」」」

驚く両軍に言葉を発せられる前に、その人物は両の手に構えた鉄扇で強烈な風を巻き起こした。

「ッッッ?!」
「ぐあっ、」
「あ"あ"ぁ!!!」

今川の兵はその風に吹き飛ばされ、ある者は地に身体を強かに打ち付けて気絶し、ある者は味方の兵にぶつかって諸共倒れ、またある者は落ちていた槍や刀や矢にその身体を突き刺した。
息を呑む両軍に、彼女は口の端を僅かに持ち上げる。そしてまた鉄扇を構えると、舞うように敵兵を討ち倒してゆく。

「神風だ、」

呆然と立ち竦んでいた、武田の兵は呟いた。

「・・・神風だッッッ!!!俺達には、神風が吹いている!!!」

うおおぉおぉぉぉ!!!

劣勢の中、士気を失いつつあった武田軍はその一声に歓喜の雄叫びを上げる。疲れた身体を奮い立たせ、今一度と今川軍へ挑んでいくその最前線には、黄金色の瞳で血を浴びる戦場には見慣れぬ人物がひとり、軍を率いるようにして舞っていた。





「昌幸様、」
「才蔵ッ!!!何故、依がいるッ?!」

本陣手前を護っていた昌幸の下へ、才蔵が降り立つ。

「申し訳ありません、お止めしても止まらず」
「ッ!!!」

先程までの劣勢を覆した彼女の存在は、昌幸の視界にも入っていた。空から、戦場には不釣り合いな影。自分が与えた筈の傘。

何故、何故、何故、

女子の身である彼女が、そんなことをする事は無いのに。誰かの命を奪った証の紅を浴びて、その身を染める事は無いのに。

「ッ、」
「・・・昌幸よ」
「御館様?!」

唇を噛み締める昌幸に、威厳のある低音が呼び掛ける。

「これも、依が決めたこと。己の及ばずを責めるでない」
「ですがッ!!!俺が、あいつに剣をッ!!」
「昌幸!!!」
「っ、」
「それも、奴が望んだ事であろう。聡い子よ、覚悟は疾うに出来ておろうて」

それでも、それでも・・・彼女にこんな事をさせたくなかったと思うのは、己の弱さ故か。

「才蔵ッ!!依の背を護れ!!傷一つ付けるなッ!!」
「御意」





もう、どれ程斬っただろうか。
刀を、鉄扇を奮い、婆娑羅で風を鋭くさせて敵軍を退ける。そんな自分を依は少し離れたところから見ているような、そんな意識で動かしていた。
護る為には、奪わなければならない。そんな覚悟をしていたつもりだったのに、心は自らを護る為に意識の深いところに彼女を押し込めた。

目が、熱い。
風を集め、過去最高に自らの婆娑羅に集中した時から、両の目に力が宿ったのが分かっていた。滾る力は、全て、護る為に奮うもの。敵兵がなるべく武田の兵と交わらぬよう、彼女は刀を振るい続けた。

気が付くと、辺りに立っているのは己のみとなっていた。
遠くには退陣する今川の幟が見え、終わったのだ・・・と理解した瞬間、両の目から、身体から力が抜けた。

「ッ!!依様ッ!!!」

地面に崩れ落ちる前に、見知った体温に抱き留められる。酷く険しい顔をした忍に、依は力の入らない笑みを向けた。

「才蔵・・・怪我は、?」
「ッ、しておりません!!」
「そう、よかった・・・」

言い終わるか終わらないかの所で、ぎゅっと彼の腕に力が込められる。

「馬鹿だ・・・貴女は馬鹿だ・・・ッ、」
「ふふ・・・ごめんね、才蔵」
「・・・ゆっくり、お休みなさいませ」
「ん、」

才蔵に優しく抱き抱えられ、依は意識を手放した。



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