紀州の薬師・後

半兵衛は、それとなく三春を探すことにした。でもそれは内密に、秀吉の夢の邪魔にならない範囲で。
彼女がなぜ豊臣に潜入したのか、なぜ己の病を治したのか、なぜ何も得ることなく居なくなったのか、知りたかった。何度考えても、彼女が半兵衛の病を治す必要が無い。他国の忍であったなら、豊臣の軍師の半兵衛が不治の病に侵されているなんて情報、美味しすぎる筈だった。半兵衛を邪魔だと思う者は数多あれど、その命を永らえさせようなんて奇特な者は豊臣に関わる連中だけだろう。

「やれやれ、あれだけ気の利く輩が居なくなってしまうと一気に事が上手くいかなくなったような気がするよナァ」
「大谷君か・・・」

夜分に己の執務室にて、政務を片付けながらはぁ、と溢れた溜息を拾われる。この男は嫌味たらしいのが常であり、それには慣れているのだけれど。彼女のことを言われるのは、今は些か気分を害する。

「最近、賢人殿の護衛を倒す程のくのいちに浸入されたとか。本当なら中々の腕よナ」
「・・・何が言いたいんだい、」

くつくつと喉を震わせて、さも愉快だと言いたげに弧を描く白黒の瞳を睨みつける。

「我はな、そのような腕の立つくのいちを余り知らなんだ。越後のつるぎでないのは自明。ならば残るは、」
「・・・」
「こんな話を、耳にしたことがあるワ」

吉継が語ったのは、とある国主が以前雇っていたという忍の話。婆娑羅持ちの上に毒や薬に長けており、毒見役だけでなく医術を施す者として、また戦場においては戦力にもなるとして何でも出来ると重宝して使っていたそうな。けれどその忍は謂わゆる傭兵忍で、一定の主を持とうとしない。長い間雇い続けることは、不可能だったという。

「いたく気に入りだったが、手放さざるを得なかったそうよ。だがそこの国主は些か我儘でな」

国主は忍に年に一度、どこへ雇われていても顔を見せに来ることを約束させたそうな。それほど、その忍を気に入っていたらしい。薬のことについては特に右に出る者のいないそれが、己が身こそが毒なのだと言っても、譲らなかったほどに。

「その身が毒・・・?」
「その忍はな、毒をその身に飼うほどに薬と毒に浸かっていたのよ。返り血を浴びた相手が死に至るというのが、売りであったとか」

そしてその忍は、伊賀の者だそうな。

「此度の戦は、紀伊の方よな・・・雑賀もおれば、伊賀もある―賢人殿が何をお考えなのか我には全く分からぬナァ」
「次が紀州になったのは、偶々だよ―それにその忍が、三春だとは限らない」
「はて。我は三春のことなど一度も話した覚えは無いナァ、」
「・・・」

楽しげに去って行く吉継の背を、睨みつけながら半兵衛はグッと拳を握り締めた。





紀州征伐に於いて、三成はやはりいつもの如く駆け回っていた。紀伊は寺社勢力が強く、それらが武装して何処から出てくるのか容易に想定できないような場所だった為、真っ向から強い兵で固めるという豊臣の布陣よりも三成が走った方が簡単だったのだ。山の中の小さな小屋でも、もしかしたら敵が潜んでいるかもしれない。三成は紀伊の山の中、至る所にくまなく隊列を差し向けていた。

丁度、その日の行軍の夕刻に差し掛かりそうな頃。そろそろかと野営場所を探していた時、少し拓けた場所に出てハッと神経を研ぎ澄ます。僅かだが、人の気配がする。

「小屋か・・・」

気配を追ってみると、その拓けた場所の奥にあったのは小さな山小屋であった。

(何故、こんなにも気配が弱い・・・?)

相当の手練れが、隠れているのだろうか。見過ごすことは出来ない、夜襲を仕掛けられでもしたら堪らないと、その小屋を改めようと近づき扉に手を掛けると即座に背後に気配が降り立ち、三成は向けられた刃を弾き返した。

「ッッ、」

やはり、手練れか。そう判断して瞳を細めた三成の目に映ったのは、見覚えのある女の姿で、

「みはる、殿・・・?」
「三成様、」

呆然と、お互い、同じような表情をしていただろう。この場に相手が居ることを、どうにも信じられなくて。

「なぜ、貴女が此処に、」

三成は、三春のその後を知らなかった。いつの間にやら半兵衛の傍から居なくなった彼女について、尋ねて返ってきた答えは田舎へ帰ったというもので。その田舎が、まさかこの紀州であったというのか。いや、けれど、先程の気配の消し方に、攻撃の速度・・・手練れだと、判断したのは己自身である。一体なぜ、彼女は一体?ぐるぐると回る思考は、三成の一番嫌いな答えを叩き出す。

「貴様―半兵衛様を、裏切ったのかッッ」

三成の頭の叩き出した結論から出た憎々しげな台詞に、彼女は一瞬、泣きそうに表情を歪めた。

「・・・貴方に殺されるというのも、また一興かもしれませんね」

小さく呟いた声は、風に攫われて消える。
駆け出す三成の刃を受け止め、流し、三春も対抗して婆娑羅をつかう。相対する闇と闇。彼女のその力に、三成は瞳を見開いて奥歯を噛み締める。

「貴様ッ、忍だったのかッッ」

素早い動きに、独特の小振りな得物。その身体の使い方から、彼女がそれであると容易に分かる。最初から、裏切られていたのだろうか。ならば何故、彼女はあんなに優しいものばかりを与えてきたのか―三成の刃がブレる。
苦いものを嫌々噛み砕くような、そんな戦い。それに終止符を打ったのは、突然瞳を見開いた彼女の方だった。

「ッッあ、」

ズザッと距離を取り、胸を押さえて苦しげに呻く彼女に思わず攻撃の手を止める。続いて口元を押さえ、咳き込み血の塊を吐き出したのを見て三成は今度こそ瞳を見開いた。ゲホゲホと咳き込み続ける彼女を見て、どうしても足が一歩前に出る。

「近づくなッッッ!!」

乱雑な言葉に、ハッと我にかえる。苦しげな様子の彼女は、もう地に膝をついてしまっていた。彼女は説明するように、苦しげながら言葉を連ねた。

「・・・私の血は、毒であり、そして今は、病に侵されています。だから、近寄らないで」
「病・・・だと、?」

三成は、彼女のその苦しみ方・・・咳き込んで血を吐き出す、それを見たことがあった。他でもない、己が尊敬してやまない賢人が、隠れるように一人、それを処理するのを陰から見ていた事がある。それが、何故彼女に?いつの間にか完治をしたのか、半兵衛は頗る健康そうになった。それは彼女が居た頃からで・・・まさか、彼女が何かしたというのだろうか?半兵衛の病を、

「それは・・・半兵衛様のものか」

そう、口から溢れた言葉に彼女は驚愕を浮かべて三成を見やる。

「はは・・・驚いた。知ってたんですか、彼の病、」
「一度・・・血を吐き出されているのを、見た事がある」
「そうですか・・・」

それでも、感染るかもしれないからと半兵衛から離れようという気は起きなかった。そして結局、誰にも感染さないまま、彼は病に打ち勝った。そう、思っていた。

「・・・間抜けな忍が、潜り込んだ先で病を貰って泣く泣く帰って来たんです。・・・ただ、それだけ」

そう告げる、彼女の表情が切なすぎて三成は眉根を寄せた。己を蔑むようなそれは、彼女には似合わないと思ったのだ。

「本当のことを言え」
「・・・ふふ。三成様には、敵いませんね」

あの頃、彼女が豊臣にいた頃のような、柔らかい微笑み。口元には紅が滲んではいたが・・・それを見せて、彼女はとうとうその身を地面に横たえた。

「私の婆娑羅は、他人から毒を吸い出せる能力があるんです。この身体に毒を溜め込んだ私だから出来る技ですが・・・それを少し応用して、病を」
「・・・半兵衛様から、吸い出したというのか、」
「だいぶ、時間がかかってしまいましたが・・・間に合って良かった」

くすくすと、どうしてだか笑みさえ溢しながら話す彼女に、三成は愕然とした。確かに、彼女は半兵衛を裏切ったかもしれない。けれど、それは、

「私の生命は、もともとあと少ししか無かったんです。だから、最後の大仕事―あのひとの重荷を一つ、失くしてあげたかった」
「何故、そこまで・・・」
「はじめて彼を見た時から、囚われていたんです。こんな忍が、そんな感情を持つなんて失笑ものですが―だからこの身があと暫くだと知った時から、出来ることなら彼の為に何かと、」

ただ、傍に居られるだけで幸せだった。半兵衛から、剰え柔らかい視線まで貰って、必要とされるだなんてまるで夢のような時間だった。他人を沢山手にかけてきた己が、こんなに幸せで良いのかと恐怖さえ懐くほどに。
そう紡ぐ彼女の声は、段々と囁くようなものに変わっていってしまう。思わず手を伸ばした三成を、三春は視線で止めた。

「触ってはいけませんよ、三成様。私の血は毒・・・扱い慣れていない方が触れるには、少々危険が高すぎる」

そう言って柔く微笑む彼女のその残り火が、あと少しで燃え尽きてしまうと如実に語る。どうしたら良い、彼女を半兵衛に会わせるべきか?いや、身を引いた彼女の想いを考えると、けれど、半兵衛の想いは?葛藤する三成。その思考を止めたのは、新たなもうひとつの気配だった。

「・・・なんで、来たの」

そんな呻くような言葉と共に、傍にあった身体は無くなっていた。

「っ?!」
「石田の旦那・・・悪いけど、これは貰って行くよ」

特徴的な橙の髪。その忍は、彼女を抱えて離れた所に立っていた。

「三春を竹中の旦那に会わせようと思っただろ?それはコイツの決意に反する。だから、俺様が連れて行くよ」
「待てっ、猿飛ッッ!!」
「三成様、」

そのまま姿を消した佐助と三春。けれど三成の耳に、囁くような三春の声だけが辺りに響くように届いた。

「飼い猫は、死期を悟って飼い主に己が屍体を処理させるのを申し訳なく思ってその身を眩ますのをご存知ですか―私もそのように、綺麗に死にたい。私がしたことを、あの方が思い悩むような事にしたくない。たかが草の、願いですが・・・どうか、あと少しの生命に免じて、叶えてくださいませ」

そうして声は聞こえなくなった。
後に残されたのは、少しだけ血の滲んだ地面と、彼女が住処にしていたであろう、古ぼけた小さな小屋だけだった。





「さすけ、」
「なあに」
「お願いが、あるんだけれど」
「・・・いいよ、聞いてあげる」
「佐助の闇に、沈めてくれない?跡形も無く、消えられるように」
「・・・本当に、酷な女だよね、アンタ」
「うん、ごめんね」
「いいよ、ただし、アンタの生命が終わるまでは、俺様に頂戴」
「うん、ありがとう、」

森の奥深く、そうして彼女はその生を終えた。

20180208修正



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