彼女と出会ったのは、中学3年の部活引退を間近に控えて、進学先をどうしようかとか、受験かとか、そういうモヤモヤの重なる時期に、なんとなくスッキリしたくて、たまたま電車を乗り過ごして降り立った、普段は寄らない駅でのことだった。
物珍しさからか、それともぼんやりとしていたのか。パスケースを落としてしまって、こんな事なら寄り道なんてしなければ良かった、もう帰りたい、と酷く焦りながら改札口へと踵を返した。駅員のところでは女の人が話をしているところだったけれど、焦りを含んでいた俺はそのまま辿りつくなり割り込むようにそこへ声を掛けていた。

「すいません、パスケースの落とし物ありませんでしたか」
「あっ」

駅員と、そして隣の女の人が声を上げる。驚いて顔を上げると、こちらを見つめる苦笑が2つ。駅員に名前を聞かれて、やっぱり、とその苦笑いが同じように頷いた。

「たった今処理しちゃったところで。持ってくるね」

このお姉さんが届けてくれたんだよ、と言って事務室に下がっていく駅員を見送って、隣にいたその人へ視線をやると、俺のすぐ横に立っていた彼女は、表情をふっと緩めながら、見つかって良かったねと笑っていた。慌てて居住まいを正して頭を下げる。

「すみません、ありがとうございました」
「いえ」

ぺこりと会釈をして去っていく彼女を何となく視線で追いかけていると、奥の事務室から駅員が戻ってきて、パスケースは無事に自分の手元へと戻ってきた。

その後、つい先程までもう帰ってしまおうと思っていたはずなのに、落とし物は問題なく戻ってきたからと言い訳をするようにして、気を取り直して階段を上がった。つい先程、あの人が登って行ったその先に興味が湧いたから  というのも、きっとあった。当初の目的通り、なんとなく寄り道したかったから、でもあるけれど。
地上へ出ると、見慣れたような都会の街並みの中に、古めかしい建物の幾つか混じる、本の街が俺を出迎えた。

・・・


横断歩道を渡って、大通りから一つ入れば、そこは古書店街になる。
並ぶ店舗の中には、棚、棚、棚。中にはぎっしりと本が詰め込まれていて。家の近所にもこういう古本屋はあるけれど、こうしてその店ばかりが集まっているところを見るのは圧巻の一言に尽きる。

一先ず、なんとなく目についた店に入ってみて、棚をザッと流し見る。紙と埃の独特な香りが鼻を抜けて、少しだけ落ち着くような気がした。居心地が良い空気。知っている名前の作家、国語の教科書に載っているような有名な本、読んでみたいと思っていた映画の原作。好んで読んでいる作家の名前を見つけてどんなタイトルがあるのかと視線で追っていると、顔を左に向けた先、先程駅で会ったあの人が、何やらウンウンと唸りながら、本棚と睨めっこをしているところを見つけて驚いた。
何冊か手にとって、棚をもう一度見て、周りもザッと見回して、もう一度手元の本を見比べて。諦めたように溜息を吐いて、店主の方へ何やら問い掛けた後、彼女が肩を落としてこちらへ歩いてくるまで、その一連をじっくりと眺めていてしまったことに、三歩先で視線が合ってから気が付いた。

「あ」

さっきの、と言いたげだったけれど、彼女は寸でのところでそれは声には出さなかったらしい。出かかった声を抑えるように、口元に指先が添えられる。別にどうするつもりもなかったのに、目が合ってしまったので俺は彼女へぺこりと頭を下げた。釣られるように会釈が返ってきて、何か用かと問うその視線に、考えあぐねてこう切り出した。

「何か探し物ですか」

これでは先程の彼女の一部始終を眺めていた事を白状しているようだったが、それでも困っているようだったのが気になったのは本当だった。先程助けてもらったところだったし、なんとなく、世間話のようなつもりだった。彼女は俺の問いに困ったように笑って、手元に持っていた、店主へ尋ねるのに使っていた本を見せてくれた。

「これの違う装丁の本を探してるんだけど・・・なかなか無くて」

彼女の持っていたのは、少女の泣いている顔の描かれた本だった。

『月の子供』

そう書かれたタイトルと、聞いたことのある作家名に、児童文学だろうかと首を傾ける。俺よりも年上の、大学生くらいに見える彼女がどうしてそんな本を探しているのだろう。しかも、装丁違いを探しているなんて中々の拘りである。そんな俺の疑問もよくよく分かるのか、彼女は続けてその本について説明してくれた。

   小学生の頃、学校の図書室にあった本でね。
通って何度も何度も読んで、そんな私の様子を見た母がとうとう買ってくれたのだけど、版が違うのか、手に入ったのは同じ装丁のものではなくて。買ってもらったその本も読んだのだけれど、おかしな話、全く同じ内容のはずなのに、その図書室にある本ほど夢中になれなくてね。それを最近何となく思い出して。私が好きだった、あの図書室にあったその本が、この街ならどこかにあるかなと思って・・・来るたびに探してみることにしているの。

そう言った彼女の、手元に置かれた本を見つめる視線が柔らかくて、その表情にグッと何かを掴まれたような気持ちになった。この人がそんなふうに思うものを、見つけてあげたい、と思ってしまった。それに、こんなに本に埋め尽くされた街の中で、いつ出版されたかも、出版社も分からない、装丁の記憶だけで本を探すなんて  なんだか、宝探しみたいじゃないか。

「もし見かけたら、覚えておきますね」
「ありがとう」

俺のかけた言葉を彼女は社交辞令的に受け取ったようだったけれど、そう言って書店を去っていくその後ろ姿を見送りながら、少しだけ胸を躍らせていた。その日、いくつか書店を回って、自分の気になる本を見ながら彼女のそれも探したけれど、"宝物"はそんなに簡単に見つかることもなく。遅くならないうちにと家に帰って、ご飯を食べて、風呂に入るまで、進路のことなど忘れて今日あった事を思い起こすくらいには、なんだか不思議で面白い一日だったように思う。

名前も知らない、また会えるかも分からない。けれど、きっと彼女のことはいつまでも覚えているような気がした。



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