2010

あれから部活と受験勉強の合間を縫って、俺は何度かあの本の街に顔を出した。もともと読書は好きだったし、あの本だらけの街が気に入ったからだったし、まだ例の"宝探し"の行方も気になっていたからだった。そして、どんな偶然なのか、彼女とは、その数度の中、一度だけ会った。

「あっ」

前回来たときに居心地が良くて、勉強道具を広げたりPCをいじっている人も何人かいた喫茶店で、今日は受験勉強でもしようと参考書を持ってきていた。頼んだコーヒーも届いて、さて始めるかとシャーペンを持ち上げた時、すぐ近くからそんな声が聞こえて顔を上げると、あの日の彼女がそこに驚いた顔をして立っていた。

「・・・こんにちは」

少しだけ、期待をしていた。
この街に来れば、いつかまた彼女と会えるだろうか、とは。けれどこんなに早く叶うとは思っていなくて、しかも彼女の方も覚えていてくれたのが嬉しかった。ぺこり、と頭を下げると、彼女も同じように俺に頭を下げた。そして店内を見回して、困ったような顔をする。どうしたのかと俺も辺りを見てみると、どうやら、空いている席が無いようだった。

「ここ、良かったらどうぞ」

自分の向かいの席を手のひらを差し出して勧めると、彼女は驚いたような顔をして、それから少し悩んで、また困ったような顔をした。

「でも私パソコン弄るし、勉強の邪魔になっちゃうから…」
「音とかでしたら、気にならないので大丈夫ですよ」

俺がそう伝えると、彼女はありがとう、と小さく呟いて遠慮がちに向かいの席に腰掛けて、そろりそろりと慎重にテーブルの上に荷物を広げた。ノートパソコンと、資料なのか本が数冊。それから、小さな筆箱。注文を取りに来た定員にブレンドコーヒーを頼んで、参考書をパラパラとめくりながら彼女の一挙一動をそれとなく観察していた俺に向き直った。

「うるさかったら遠慮なく言ってね」
「はい」

特に心配はしていなかったけれど、素直に応じた方が彼女の気が済むかと思い、頷いてみせる。すると彼女はやっと安心したのか、満足げに微笑むと自分の作業を始めることにしたようだった。

・・・


キリが良いところまで終わったな、と顔を上げた時、ちょうど彼女も資料をパタンと閉じたところだった。首をくるりと回して肩を動かしているところを見ると、ひと段落したようだったので、俺はあの、と声をかけた。

「俺、赤葦京治です。この間は、ありがとうございました」
「え・・・ああ、そんなの良いのに。私は諏訪部三春。この席のこと、私もありがとう」

そう言ってふわりと柔らかく笑う、その表情がすきだと思った。見ていて心が和らぐようなそれに、自然と自分の表情も綻ぶ。和やかな空気が流れる中、側にあるコーヒーカップをそっと口元に運んでいると、目の前の彼女は俺の手元の勉強道具などに視線を落とした。

「受験生?」
「はい。もうすぐ部活も引退なので、そろそろ勉強しないとまずいなと思って」
「そっか。運動部?勉強と両立って大変だよね」
「バレー部です」
「バレー部かあ。なるほど、背が高いもんね」

  高校でも続けるの?
何の気なしに投げられたその問いは、ある意味当たり前の流れで、何もおかしなことなどないものだった。けれどそれが今まさに悩みの種である俺は、その問いに答える言葉を無くす。ほぼ見ず知らずの相手なのだから適当に答えてしまえばいいのに、なんとなく、彼女にはそうしたくなかったのだ。

「実は、悩んでいて」
「うん」

部活は、顧問の先生に言われたことをきちんと熟し、自分にできる限りのことを一生懸命やってきた。結果として、都内の強豪校から推薦を貰えているのだから、得意な方だと言っても良いのかもしれない。けれど、たぶん、俺は、バレーは好きでも嫌いでもなくて。

「なんとなく流されるまま、推薦を受けても良いものか・・・と思ったりして」

きっと行った先でも、俺は中学と同じように、言われたことを言われたように頑張ることができると思う。そういう性分であるし、努力をするのは嫌いじゃない。けれど、その中に自分の意志みたいなものが、ぽっかりと抜けてしまっているような気がして、なんとなく漠然と、このままで良いのだろうかと、思うことがあるのだ。

「…上手いことを言える気がしないから、私の話をするんだけど」
「はい」

そんな俺に、彼女は自分の高校の時のことを聞かせてくれた。

  私は中学の頃からすごく得意な事とかはなくて。進学した高校は、公立高校ながらスポーツにすごく力を入れてる学校だったけれど、スポーツと縁のなかった私は、無難に帰宅部とかになって、なんとなく日々を過ごすのかなって思ってた。それがおかしなことに、気が付いたら、とある運動部のマネージャーになってた。しかも聞けば、めちゃめちゃ強豪なの。毎年IHで入賞者を出すようなところだった。
きっかけは、たぶん、見学に行った時の先輩マネージャーが、ハキハキしてて、すごくカッコよく見えたこと。あと、練習がキツくてみんなすぐに辞めちゃうんだよねって言われた事に対する、負けず嫌い根性みたいなもの、だと思う。
まあ、きっかけなんてなんでも良くて。後から思い起こした時に結びつけた、後付けみたいなものなんだけど。それまで何の関わりもなかった運動部の、マネージャー業が生活の主軸になって、気がついたら、本当に部活まみれの3年間だった。

「私ね、たぶん、なにかを頑張るのは得意なの。でもその頑張る先を、自分で確かに掴み取って来たかと言われると、今でもどうだろうって思う時もあるよ。けど、大したきっかけもなく始めた高校3年間の経験は、紛れもなく、私の人生の軸を作ってくれた」

そう言い切った彼女の視線が力強くて、湛える笑みに滲む強さが眩しいと思った。

「きっかけなんて、なんでも良い。自分で選んだのか、流されたのかどうかなんて、きっと最後に振り返るまで分からないよ。だったら、流れに身を任せたり、他人に影響されたり、そういうので決めたって良いと思う」

何であったって、一生懸命やれるなら、きっと大丈夫。そんなふうに、彼女は笑った。

「選んだ答えのその先で、努力できるか否かが全て、って事ですか」
「うん、そうだね・・・赤葦くん、本当に中学生?私の友人より大人びてる気がしてくるよ」
「そんな事ないですよ」

結局、彼女の話は何の答えも導き出してくれてはいないのだけれど。それでも、背中を押されたような気持ちになった。自分の意志で確かに物事を選んだ事などないと思っていた。自分の選択にいつも自信が持てなかった。それを、包み込むように肯定されたような気がしたのだ。

  彼女とそんな話をした一月後、俺は"スター"と出会う事になる。そして、その人のいる高校へ進む。
今になって思えば、彼女のあの言葉と、そして木兎光太郎という人の存在が、きっと俺にとっての"きっかけ"だった。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -