傾く感情
ドサッ、と床に放られた。
「……え、ちょ」
「何」
ふすまを閉め平然と答える雲雀に、雛香は頬を引き攣らせた。
「なに、じゃねえよ!しかもここどこだよ」
「僕の地下アジトの僕の部屋」
「の、床になぜ俺はいるのかな?」
「床じゃないよ、畳だ。いつもはそこに布団が敷いてある」
「んなこと全くもって聞いてねえよ」
顔をしかめる雛香をおかしそうに見下ろし、雲雀はくっくっと喉で笑った。
起き上がろうと手をついていた雛香は、驚きに思わず動きを止め、顔を上げる。
黒いスーツに身を包んだ相手は、随分と背が高く見えた。当然か。自分が知る彼より、10歳年を取っているのだから。
その大人びた顔を綺麗に崩し、雲雀は楽しそうに笑っていた。
ちょっと新鮮な気持ちでその顔を見つめる。10年後の雲雀の笑った顔を見るのは、初めての事だった。
「……何。じろじろ見て」
「や……お前、綺麗に笑うなあと」
するり、口から零れた言葉に自分が1番ぎょっとした。
何言ってるんだ俺は。
「いや、別に、今のは……!」
慌てた様子で手を振り出す雛香に、驚いたように瞬きをした雲雀は、またもくすりと笑った。
「そう。……誘ってるってワケだ」
「……は?いや何言って、て、おい!」
畳に付いていた手を軽く払われる。途端、床に沈み込む自分の体。
ぐっ、と頭の横に手をつき、頭上を覆う相手に目を見開く。
雲雀はこちらを見下ろしたまま、うっすらと笑んだ。
え、待て、
これは、いったい。
どきどきと妙なほど跳ねる心臓に、雛香は思わず息を呑む。
完全に硬直した雛香の前で、雲雀はそのまま顔を近付け――。
軽く、こめかみに口付けた。
「……へ」
「何」
一瞬、額を掠めた唇はすぐに離れていった。
膝をつき、ぱっと立ち上がる相手をぽかんと見ていた雛香は、同じく畳から起き上がりながら口を開く。
「は、何?そ、」
そんだけ?
言いかけた言葉に思わず口を押さえる。
いやいやいや、何聞こうとしてるんだ俺は。
「……なに?」
ふっ、と笑った雲雀は、楽しそうに、というより加虐的にこちらを見返した。
「……ああ、もしかしてそれ以上されたかったの?」
一瞬、言われた言葉にきょとんと相手を見つめ、
理解した瞬間に、叫んだ。
「違うっての!!」
「へえ、そう?」
相手は眉をつり上げ、どこまでも楽しそうにそう言い放つ。
思わずさらに噛み付こうとした雛香の前で、雲雀はスーツの襟元から何かを取り出した。
「君を連れてきたのは、これを渡すためだ」
「……は?」
眉をひそめ、雲雀を見つめる。
こちらの疑問に頓着する様子もなく、雲雀は平然と手を差し出してきた。
「手、出しなよ」
言われ、手の平を上に出す。
ころ、とその上に落ちたのは、小さな四角い、
「匣……!」
「そう、君が使っていた……大空専用の匣だ」
驚いて顔を上げる。
雲雀は真顔でこちらを見下ろしていた。
「……ただ、リングは無いよ。10年後の君は壊し切ってしまっていたから、」
「リングならある」
「は?」
珍しい。雲雀は本当に驚いた顔をしていた。
内心ちょっと愉快に思いながら、雛香は懐からリングを取り出す。
「……これ、」
「球針態の中で貰ったんだよ。……なんか色々あったけど、」
そこで、ふと騒がしい2人の先祖が思い浮かび、雛香はげんなりした。脳内から白い双子の姿をさっさと追い払う。
「これがあれば……匣、使いこなせるってことだよな」
受け取った匣を手の上で転がす。たいして重みのないそれは、いとも簡単に手のひらを転がった。
ふと、脳裏を掠めるは、自分とよく似た顔立ちの青年。
『……匣は、ボンゴレの雲が……』
なるほど、そういうことだったのか。
1人勝手に納得した雛香の前、突如雲雀が手を伸ばし、がしりとこちらの手首を掴んだ。
「は、何だよ」
ぎょっとして相手を見上げる。
「……それ、まだ使ったら駄目だよ」
「は?」
ぽかん、と相手を見上げれば、やけに真剣な顔が視界に映った。
「君には経験が足りなさすぎる。……明日から僕が手合わせしてあげるから、開匣するのはその後だ」
「……え、ていうか手合わせ、って……」
物凄く嫌な予感しかしない。
頬を引き攣らせた雛香に、雲雀はいつの間に取り出したのか一対のトンファーを構え、
にやりと、笑った。
「……相手しなよ、雛香」
やっぱりな、と雛香は思わず深々とため息をついた。