2011

高校に進学してしまえば、あっという間に俺の生活はまたバレーボール一色になった。
強豪校の練習は中学とは比べようにもないほど厳しくて、それだけでも大変なのに、『ちょっっとだけ付き合って欲しい』と言われて付き合うことになった木兎さんのスパイク練習は全然、これっぽっちも"ちょっと"じゃなくて、夕方に始まった自主練が21時やら22時やらまで続く日まであった。体力はいつも限界ギリギリ、授業は寝ないようにするので精一杯。とても他の何かに割く時間などなくて、毎日学校と家とを往復する日々。
けれど、自身が疲弊するほど努力を積み重ねるのも、出来ないことを一つずつ潰していくのもやっぱり性に合っていたし、直向きにバレーと向き合う時間は充実していて、あっという間に時は過ぎた。

そして何より、真っ直ぐに俺のトスを待ち、そして純粋に表情を輝かせながら褒めてくれる木兎さんとの練習は楽しかった。

・・・


久しぶりにあの街を訪れたのは、あれから約一年と少しが経った、年明けの事だった。春高が終わり、3年生が引退し、新しい体制での部活がスタートする直前。やっと他のことを考えるだけの心の余裕と体力とを確保できた休日に、なんとなく思い立って、俺はあの街へと向かった。

「あれ、赤葦くん?」

珍しく東京でも雪が降ったその日、白い息を吐き出しながら最初に入った古書店で、俺は久しぶりに彼女と会った。

「諏訪部さん」
「久しぶりだね。元気だった?」
「はい」

彼女は大きな写真集を開いて、ジッとそれに魅入っていた。
薄暗い本棚の隙間で、重たそうに本を抱えていたけれど、背筋がストンと真っ直ぐで、頁を捲る細い指先や、マフラーに埋もれた首筋から覗く傾いた項、昨年は肩につかないくらいのボブだった髪が伸びて、ゆるく編み込まれているのが目を惹いた。
声を掛けようか、邪魔になってしまうだろうか、万が一人違いだったらどうしよう、いやでもあの横顔はたぶん間違いないはず、とぐるぐると考えてしまって立ち止まっていた俺の視線に気が付いたのか、スッとそこから顔を上げて、こちらを見て驚いたように瞳を丸めて。小さく開いた口が、迷うことなく俺の名前を呼んだのが嬉しかった。

「夜景の写真集ですか」
「うん。好きなんだ、こういうの」

近寄ると自然と彼女の抱えている本が目に入る。夕闇の中に浮かび上がる沢山の窓と、そこ此処に色付く橙色、黄色、白色、の明かり。マンションや、団地や、住宅の、ひとの生活の滲む写真達。

「このひとつひとつにそれぞれの人が関わっていて、それぞれの生活があって、きっと、それぞれの物語があるんだろうなって思うとね、なんだかとても堪らなくなるんだよね」

そう言って優しく瞳を細めた彼女の横顔に、吸い寄せられるように魅入っていた。その瞳がこの写真の中に何を見ているのか知りたかった。自分が見ているのとは違う、何かそれ以上のものが彼女には見えているような気がして、その瞳に映り込むものを見てみたくて。大学2年になった彼女は赤葦よりも4つ年上で、今年で二十歳になっているはずで。その4年の差が、とても大人に見えた。
暫くすると、彼女は満足したのかその写真集を閉じて棚に戻した。彼女の横顔ばかりを見つめていた俺はそれでハッと我に返って、誤魔化すように瞬きを一つすると、彼女はこちらを見上げてフッと笑みを漏らした。

「時間ある?どこか喫茶店に入ろっか」

その言葉に素直に頷いて、前を行く彼女の背を追う。それに喜ぶ心に触れるように胸の真ん中を掴むと、ああ、俺は、ずっと彼女に会いたかったのだな、と自然と自分の気持ちが理解できた。
彼女に話したい事がたくさんあった。部活のこと、バレーが楽しいこと、木兎さんのこと。きっと彼女はまた、前の時のように楽し気に、俺の話を聞いてくれるのだろう。

・・・


「背、伸びたんじゃない?」
「そうですね。180超えました」
「180かぁ・・・男の子はまだここから伸びるんだね」

私の身長はもう微動だにしないなあ、と笑う彼女は、世間話を交えつつ、俺の進路の話の事も覚えていてくれたようで、高校はどう?と早々に尋ねてくれた。
俺は彼女の言葉に促されるまま、するするとこの一年の事を話していた。

あの後、推薦をもらっていた高校の試合を見に行って、一つ上にすごいスター選手がいるのを知ったことや、その人がどんなに楽しそうにバレーボールをするのか、入学してすぐ一緒に自主練をするようになったこと、調子のムラが凄まじくて、木兎光太郎というその人の生態そのものが謎に包まれていること。けれど乗せるととても頼りになること、そしてその人との練習や試合は大変だけれど、充実していて、とても楽しいこと。真っ直ぐに褒めてくれる彼と一緒にバレーを出来ることが、とてもとても楽しく、誇らしいこと。先日あった初めての春高では、梟谷は3回戦で負けてしまったけれど、これからその木兎さんを主将に据えてまた新しいチームでスタートすることや、自分が2年の副主将になったことまで。

彼女は相槌を打ち、時折笑いながら、俺の話を楽しそうに聞いてくれた。

  じゃあ、副主将は2年生から絶対選ぶって訳でもないんだ?」
「そういう年もある、みたいな感じですね」
「やっぱり、赤葦くんがしっかりしてるからなんだね」
「どうなんですかね?」
「絶対そうだよ」

君はきっとすごくよく考えて物事を決めるひとだから、みんなを引っ張っていくことや、導いていくことができる気がする  自分に副主将など務まるのかと心のどこかで思っていたところがあったけれど、彼女にこんなふうに肯定されてしまえば、なんだかなんとかなるような気がしてくる。
何度か会っただけのひとなのに、この人にはいろいろと胸の内を話してしまっている所為か、言葉がスッと胸に入ってくる。絶対的に励ましてもらっている訳ではないのに、彼女と話していると、肩から余分な力が抜けて、ブレてはいけないところだけが目の前に見えてくるような気がするのだ。

「俺ばっかり話してすみません」
「いいんだよ全然。私も気になってたし、赤葦くんのバレーの話もっと聞きたいよ」

この頃の俺は、まだ彼女の事を頼りになるお姉さんとか、何か悩んだ時に話を聞いてくれる人くらいにしか思っていなくて。あの街に行けば会えるかな、ってそんなほんの少しの期待を抱いてあそこへ行く度に、彼女と出会えるその数奇さにまだ気が付けずにいた。
それがどれほど貴重で、そして運命的な事なのかなんて、考えたこともなかったのだ。



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