優しい手に絡まる

「三成」

その柔らかい声に名を呼ばれると、どんなに苛立たしい事のあった後でも間髪入れずに胸の内を歓喜が支配する。一音一音を丁寧に、絹でも紡ぐような滑らかさ。彼女を崇拝する三成にとって、これほど光栄なことは他に無かった。そして畏れ多くも、彼女は何度も己の名を紡いでくださる。

「秀吉様」

お傍に侍る事を許されているというこの上ない幸福を、三成は片時も忘れた事は無い。

「鍛錬か。精が出るな」
「はっ・・・この三成、秀吉様の御為ならば、」
「うん。己が生命を大切にしつつ、励んでおくれ」
「御言葉、胸に刻みまして御座います・・・!」

三成は、彼女の懐刀としてもう長い任に就いている。それは三成が彼女に拾われた頃のこと、そして彼女には己が子のように育てられた。

「母上様!」
「うた」
「ははうえ!」
「石松」

三成の主君である豊臣秀吉という御方は女性ながらにして大坂という日ノ本でも中心に近い地を治め、織田信長亡き今、天下へ最も近いと噂されるひとである。
今孔明と謳われる竹中半兵衛を内包し彼の織田信長に重宝されるその器量と機転は凄まじいものがあると側から見ている三成にとて分かるほど。魔王信長が横死した明智光秀の謀反の際も、遠征先から最初に駆け付けたのも、明智光秀を討ったのも彼女の軍なれば、信長不在と荒れる天下を柴田勝家と松永久秀を抑える事ですべらかに治めたのも彼女であった。その采配には迷いが無い。それも全て、彼女が己が軍師を、軍を信じ、その信頼が還るからこそ成される事である。

「どうしたんだお前達」
「母上様のお姿が見えたので、思わず!」
「ぼくはごようじが!」

そんな、素晴らしい・・・三成にとっては神にも勝る彼女の、血を引く御子であるはずのこの二人。兄弟のようなものなのだからと三成の崇拝する彼女も気にしていないが、三成の性分からすれば本来ならば彼女と同じように大切にするべき存在である。けれどそれが三成にはいまいち出来ないでいた。弟の方の石松はまだ良い、彼女やその夫である三成も尊敬する方に似て聡明であるし可愛げも多少ある。けれどこの長女の方はといえば。

「三成もいたの」

三成の姿とて見えていように、彼女しか目に入らぬといった具合で駆け寄って来たのは彼女の愛娘、長女のうたである。三成よりもひとつ歳が下なこの女は母君に似ずに本当に可愛げのない、そして三成と共にその隣席を争う中である。弟の石松とは少し歳が離れている所為か、三成とうたの方が余程兄妹のように育ってきた。が、しかし。互いに互いを一番邪魔に思っている事は間違いない。

「うた、貴様・・・!」
「いつもいつも母上様をお探しすると如何してアンタがいるの!」
「私は秀吉様の左腕として・・・!」
「キーッ!その言葉吐くなと何度言えば・・・!」

うたは三成と共に育った所為か、男勝りで手は出る足は出る得物まで出る、その上口まで悪いのだから共に育った存在の悪影響たるやもう半端なものでは無かった。そんな光景にいつの間にやら呆れるよりも慣れてしまった豊臣家中、二人の言い争いなど日常茶飯事にして、往々にして彼女はそんな三成達を置いていく。

「ははうえ!ちちうえがおよびしてきなさいと!」
「ふふ、そうか。たぶん石松の傅役の件じゃないかな・・・石松もおいで」
「はい、ははうえ!」

そしてそういう時にいいとこ取りをしていくのが幼いながらに嫌に賢い弟の石松であった。





「ちちうえ!」
「半兵衛、要件は石松のことかな」

駆け寄る息子を、柔らかい表情で抱き止めた白い麗人は彼女の軍師であり、そして夫である竹中半兵衛。本来ならば夫婦であれば夫の竹中の氏を名乗るところ、彼は彼女は一国を率いる身としてそれを良しとしなかった。それ故、彼等は祝言を挙げてはいない。うたも石松も内縁の子となっていた。

「秀吉・・・石松の傅役にあの毛利元就って、正気かい?」

今や、豊臣は西を呑み込み、東へもその勢力を広げつつある天下統一まであと一歩の一大勢力であった。

「嗚呼。石松は賢い子だし、元就とは仲が良いだろう?」
「・・・僕は彼の何処が君にそこまで信用させるのか聞きたいところだけれど」

腰に纏わりつく息子の頭をなでなでとしながらも、朗らかな彼女の様子に半兵衛は眉根を寄せた。

「元就は悪巧みくらいならするかもしれないが、裏切ったりはしないさ。あれでいて義に厚い、優しい子だ」
「ちちうえ、ぼくももとなりどのがよいです!」

だから必ず期待に応えてくれるさ。それに、

「それに、ぼくをまかせられればそうやすやすとわるいこともできなくなります」
「そう。石松は賢いな」
「ふふふ、ははうえにほめていただけてうれしいです」
「・・・」

幼い身ながら悪どい表情をする己が息子に一体誰に似たのかと呆れた視線を向けつつ、半兵衛は微笑み合う二人にこそりと溜息を一つ。彼女のこの、他人に信頼を寄せる、そしてそれを還させる手練手管はこの日ノ本をまとめ上げて来た力そのものだった。恩に恩を返すこと。彼女は無意識にしてそれを成して成させてきた。そしてそれは最早自覚され、悪い言い方をすれば彼女の"常套手段"として利用されている。女の身であり武に秀でた訳でもない彼女の紛れも無い"力"である。それは半兵衛や元就の得意とする謀と似た、しかし相手を思い遣るものでもあった。

「異論はないようだな半兵衛」
「・・・嗚呼、君に任せるよ」
「元就も石松を気に入っているから喜ぶだろう」
「では、ぼくはふみをかいてまいります!」

タタタ、と小さな身体で駆ける背を見送って、半兵衛は今度はあからさまに溜息を吐いた。
彼女と彼の愛し子である石松。そして今は三成と喧嘩に励んでいるであろううた。可愛い子供たち、そして信頼できる家臣たち。彼女は日々満足げに、幸せだと臆することなく紡ぐ。

「誰に似たのやら」
「私とお前だろうね」
「・・・そうだね」

半兵衛の溜息にもどうしても幸せが混じる。彼女を見れば、瞳は柔らかく細められていて。その身体を引き寄せて、己が腕の中にそうっと囲った。くすくすと笑う彼女の耳元に、囁くように言葉をひとつ。

「_____」




二万打リクエスト、もし秀吉が女として国を治めていて半兵衛との間に子供もいたら。武の無い女が、優しいだけの繋がりでひとを囲っていけたらいいな、と。ちなみに娘のうたという名前は石田三成の奥方から。うふふ。



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