同棲じゃなくて同居です

微睡の中、部屋の戸が開き、軽い足音が近づいて来るのを聞いていた。

「まーた髪結んだまま寝てるし」

ぽそり、と小さく落とされた言葉の後に、首の後ろが少し引っ張られて、髪がパサリと散らばる。顔にかかったそれをそっと除けるように指先が動くのが気持ち良くて、覚めているのに目蓋を持ち上げるのが勿体ない。

「けーんーまー。起きろ、10時になるぞー」
「ぅ"ん・・・」

耳の後ろを通り過ぎていった指先が、そのまま頭へ回って、ガシガシと撫でられた。返事を吐き出すはずの喉は枯れていて、掠れたような声が僅かに出ただけだった。シャッと音がして、カーテンが引かれ、部屋の中が明るくなる。眩しくて目を腕で覆った。

「千歳も3限からだっけ・・・?」
「うん。今日帰り21時くらいになるかも。あと、京治が来る」
「わかった・・・」

研磨が起きたのを確認して部屋から出て行く千歳の足音を聞きながら、眩しさに慣れてきた目でぼんやりと天井を見つめる。この生活にも随分と慣れたし、当初の想定よりもかなり千歳との生活は快適だった。



「一人暮らしぃ!?」

大学受験も終わり、新生活の準備だと世間が色めき立つ時期。研磨もまた、4月からの自分の生活について考えていた。

「え、なに」
「お前が一人暮らしとか・・・無理だろ」

実家に帰ってきていた黒尾が研磨の部屋を訪ねてきて、スマホの画面を後ろから覗き見したので、部屋を探しているのだと説明したらそんなふうに言われた。

「大丈夫だよ」
「いやいやいや、お前、家事とか全くやったことない癖によく言う」
「やろうと思えばできるよ」

頭から否定してくる黒尾にムッとして返すと、黒尾は少し考えてからこう言い出した。

「なんならお前、俺と一緒に住む?それならまあ生きていけんだろ」

その提案に少し考えて、色々と想像して、研磨が出した結論は、

「・・・クロと一緒に生活するのはムリ」
「はっ!?お前、人の親切心を・・・!」
「クロは俺の面倒全部みようとしそうだからダメだと思う。それに恋人とか連れ込まれるの嫌だし」
「こっ!?」
「まあでも、誰かと住むのはアリかも」

恋人の言葉に何を想像したのかは知りたくないので適当に流して、研磨は誰となら一緒に住めそうかというのを考え出した。実際のところ、先程黒尾の言ったことと似たような事を親から言われていて、研磨の一人暮らし作戦はほとんど頓挫しそうになっているのだ。けれど、誰かしっかりした人間と、『家事を習う』体で一緒に住むというのはどうだろう。それならば、親や黒尾の言う"研磨の生活力の無さ問題"はクリアされるし、一緒に住む人間には、例えば"家賃光熱費は研磨持ち"で多少研磨の世話をすることになるのには目を瞑ってもらうとか。動画の収入があるので、それくらいは余裕で出せるだろうという目算があった。

なかなか良い案を思い付いた、とホクホクとしながら考える。黒尾は何やら赤くなったり青くなったりと忙しそうなので無視をする事にした。

一緒に住むと言っても、誰となら住めるのかというのは研磨にとってかなり重要な問題である。
まず、ゲームの邪魔をされたくない。多少身体に負担をかけても止めたくない時だってあるし、そういうのが自由にできるのが一人暮らしの良さという物だろう。研磨だって大学生活という人生の夏休みを謳歌したいのである。その為にはまず、黒尾は論外と言える。さっきはああいうふうに言って煙に巻いたものの、実際問題、黒尾は研磨に対して過保護が過ぎるところがある。無理をしてゲーム三昧で徹夜続きなどとなれば、無理矢理にでもゲームを取り上げて寝かせようとしてきそうなのが黒尾なのだ。研磨の中で彼の立ち位置は口うるさい母親に近いところがある。
さて、それ以外だと誰になるだろう。山本・・・黒尾とあまり変わらない気がするので却下、福永・・・何を考えているか分からないので一緒に生活するのは多分無理、夜久・・・こっちも黒尾に近い以下略、海・・・ちゃんとしないといけない気がしてくるので無理、だめだ、なんで音駒にはこんなに口うるさい親戚属性持ちが多いのか!

「赤葦・・・?いや、赤葦も口うるさそう」

他校ならばどうかと思ったが、そもそも研磨にはそこまで親しい知り合いが少ない。

「いやいやあの全然、千歳とどうにかなりたいなんて事はね、」

その時、近くで未だもだもだしていた黒尾が、そんなように口にしたのだ。

「千歳・・・」

諏訪部千歳。
大学進学と同時に上京してきた千歳とは、黒尾を通じて以前よりも随分と親しくなった。彼が住んでいる街から研磨の家や音駒高校がそう遠くないというのもあって、何度か遊びに行ったこともある。彼ならば研磨が多少無理をしてもある程度は目をつぶってくれそうであるし、家事等は何でも人並み以上に出来る。寝ぼけると面倒くさいのは重々知ってはいるが、それの失敗を防ぐためになるべく午前の授業は取らないようにしているらしいし、面倒くさいとは言っても害になるレベルのものではない。他人との距離の取り方の具合も上手いし、うるさいタイプでもコミニュケーションを取りにくいタイプでもない。落ち着いているので一緒にいて心地良いのももう既に知っている事だ。そして、研磨の進学予定の大学の沿線か千歳の大学の沿線で部屋を探せば、少なくともお互い乗り換え1回以内で通学が可能な事にも気がついてしまった。これだ、もうこれしかない。

「俺、ちょっと千歳のところに行ってくる」

すくっと立ち上がると、研磨は出かけるために財布をポケットに突っ込んだ。

「え、は!?なんで千歳!?」
「一緒に暮らそうって言ってくる」
「待ってどういうこと!?!?」

思い立ったら即行動、とは全く自分らしくないと言われそうではあるが。それくらい、研磨のゲームへの執着というものは凄まじいのである。

「何がどうなったら研磨が千歳にプロポーズする事になるの!?」

急ぎ部屋を出ようとする研磨に黒尾が縋り付く。何を勘違いしているのか知らないが、研磨にそのような気は皆無である。これはプロポーズではなく、対価を示して労働をお願いするのだから、言うなれば仕事の依頼なのだ。これから研磨は譲れない交渉へと赴くのである。
そもそも、研磨だって立派な男子高校生であるのだから、男の硬い身体なんかよりもやわらかな身体の方が断然好きなのに、一体この幼馴染みは何を焦っているというのだろう。自分と一緒にしないでほしい。

「プロポーズじゃなくて取引きだから。離してクロ」
「俺だって千歳と一緒に住みたいですけど!?!?」

もはや研磨の前では好意を隠そうともしなくなった黒尾には悪いが、これは研磨にとっては死活問題なので、ヘタレが過ぎて友人から身動きとれなくなっている黒尾の欲望などは完全に優先順位が下の下である。そもそも、千歳が男もいけるのかだって怪しいものだし。

「クロ・・・よく聞いて」

ちっとも離してくれない黒尾に向き直り、研磨は真剣な顔でその肩を掴んで語り掛けた。

「これには俺の今後の人生が掛かってるんだよ。邪魔しないで」

あまりの研磨の真剣な様子にごくり、と生唾を呑み込んだ黒尾の手が緩んだ隙に、サッと抜け出すと研磨はスマホで千歳に連絡を取りつつ、母に少し出てくると伝えて家を出た。ついでに、黒尾が腹が減っているようなのでおやつでも出してあげてと足止めしつつ。



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