06

目が覚めると、すぐ横には弁丸が丸まっていた。
泣き疲れて眠ってしまったらしい彼を布団の中に引き込み、涙のあとの残る頬を擦る。置いて行かれて、呼んでも何処にも姉が居ずに、泣き叫んで探しただろうことが容易に想像出来て申し訳ない事をしたと眠る愛しい弟の髪を梳いた。

(話を、しなければ)

弁丸も気にかかるが、今は何より父と話をしなければならなかった。眠る幼い弟の額に口付けると、依は彼を起こさないようにそっと部屋を後にした。





「唐突じゃのう昌幸・・・依の意見も、聞かねばならんだろう」
「いえ、必要ありません。もう決めた事ですので」
「昌幸、」
「失礼致します」
「依・・・、」

父と信玄の話を遮って、無礼を承知で入室すれば此方を瞳を見開いて見つめる父。信玄は驚いてはいるが、依の登場に分かっていたようにホッと胸を撫で下ろした。

「依、少し下がっていろ」
「いいえ、父上。私を戦から遠ざけたいとお考えなのでしょうが、依はまだ何処にも嫁ぐ気はありません。今後、戦へも出ます。もう決めた事です故、止めても聞きませぬ」

聞こえていた話に口を出すように普段と違う、厳しい顔をした父の前に進み出て静かにそう告げると、相対した父は声を荒げた。

「依ッ!!!」
「・・・せっかく婆娑羅を持って生まれてきたのです。どうせなら有効に、戦力として私をお使いなさいませ。依はこれからも精進致しますし、御館様が天下を取られるその日まで、真田を、武田を、護る為にこの力を奮いとう御座います」

依の瞳は静かに父を見つめる。
気が立ったままだった昌幸も、彼女の静かな語りに落ち着きをみせるが、言い分は分かる故に先程とは反対に段々と弱々しくなってゆく。

「だが、お前は女子だろう・・・」

半分泣き出してしまいそうな声は、大切な娘を戦に出すのは、という優しき父の心根故だと依にも分かる。しかし、今ばかりはそれに甘んじる訳にはいかない。

「嫁き遅れると申されますか。ならば、御館様の天下にて、もし私の嫁ぎ先が見つからなかった場合には、弁丸のやや子の乳母にでもなりましょう。依は真田を出とうありませんし、その方が良いかもしれませぬ。
・・・それとも父上は、依をお傍に置いておくのは、もうお嫌ですか」

先程までの力強い語りから、一気に心細い声になる。父が自分を疎んで傍に置きたくないと、外へ出したいと言うのであれば、それは悲しいけれど受け入れる。・・・そんなことは無いだろうと思っても、声は悲愴を帯びてしまうものだった。

「ッ!!!俺だって、お前を嫁になんぞ出しとうないわ!!」

そんなしおらしく悲しげな依の様子に、バッと顔を上げて否定する昌幸。力強く慌てたような声色に、依は安心してそれは綺麗な笑みを浮かべた。

「では、それで良いではありませんか。それに本当に嫁ぐ宛てが無ければ才蔵が貰ってくれます故」

先のしおらしさは何処へやら、ニコニコと喰えない笑みを浮かべて父を言い包めに入る依に、強かなことよ信玄はにやにやと口の端を緩めていたのだが。
彼女の落とした爆弾には流石に瞳を見開いた。

「「なっ!!」」
「依様ッ!!!お戯れも程々になさいませ!!」

天井裏で事の成り行きを傍観していた才蔵も、突然己に降り掛かった火の粉に慌てて姿を現した。

「あら才蔵、聞いていたのですか」

すっとぼける主を睨みつつ、怒りを顕にする昌幸に弁明する。

「才蔵、どういうことだッ!!!」
「まっ、昌幸様!!これは依様のご冗談に御座います!!私にとって依様は主!!それ以上でも以下でも御座いませぬ!!お静まり下さいませ!!!」
「・・・ふふふ」

たまったもんじゃないと慌てる才蔵に怒る昌幸、それを眺めて楽しそうに笑う依・・・酷くカオスな状況に、信玄は声を大にして笑った。

「ハッハッハッ。昌幸、智将と呼ばれるお主も娘には敵わぬか。依よ、その心意気や良し。非常に頼もしく思うぞ」
「お、御館様ッ!!まだ俺は認めておりませぬッ」
「有り難う御座います。この依、これまで以上に鍛錬に励み、御館様のお役に立てるよう精進致しまする」

信玄からの了承の言葉に、依は深々と頭を下げた。護りたいものを護る為に、この持って生まれた力を使うと決意を改める。
未だ納得いかず、という顔で渋る父はこの際無視だと顔を背けていると、パタパタと小さな足音と共に泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

「あねうえ"ぇえぇぇえ"ー!!あねう"ぇぇぇえ"ぇぇーッ!!」
「弁っ!!」

依が焦ったように立ち上がり、広間の襖を開けると駆けて来た弁丸が彼女の足にしがみ付いた。

「うっ、あ、あねっ、あねうえ"ぇ
っ、」
「嗚呼・・・弁丸、すみません。姉はここにおりますよ。ほら、」
「うっ、うあ"ぁぁあ"ぁん!!!」

ぎゅっとしがみ付く弁丸を抱き上げて顔を見せれば、安心したのかさらに大声を上げて号泣する弁丸に依も困り顔になっていた。離れた事が悪かったと謝りながら宥めていれば、また信玄の笑い声が背中にかかる。

「昌幸よ、依を懐柔したくばまずは弁丸からするがよいわ。依も弟には頭が上がらぬようじゃ」
「む・・・御館様、そんなこと父上にお教えくださいますな。でも父上、私を外へ出せばこの弁丸がどうなるかよくお分かりになりましたでしょう?まだまだ手のかかる、可愛い弁丸から離れることなど考えられませぬ」
「・・・ああ、分かっている。だが依よ、戦に出るのは最低限だ」
「はい、・・・有り難う御座います、父上」

愚図る弁丸を抱えたまま頭を下げると、依は自室へと戻っていった。

「強い女子になったものじゃて。心も、身体ものう」
「そうですね・・・もう依には敵いませんな、」
「ハッハッハッ、女子とはそういうものじゃて!」



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