いつも傍にいる

中学の最後の大会の決勝戦、第1セット、相手のチームのセットポイント。トスを上げた先、そこに誰もいなかった。
ボールは何にも触れずに床に落ちて、相手チームに得点の入る笛の音がした。何が起きているのか直ぐに理解が出来なくて、転がるボールを呆然と眺めていた。

「影山・・・お前、もうベンチ下がれ」

監督にそう言われても、なお、何故自分が下げられるのか、理解できなかった  したくなかった。
あれは拒絶だった。お前にはもうついて行かないと、あいつらが俺に言った一球だった。

試合には負けた。県予選の決勝戦、俺は全国に行く事ができなかった。気がついたら家に帰っていて、自分の部屋でカバンをどさりと床に下ろしたところだった。母親が珍しく機嫌の悪い姉に怒鳴っている声が、背にした部屋の扉越しに聞こえた。

「三春ッ!!アンタ、監督の先生に掴みかかるなんて!!」
「あんなの先生じゃない!ここまで何もせずに放置してたあの人が教師だなんて私は認めない!!」
「仕方がない事もあるでしょう、もう抑えなさい」
「だってッ・・・!!」
「三春っ!」

悔しそうな声、それから、当たり散らすように階段を上がって、乱暴に扉を閉めて、そして、すすり泣く声。

「・・・なんで、三春が泣いてんだ」

そう、言葉に出すと、自分の目からもボロボロと、涙が溢れた。

嗚呼、負けたのか  しかも、コートから下げられて。

そう実感して、もう動けなくなった。もっと速く、高く、俺の言う通りに動けと言っていた、チームに要らないのは俺の方だった。



珍しく夕食もとらずに部屋に閉じ籠もっていて、そのまま眠ってしまっていたようで、目を覚ましたのは夜中だった。
目蓋が張り付いているのを無理やり開く。重たい目は熱を持っているようで、泣くと目って腫れるのかと当たり前の事を思う。部屋の隅でうずくまっていた身体にはタオルケットがかけられていた。すぐ隣にはしばらくまともな会話もした覚えのなかった姉が、何も掛けずに床に丸まっていて、机の上にはおにぎりが乗った皿が置いてあった。

「・・・風邪ひくだろ、」

自分の身体に掛けられているタオルケットを広げて姉に掛ける。姉の目元も自分と同じように腫れていて、自分が泣かせてしまったのだな、と理解した。立ち上がって、ラップをめくっておにぎりを齧る。

  姉は、"バレーボール選手・影山飛雄"のファン第1号である。

飛雄には姉が2人いる。
上の姉が祖父に教えられてやっていたバレーボールは、幼い頃から常に飛雄の身近にあった。祖父と上の姉の練習について行って、飛雄は物心がつく前からボールに触っていたらしい。下の姉は、そんな飛雄をすごいすごいと褒めて、いつも傍で見ていた。本人には恐ろしいほど運動のセンスがなく、子供の頃から上の姉が活躍するのを楽しそうに見ている子であったらしい。
小学2年生の頃には、上の姉と同じクラブチームに入った。8つ年上の姉には何もかもが敵わなくて、悔しくて、いつもその背を追いかけていた。ひたすらに夢中で、夢中で、ただ我武者羅に走ってきた。その頃にはもう、下の姉は練習には時折ついて来るだけになっていて、家で仕事で遅い両親に代わり、拙いながらに家事を担っていた。それが自分のやりたいことなのだと、飛雄や上の姉が活躍するのを支えながら、練習や試合を見にくれば、いつもきらきらとした顔でこちらを見つめて、そんな下の姉の顔を見るのが、好きだった。

きっと、普通では熟さなければいけないものをいくつか犠牲にした。真っ直ぐに走る事が、簡単な事でないのは何となく分かっていた。普通の枠組みから外れた何かをする為には、それ相応の力が必要なのだと。それを負担してくれていたのは、下の姉であったのだと思う。

中学2年生の時、祖父が亡くなった。
飛雄にバレーボールを教えてくれて、いつも手を引いてくれて、道を示してくれた、かけがえのない人だった。それからは、今まで以上に我武者羅に、周りのことに目もくれず、走り続けた  その先が、今日だ。

「っ、」

見なければならないものを、いくつ見て見ぬふりをしてきたのだろうか。下の姉が何も言わずに支え続けていてくれたことも、チームメイトが一人もついて来ていないことも  けれどもう、走るのを止める事はできないから。

「・・・ここから、どうするかだ」

  いつまでも、膝を付いている訳にはいかない。

おにぎりを食べた指先をティッシュで適当に拭うと、タオルケットごと姉を抱え上げて、ベッドの上に下ろした。もう身長もとうに超えてしまったその身体の軽さと小ささに、改めて驚かされる。こんな小さな身で、姉は飛雄をずっとずっと守ってくれている。
姉が試合を見て喜ぶ顔を思い出して、それを、もうどれくらい見ていないかと振り返る。飛雄が無茶苦茶に走ってきたこの1年弱、姉のあの本当に楽しそうな顔を見れていない。そもそも、姉が見に来ていたことすら曖昧だった。けれど、きっといつも来ていたのであろうことは、分かる。

「ごめん、三春」

顔にかかる髪を払い、目の下をなぞると、ふるりと睫毛が揺れて、目蓋が持ち上がった。

「あ・・・飛雄、おきたの?」
「おう」
「お腹すいてない?おにぎり持ってきたから、」
「もう食べた」
「そっか・・・寝ちゃってた?私」
「鼾かいてた」
「えっ、うそ!!」
「ウソだけど」

まだ眠そうに目を擦る姉の隣に、ぼすりと身体を横たえ、姉の顔をジッと見た。笑っていて欲しいと、素直に思った。できる事なら、すぐ隣で。

「飛雄、ここでねるの?」
「ここ俺のベッドだし」
「えっ、ごめん」
「いいけど」

慌てて起き上がろうとするのを肩を押さえて止めると、姉はパチパチと瞳を瞬かせ、それから瞳を細めて、ふふ、と笑う。飛雄の好きな、やわらかな微笑みだった。

「今日、一緒に寝てもいい?」
「・・・仕方ねぇな」

久しぶりに話したことも、笑顔を見れたことも、全部ひっくるめて、ぐっとその身体を引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。ここからなんでもできる、大丈夫だ  そう思える存在が、まだここにある。それを確かめるように、離さないように、深く息を吸い込んだ。



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