04

奥州の冬は厳しいと言われる。
日ノ本の中でも北に位置し、冷え込みも激しく、海からは冷たい風が吹き込んでくる。住む者には厳しい環境でもあるけれど、それを耐えた分、春には雪解けと共に豊かな緑が顔を出す。北国だからこその、美しさ。厳しい自然の際立ちを、見に行くのが依は好きなのだ。

初雪の頃と、雪の盛りの頃。それから夏の初め。彼女の好きな奥州の季節は幾つもある。
特に冬。甲斐の冬もいいけれど、厳しく凍てつく程の寒さと言うのも、冬らしくて素晴らしい。色んな所を巡るようになって見つけた、依の四季の楽しみ方だった。





身長よりも高い積雪、奥州の冬は厳しさ故に山に入る者も少なく流通も殆ど途絶えるが、それでも人がやっと通れる程の厳しい道のりを通って、依には見たいものがあった。

山間の、岩がゴツゴツと飛び出しているような渓流の奥。初夏にはキラキラとした光が木立の間から零れ落ちて輝く滝壺が、この季節には凍りついてその時を止めるところ。色素の薄い、高く晴れ渡る空に聳える神殿のようなその場所。とめどなく流れる時をピタリと堰き止めてしまったような神秘的な光景に、ほぅっ・・・と熱い息を吐き出した。

「、」

恍惚と自然の神秘に浸っていた彼女の頬を、するりと風が撫でた。その不穏な響きに眉根を寄せると、依は不機嫌そうに視線を走らせる。

「どこの不届き者でしょう」

停止した時間に無神経に差し込まれたその風に、チリリと怒りを燻らせる。

(…3人、と・・・ひとり。…こども?)

不届き者3名に追われているらしいこどもの気配に、はあ、と溜息を吐いて彼女はその場を後にした。





ヒュオッ

突風が真横を吹き抜ける。

ガッ、ガシャンッ
ゴ、ドサッ

「?!」

懸命に走る中、聞こえるはずの無い音に思わず後ろを振り向けば、追ってきていたはずの3人の忍が地に臥せっていた。そして、そのすぐ傍にスッと立つのは真っ赤な傘を持った少女。

「・・・っ、」

どういうことだ、と考える前に身体が後ずさった。此奴はヤバイ、さっきの奴らよりももっと、手に負えないような相手だと本能が告げる。
逃げなければ、
そう思っても、身体は思うようには動かない。冷や汗が流れるのを自覚した瞬間、目の前の少女はこちらへと振り向いた。

「・・・大丈夫ですか?」
「え、」

此方を振り向いたその少女は、苦笑いを浮かべながら首を傾けて。その微笑みに毒気が皆無に見えてしまって、開いた口から音が漏れた。

「…怖がらせてしまいましたか」
「っ、」

困ったような顔はそのままに、此方を見つめたまま歩んで来る彼女から目を逸らせない。危ないと警鐘を鳴らす己と、何故か大丈夫だと言う己が格闘していて、身体は一歩も動かなかった。

「もう、大丈夫ですよ」

そう言って彼女は俺の頭をポンポン、と撫でた。

「…っ、」

随分と久しぶりに、誰かに触れられた気がした。その手つきが優しすぎて、瞳が潤む。

「ああ・・・泣かないで、」

自分の前にしゃがみ込んで覗き込んでくるその少女から顔を背ける。この醜い顔を見せたら、この優しい手は母と同じように手のひらを返して離れていくのだろうという恐怖が駆け巡った。

「みっ、見るな!!」
「?」

喚いて顔を俯けていると、戸惑って止まった己の頬に触れようとしていた指先は、そのまま首の後ろへ回った。腕を引かれて、身体が温もりに包まれる。

「こうしたら、見えないから」
「っ、!!」

ふわりと香る優しい香りに、彼女の肩に顔を埋めるように頭を押し付けられたのだと分かる。

「大丈夫、大丈夫。君が何を恐れているのかは分かりませんが、今ここに、怖いものは何もありませんよ」

だから、泣いてしまいなさい。
そんな彼女の一言に、彼はその優しい腕の中で泣き叫んだ。嗚咽も涙も、彼女の胸と、それから降り積もった雪が全部ぜんぶ、吸い取ってくれた。





「落ち着きましたか?」
「うん、」

よかった、とふんわりと微笑んで、彼女はまた優しく頭を撫でる。

「お家はどこですか?送って行きますよ」
「・・・」

まだ帰りたくない、帰ったって辛いだけだと思って顔を伏せた。

「んー・・・じゃあ、お名前は?」
「・・・梵」
「私は依と言います。・・・梵、貴方に私の秘密の場所を見せてあげましょう」

そう言って笑った彼女に抱き上げられて、二人の身体はふわりと風にのる。

「?!」
「誰かと一緒に飛ぶのは初めてですが・・・なんとかなるで、しょうっ!」
「?!」

真っ赤な傘を斜めに薙ぐようにすると、ビュオッと突風が吹いて景色が変わった。

「梵、着きましたよ・・・っと、」
「・・・おまえっ!!婆娑羅者なのか?!」
「へ、?はい、そうですよ」
「忍なのか?でも父上がそんな者を雇ったとは聞いてないし・・・」
「梵?何をブツブツ言っているんです?」

首を傾ける彼女の顔は、彼の目の前にあった。抱き上げられたままだった事に気がついて慌てて距離をとろうとするも、その前に彼女の手が梵天丸の右目に触れた。

「っ、」

ゴクリと息を呑むも、彼女は包帯の上から優しく撫でて、悲しそうに笑ってその手を頬に添えるだけだった。

「これについては触れられたくないのでしょう。何も聞きませんよ」
「…」
「でも、これがあるとか、無いとか、私が梵に触れる事には関係が無いので・・・身構えられるのは悲しいです。だから、慣れてください。それで、笑ってくれると嬉しいです」

慈しむような微笑みを見たのは、もうどれくらいぶりだろうか。彼女の微笑みは甘い。自分の頬を包む手は、限りなく優しかった。むにむにと頬を摘まむ手が擽ったい。

「ふふふ、梵は可愛いですね」
「おれは男だっ!」
「わかっていますよ。ほら梵、見てください」

そう言って抱き上げられたまま、彼女の身体の向きが変えられる。視界に飛び込んできたのは、浪々と聳え立つ、氷の城だった。

「…美しいでしょう?」
「・・・」

暫く、声を出すのも忘れて魅入っていた梵天丸に依が話しかける。こくりと頷くだけで、彼はその輝きを見つめ続けた。





どれくらい見ていただろうか。真冬だと言うことも忘れてしまう程に魅入っていた為、身体がすっかり冷えてしまって震えた依は腕の中の梵天丸を抱え直すと、帰りましょうか、とその美しいものに背を向けた。

「…」

黙ったままでいる梵天丸に、彼女は困ったように笑うだけ。ずっとしがみ付いたままで重いはずなのに、嫌な顔ひとつせずに抱いてくれている。

「とりあえず森を抜けましょうね」
「うん、」

彼女の足取りはとてもゆっくりだった。自分は旅をしていること、その季節の際立つ時に、然るべく場所を訪れる事が好きなこと、そうしてふらりと歩いている時にあの場所を見つけたこと。風が季節を教えてくれること、彼らはとても優しいということ・・・彼女は色んな話を聞かせてくれた。
彼は彼女を離さないように着物の端を握りしめながらその話に頷くだけだったけれど、彼女はずっと楽しそうに話を続ける。森を抜けても民家に出てもそれは続いて、まるで彼女の足取りは鈍らずに、彼の“家”が何処だか分かっているように城の前まで運ばれた。

「さあ、お家に着きましたよ」
「・・・」

なんで城の者だと分かったのだとか、そんな事はもうどうでも良かった。それでも彼女と離れたくなくて、その首にギュッと抱きついた。

「困った子ですね、梵」

そう言いながらも、依が梵天丸の頭を撫でる手は、やはり優しい。

「・・・梵。残念ですが、私も帰らないといけないところがあります」
「っ、」

困らせては、いけない。
この優しい手にまで振り払われたら、自分はもう立ち上がれないと梵天丸は思った。身体をそっと離すと、彼女は彼を地面に下ろした。

「そんな顔をしないで、梵。大丈夫、また会いに来ます」
「っ!!」

俯いて瞳にせり上ってくる涙をやり過ごしていると、依は梵天丸の頬を両手で包んで顔を上げさせ、視線を合わせるようにしてそう言った。

「大丈夫、大丈夫。次に来た時は、その可愛いお顔で笑ってくださいね」

ちゅっ、と音がして、額に口付けられたのが分かって、顔に熱が上る。

「なっ、!
「梵天丸様!!」
「じゃあ、また」

驚いて咎めようとした時、城の方から青年が彼の名を呼んだ。それと同時に彼女の手はスルリと離れて、ヒュオッと吹いた風と共に消えた。

「依っ!!」

伸ばした手は、風を掴むことは出来ない。

「・・・」
「梵天丸様!!何処へ行かれていたのか!!」

何も掴めなかった手のひらを、梵天丸は黙って見つめていた。

(また、って言ってた。また会いに来るって)
「梵天丸様!!!」
「っ、ああ、散歩だ」
「貴方はご自分の立場と言うものを・・・!!」

ガミガミと説教する青年の声も右から左に流れてしまうほどに、梵天丸の頭の中は彼女でいっぱいだった。



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