寝起き
朝、目が覚めて一番最初に見るものが好きな人の寝顔というのは、なんて贅沢な幸福だろうか。
まだ半分微睡みの中で、ちさきは頬を緩ませた。起きなければ、とは思うが、あまりにも心地よくて布団から出がたい。あと少しだけ、と誰かに言い訳をして、気持ちよさそうに眠る紡の顔を眺めた。

寝顔はやっぱりいつもより幼く見えて、可愛く思える。それを指摘すると拗ねた顔をされるのだが、その顔も珍しくて可愛いので、つい言ってしまうのだ。
閉じた目蓋にかかった前髪を払い、頬を撫でる。そのまま辿り着いた唇をなんとはなしにつついた。

(柔らかいなあ)

男の人も唇は柔らかいのだと気付いたのは、いつのことだったろう。はじめてキスした時は気にする余裕もなかったが、何度目かのキスの時にふとそんなことを考えた覚えがある。
何度か感触を楽しんで、ふいにちさきはそうすることが自然のように唇を寄せた。吐息で紡の前髪が揺れる。だが、触れる寸前で我に返って顔を背けた。

(なんか、寝込みを襲ってるみたい)

これ以上変なことをする前にちゃんと起きよう。
と、身体を起こして布団から出ようとした時だった。

「なんだ、してくれないのか」

後ろから腰を抱き寄せられた。振り返ると、寝転がったままの紡に見上げられていた。

「お、起きてたの!?」

「あれだけ触られたら起きるだろ、普通」

「なら、なんで寝たふりしてたのよ」

「お前があんまり触ってくるから、起きるに起きられなかった」

それは確かにそうかもしれない。ちさきが同じ立場でも起きるタイミングを失っていただろう。
だが、それならそれで、もっと寝たふりをしていてくれればいいのに。
拗ねて睨むが、見上げてくる瞳はさっきから変わらない。まだ眠いのか、それとも他の理由からか、蕩けるような目でちさきを見つめていた。

「それで、してくれないのか?」

「……してほしいの?」

「ほしい」

あまりにも素直に頷くものだから、毒気が抜かれて恥ずかしさとふわふわとした気持ちだけが残る。
腰に回された腕は意外に強く、抜け出せそうにない。きっと紡はキスするまで離してくれないだろう。 だからこれは仕方ない、と誰かに言い訳をした。

「……じゃあ、目、閉じてよ」

小さな声で言うと、また素直に頷いて紡は目を閉じた。
布団の中にいるせいで、また眠ったようにも見える。そんなことはないと、わかってはいるけれど。
恐る恐る、顔を寄せる。近付くとごとに恥ずかしさが増して、堪らずちさきもぎゅっと目を閉じ、勢いに任せて口付けた。けれど、その感触は記憶にあるものよりも硬く、離れながら首を捻る。
くつくつと笑い声が聞こえてきて、ちさきは目を開けて眉を寄せた。どうしてか、紡が口元に手をあてて肩を震わせていた。

「なんで笑うのよ」

「まさか鼻にキスされるとは思わなかったから」

「……っ」

勢いに任せた結果、狙いがずれたらしい。どうりで硬いはずだ。
寝起きから積み重なった諸々に、ついに火がでるほど熱くなった顔を覆う。その間も押し殺しきれていない笑い声は続いていて、ちさきは唇を尖らせた。

「もう黙って」

笑い声を止めてやりたくて、その口を今度こそ唇で塞いでやった。記憶にある通り、柔らかく温かい。目蓋を上げると見開かれた紡の瞳とかち合って、悪戯が成功したみたいにちさきは目を細めた。



紡に振り回されてるちさきも、ちさきに振り回されてる紡も好きなんです。
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