止まり木の鳥の名は

「藤」
「ああ・・・佐助か」

この時期、受験を控えた三年生は専用のカリキュラムに変更になる為、他のクラスの生徒と同じ授業というのもよくある。この声を掛けてきた同級生は、隣のクラスの男だった。

「なあに、何かあったの」

入学して暫く、今生でも半兵衛と出会えたという喜びの後に襲ってきた、彼に記憶が無いという絶望感に打ちのめされていた時に、自分も記憶があるのだと打ち明けてくれたのが当時同じクラスであったこの男だった。



「・・・太閤サマ?」
「っ、」

教室にひとり残っていた時だった。ぼんやりと空を眺めて、現実から逃避して。
半兵衛を見つけた事は、彼女にとって今生のなかで一番のこの上ない僥倖だった。けれど、彼が何も憶えていないという事実は、その幸福と共に彼女を日に日に追い詰めた。分かっていると、理解したふりをしても、心が追い付かなかったのだ。何よりも大切だった存在が、目の前にいるのに、それでも、違うのだということに。

「やっぱり。憶えてるんだね・・・その様子だと、全部」

耳馴染みの良い呼び方に、ハッと振り返ると、それで確信を持ったらしい嘗ての知人がそこへ立っていた。
再び生を受けてから、彼女が前の記憶のある者に出会うのは初めてのことだった。幼い頃から共にいる幼馴染が嘗てと同じ昔馴染みであったのだが、その男は記憶の一切を持たなかったし、思い出す気配も露ほども無く、これは自分の中だけのものなのだとすっかり思い込んでいた。記憶・・・と認識する程にはっきりとしたものだったが、もしかしたら妄想か何かなのかもしれないと考えたこともある。

「佐助も・・・なのか?」
「うん、俺もだよ。大丈夫、っ」

けれど、こちらを心配そうに伺う姿に、嘗ての面影を見つける。変わらぬ橙頭に、軽薄そうな見た目に反して、その心根の優しさの滲み出る目元に、そうして堪らなくなって、その首に縋り付くように腕を回した。

「た、太閤サン、」
「ごめん・・・少しだけ」

慌てたように固まった佐助に、けれどかまっていられる余裕など無く、ぎゅう、とその背に腕を回して。生まれてから、今までこの記憶と付き合ってきた中で、嘗ての記憶についての想いは昇華させてきたはずなのに、何よりも大切だった者の存在によって、ここへ来てそれが揺らいでいる。その事実の前に、同じ記憶持ちの存在は彼女の心を確かに支えた。慰めるように回された腕に、酷く安堵した。まさかそれが、次の日から噂になるなんて思ってもみなかったけれど。



当たり前のように隣に座り、心配げに此方を伺う姿に破顔する。あの後、彼女と佐助は付き合っているだとか噂が流れてしまったが、気にせず佐助とは共に居たため、噂も囁かれなくなっていった。特に否定もしていない為、受け入れられてしまったというのが正しいのかもしれないが。

「佐助が居てくれて良かったなあと思ってさ」
「ッッ、アンタ、すぐそういうこと言うの、ほんとに止めた方がいいよっ」

いつものように甘言を囁けば、彼は慌てたように後退り、顔を赤くするので抑えきれずにクスクスと笑った。機嫌を損ねてしまったらしく、机に伏せてしまう隣の席に視線をやって。

「佐助、耳が赤いよ」
「うるっさい!!」

こんな様子だから周りに付き合っているなどと噂を立てられたりするのだと、以前友人に言われたのだけれど。それもまあ、別に構いはしないと思っている、と言ったらまた怒られてしまうだろうか。

「授業をはじめるよ」

教室に入って来た姿に、最初の頃のように心揺らされることはもう無くなっていた。あるのは、ただただ愛しさと、そしていつまでも健やかに生きてほしいと、その幸せを見守りたいという想いだけ。だって確かに、"竹中先生"は、あの頃の彼女の"竹中半兵衛"では無いのだから。

「猿飛君、起きて」
「はーい」

あの戦世を生き抜いた業を背負ったのは、己だけだという事なのだろう。最も大切な者に、共に歩んだその業を背負わせずに済んだ事に、本当に良かったと安堵しているのも確かなのだ。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -