知らん振りして口に咥える

佐助は、物心ついた時からその記憶を少しずつ思い出していた。自我がしっかりと確立される頃には、己が主である真田幸村にも、武田信玄にも出会えていたことは、彼にとって幸運だったというべきだろう。彼らも記憶を持っていた為、全ての者がそうであるのだと、佐助は信じて疑いもしなかった。

「・・・風来坊?」
「え?何だい?どこかで会ったことあったかな?」

一番最初にそれに気が付いたのは、中学生の時だった。市内のいくつかの学校が同じ施設で過ごす林間学校の行事の際、目の前を横切ったその見知った顔に、思わず声を掛けたのだ。けれど、その男は首を傾けるだけで佐助の事は初めて見るというような顔をする。

「え・・・もしかして、憶えてないの」
「わっ!本当にどこかで会ってるのかい?!ごめんごめん、覚えてないんだ許してくれよ!俺は前田慶次!って、あ!もう知ってるのか!」
「・・・さ、猿飛佐助だよ」
「そうか!宜しくな!佐助!」
「う、うん・・・」

どうやら、本当に何もかも憶えていないようだった。この男が、そんなつまらない嘘を吐くわけが無いからだ。

「慶次」
「お!待って藤!!・・・ごめんな!連れが呼んでるから」
「あ、うん、気にしないで」

またどこかで会ったら話そうな!そう言って元気に去っていく彼の先に居たのは、此方もまた、見覚えのあり過ぎる女だった。けれど、

(・・・藤?)

名が、違うのだろうか。あの頃とは違い、男の名を名乗る必要がなくなったということか。確かに、あの名では今の世に合わないだろう。

「うろうろして他校に迷惑をかけるなと先生が言っていただろう」
「ごめんごめん!知り合いだったみたいでさ!」
「・・・そうか」

佐助の方になど、ちらりと視線を寄越しただけで。周りの他の人間と変わらぬように対して興味も無さげに視線を逸らした彼女に、佐助は漸く理解する。憶えていない者も、居るのだという事を。



「新入生代表、羽柴藤」

その女は、名こそあの頃と違えど、佐助の知る頃よりはだいぶ若いけれど、やはり確かに間違いなく、彼女であった。クラスメイトとして顔を合わせても、他の見知った顔を見ても顔色を変えず、彼女もいつかの前田慶次と同じように、憶えていない一人なのだと理解するくらいには、その振る舞いは自然で違和感が無かった。他にも見知った顔の中にそういった者も居たし、逆に憶えている者にも会った。そういう者らに、彼女が居たこと、そして憶えていないようだという事を伝えれば、みな落胆した後に安堵の表情を見せた。辛い記憶も多かろうに、大事な者と二人、どちらとも記憶が無いのならそれもまた有りなのかもしれないと。また縁が繋がっているのであれば、今生でそれが交わる事もあるのだろうと。信玄なんかは、そう言って笑った。けれど、

「羽柴君?具合でも悪いのかい?」
「いえ・・・いや、保健室に行ってきます」
「そう、一人で行けそうかい?」
「はい、大丈夫です」

同じクラスであった為に彼女の観察をしていた佐助は気が付いていた。こちらも記憶を持たない、教師であった竹中半兵衛の授業を受ける度に、彼女の顔色が悪くなっていくことに。嘗ての大切なたいせつな男のその姿を視界の隅で追っては、瞳の中に悲しみを湛える彼女の様子に。そして、一つの可能性を見出した。

「太閤サマ」
「っ、」

放課後、やはり調子が良くないのかぼんやりと一人教室に残っていたその後ろ姿に、あの頃のように呼びかける。驚いたように振り返る彼女に、やはり、と佐助は頷いた。彼女は総て憶えているのだと。

「佐助も・・・なのか?」

同じ記憶を持つ者と、彼女は初めて出会ったようだった。今まで自分以外にそういった者がいなかったから、だからあんなにも彼女は違和感なく周りに溶け込んでいたのだ。もしかしたら、己の妄想か何かではないかと、自分が信じられなくなったりすることもあったかもしれない。夢現の境が分からなくなって、気が触れてしまったのかと疑う事もあっただろう。驚愕に見開かれる彼女の瞳に、歓喜が灯るのを佐助は確かに見ていた。

「そうか・・・ごめん、少しだけ」

そして、佐助の存在を確かめるように回された腕に応えて、その背にそっと手を添えた。今までずっと独りきりであった、彼女の孤独はいかほどのものか佐助には計りかねるが。それでも、もう一人では無いのだと伝える為に。
あの頃あんなにも大きく、時に強大で、時に頼もしくも見えた背中は、背負う命も、国も無くなったいま、酷く小さかった。



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