うお、こおりをいずる

彼女の言動の端々から滲み出る優しさや、その清廉な霊気も相まって、部屋の空気はとても和やかなものになっていた。傍観を続けていた今剣や岩融がこの元人間ならば信頼しても良いのではないか、とそわそわし始める程に。後一押しをしようとしたのか、同派の石切丸が彼らへ近寄ろうと腰を上げかけた時、今剣と彼女がパッと顔を上げた。ピリッとした空気に瞳を見開く。

「なにか、きます」
「怪我人は危ないから、下がっておいで」

立ち上がった彼女が、感じ取った気配に警戒し抜刀した今剣を押し止める。その手には、三日月宗近が握られて  

「なにを、」

キィンッ

襖が音を立てて斬り捨てられ、その向こうから振り下ろされる刃を彼女の抜刀した三日月宗近が受け止める。剣戟が響き、その場の誰もが緊張状態に入った。敵襲ならばもっと早くその気配に気付けた筈。結界が破られた感覚は無かった。ならば、これは  崩れた襖の先に見えたのは、瞳の色を変化させ、身体に穢れた瘴気を纏わせた仲間の姿だった。

「なっ」
「一期一振!?何と言う事だ…」
「堕ちかけているじゃないか!」
「この強烈な霊力に反応したのか!」

彼は随分と苦しんでいた。粟田口の短刀達は前の審神者からの被害が酷く、折れた子らも片手では足りない。弟達への被害を出来るだけ防ぐべく、彼は率先して代わりに出陣や遠征を請け負い、審神者の責め苦に耐えていた。だからこそ誰よりも傷付き、誰よりも澱みを溜め込んで  分かってはいたが、あの頃はもう、己により近しいもの何振りかに気を配るくらいの余裕しか無かった。あれほど進行していたなんて、どうしてもっと早く気付いてやれなかったのだろうと己を責めても、時は既に遅い。

ギチギチと鍔迫り合いの音が鳴る。
噴き出るように溢れ出す瘴気に、巻き込まれて己自身まで堕ち神になってしまう訳にはいかず、近寄る事が出来ない。

一期一振の傷だらけで手入れのされていない身体から、無理な力を入れる所為で血を滴り落ちている。"人間"を排除する、頭の中にはもうそれしか無いのだろう。これでは彼女が殺されてしまう。けれどその穢れが三日月宗近に絡み付くにまで迫った時、刀身が返され、力を流された一期一振が体勢を崩した。その一瞬を見逃す事なく、側頭に回し蹴りが炸裂する。ゴッと重たい音がして、視界を勢いよく"何か"が飛んでいく。あまりのことに呆然としながら視線で追いかければ、障子を突き破って庭の中程まで、水色の頭の青年が吹き飛ばされていた。

「え、?」

決して、彼女を侮っていた訳ではない。けれどまさか、ただの人の子の、それも女人が、三日月宗近を手に一期一振と刃を交えただけでも驚きなのに、まさか、その彼を吹っ飛ばしてしまうとは。
一期一振はこの本丸でも実力の高い方から数えた方が早い、第一線で活躍していた刀剣である。損傷が激しいとはいえ堕ちかけで、その力は更にタガが外れている筈なのに、そんな彼が一撃で伸されるなんて誰が思おうか。彼女の方へ視線を戻すと、かすり傷ひとつなく、なんて事のない顔で蹴り飛ばした彼の様子を伺っていた。彼女はそのまま庭先へ出て一期一振の元へ近寄ると、意識のない彼から本体を引き離して腰に三日月宗近とまとめて納め、彼の程近くに片膝をつくと、胸倉を掴み上げるように乱暴に顔を上げさせた。

「やめて!!いち兄を折らないでッ!!」
「いち兄!!」

何をするのかと思わず腰が浮く。殴るつもりだろうか。つい先程、彼女なら大丈夫だと判断したのは間違いだったのだろうか。それとも、もう手遅れということか。やめてほしいという言葉は、ボロボロの身体で奥の部屋から飛び出てきた藤四郎達の声にかき消された。そちらへ顔を上げた彼女は、暴力を振るう者の浮かべるような歪んだ表情なんて浮かべていなくて、大丈夫だと安心させるように眉尻を下げて、それから一期一振へ向き直った。彼の口に指を突っ込むと、ぐっとその顔を近付ける。

「あっ!」
「なっ、」
「ふふ・・・熱烈だねえ」
「わぁお」
「まぁ、理に適ってはいる…のかな」

その瞬間、ぶわりと目に見える瘴気が消し飛ぶように離散する。太郎太刀からはその後ろ姿しか見えなかったが、彼女は一期一振に直接霊気を流し込むようにして、その堕ちかけの身の浄化を試みたらしい。唐突にその身の中を駆け巡った強烈な霊気に意識を取り戻し、穢れた身の内を勢い良く浄化されていく痛みからか一期一振が再び暴れ出すが、それを押さえ付けるように彼女が地面に組み敷いた。

「う"ぁァァッ!!」
「嗚呼もう暴れるな、んっ」

暴れる身を押さえ付けるようにして口を塞ぐその光景に、先まで長兄の身を案じて悲痛に叫んでいた藤四郎の面々は、声も出せずに固まっている。

「んん、う"ぁッ・・・ん、」
「ん"ん"ッ、」
「はぁっ…ぁあ"ッ」

喘ぐような一期一振の呻き声に、太郎太刀は思わず顔を覆った。彼女のその対処の的確さと素早い判断力には感嘆の意を表するものの、徐々に正気を取り戻しつつあるであろう彼を思うと居た堪れない。
暫く耳を塞ぎたくなるような水音と漏れ出る声に耐えていると、暴れる音がだんだんと小さくなり、荒い呼吸音も収まった。その様にふう、と一つ息を吐き出して、くたりと大人しくなったらしい一期一振を三日月の時のように肩に担ぎ上げながら、彼女がこちらへ戻って来た。
にっかり青江や次郎太刀は最早面白いものを見たと言わんばかりにかなりの上機嫌でそんな彼女を見つめているし、今剣や岩融も既に警戒心は離散したようだった。気まずげに視線を逸らす石切丸と目が合い、太郎太刀は彼と視線を合わせて苦笑する。彼女は藤四郎の短刀達が警戒しながら駆け寄って来るのを見て、彼らの出てきた辺りに近い縁側に気を失った一期一振の身を下ろした。蹴り上げたのと暴れたのとで乱れてしまった横髪を撫で、頭をそっと板の間に横たえる。

  よく、頑張ったね」

立ち上がろうとした時に羽織が掴まれているのに気がついて、それを一期一振に掛けてやりながら彼女がぽつりと零した一言は、彼だけではなく、まるで此処に居る自分達すら労われているようで、きゅ、と胸が締まる思いがした。



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