未だ見えぬ真実
その時、オレは思わず身構えた。

たとえ見知らぬ人であったとしても、高揚した様子で石に向かって話しかけている時点で近付きたくない。
そのうえ、相手はあのNだ。初対面で「ポケモンは解放されるべき」という主張のもと襲い掛かられたことは、まだ記憶に新しい。

幸い、あいつは石に夢中で、オレたちには気付いていないようだった。
物音を立てないようゆっくりと踵を返し、上体だけ捻って手招きでポケモンたちを呼ぶ。だが、なにを思ったか、シーマとグリがNに近付いていった。

待て! お前らはあの時いなかったから知らないかもしれないが、そいつは危険人物だ!

オレの声にならない叫びが届くはずもなく、呑気にも2匹はNに声をかけた。

「ん? キミたちは……」

Nは一心に視線を注いでいた石から顔を上げ、シーマとグリを見やった。さらに、滑るようにしてその視線がこちらにも向けられる。
相も変らぬ仄暗い灰青の瞳に見据えられ、息をのんだ。

落ち着け、オレ。
あまりにも強烈だったからオレはあいつを覚えていたが、あいつがオレを覚えているとは限らない。
下手に絡まれる前にシーマとグリをボールに戻し、素知らぬふりして逃げてしまえば、

「ミスミ」

そんな希望的観測は、一音も間違えることなくNの口から紡がれた自分の名前に砕かれた。
なんで覚えてんだよ、ちくしょうめ。

観念してNに向き直る。知り合いか、とでも言いたげにシーマとグリがNとオレを交互に見た。

「ニンゲンを怖がらないポケモンがいると思えば。そうか、キミのトモダチだったか」

妙に納得したようにNが頷く。
どういう意図の発言かは知りようがないが、あまりいい意味とは思えない。
オレはシーマたちとNの間に割って入り、肩に移動したタージャとともにNを睨み上げた。

「ああ、そうだよ。こいつらもオレの友達だ。お前がどんな主張をしたって、絶対に解放なんかしないからな」

「そうかい、それは残念だよ」

Nは首を竦めてみせたが、あまり残念そうには見えない。

前みたいに実力行使にでる気か?

さらに警戒を強めると、ふっとNが小さく笑みをこぼした。その目は、珍しく目を怒らせるリクに向けられている。

「そのつもりはないから、安心してくれ。ボクはカレに会いにきただけだよ」

大仰に腕を振り、Nは台座に鎮座する石を示した。
なんの混じりけもない黒い石。大きさはソフトボール程度だが、自然物ではありえないほど丸い。まるですべてを呑み込んでしまいそうで、どこか空恐ろしいものを感じた。

とはいえ、ぱっと見はただの綺麗な石だ。
それでも、博物館に展示されているくらいなのだから、なにか謂われがあるのだろう。Nへの警戒はそのままに少し期待して、オレは台座に取り付けられたパネルの説明を読んだ。

『ネジ山で見つかった古石。古いこと以外に価値はない』

「ただの石じゃねえか」

無意識にツッコミが口から漏れた。
だが、誰にも責められないだろう。もはや、ツッコミ待ちとしか思えない。
こんなもの目当てでここにくるNはもちろん、展示してる博物館の職員も絶対変人だ。

と、頭上から硬い声が降ってきた。

「キミにはこれがただの石に見えるのかい?」

顔を上げると、そこには鋭く冷たい灰青の瞳があった。
思わず、身が竦む。

あの時と、同じだ。
この目は、やばい。

油断すると呑まれそうになるのを堪え、オレは真正面から見返した。

「見えるっていうか、そう書いてあるだろ」

「ふうん、期待外れだな」

「なっ!?」

反射的に怒鳴りそうになったが、思った以上に反響した自分の声に我に返った。
大きく息を吐き、つとめて平静を装う。

「なんで、お前にそんなことを言われなきゃならねえんだ」

「ボクはダレにも見えないものが見たいんだ」

「はあ?」

まったく繋がらない返答に、間抜けな声が出た。
だが、そんなことなどお構いなしにNは早口で続ける。

「ボールの中のポケモンたちの理想。トレーナーという在り方の真実。そして、ポケモンが完全となった未来……。キミも見たいだろう?」

「はい?」

「そうかい」

いや、肯定の「はい」じゃねえよ。意味がわからねえんだよ。
主張自体は前とたいして変わらないから今は置いとくけど、なんで、当然オレも同じ考えだろうと言いたげなんだ。
それとも、実のところオレの返事なんてどっちでもよかったんだろうか。

Nはオレを見ているようで、本当は見ていない気がした。

「だが、キミは目の前にある真実すら見えていないんだね」

声色に侮蔑と憐れみが増す。

「見えているものも見えない。トモダチの声も聞こえない。所詮はその程度のニンゲンか」

Nは顔を背け、目を伏せた。

なんで、ここまで馬鹿にされなきゃならないんだ。

理不尽さに腹が立って、拳を握る。
その時、リクが低く唸った。ついで、タージャも威嚇する時と同じ声で鳴く。シーマとグリもしきりに頷いた。
Nの目が微かに見開き、再びこちらに向けられる。

「どうして、それほどまでに……」

Nの問いかけはポケモンたちに向かっていたが、見定めるかのような、悪く言えば値踏みするかのような目はオレに向いていた。
頭からゆっくりと下がっていった視線が、ふいに止まる。そして、眼差しに険を滲ませ、訝しげに眉を寄せた。

「ジムバッジ?」

Nの目はオレのバッグにつけたサンヨウジムのバッジ、トライバッジを捉えていた。

「それがどうかしたか?」

「キミもポケモンを利用して名声を得ようとするトレーナーだったのか。少しはましかと思っていたが、そんな見かけだけの価値のないものを求め」

「勝手なこと言うな!」

かっと頭に血が上り、オレは怒鳴った。
Nは台詞を遮ることになったが、どうだっていい。そんなもの聞きたくもなかった。

「なにも知らないくせに、価値がないなんて決めつけるな!」

臆病でポケモンバトルになるとすぐに逃げてしまうリクが強くなりたいと願ったことも、そのためのジム戦で逃げずに戦い抜いたことも。
リクのためにタージャが手伝ってくれたことも、らしくないくらい必死で応援してくれたことも。
なにも知らないくせに、勝手に価値がないと切り捨てられることが許せなかった。リクたちの頑張りを全部否定された気がして、許せなかった。
絶対にこいつとは相容れない。そう思った。なのに、

「……なるほど。そういうことか」

何故か、Nが腑に落ちたという顔で頷いた。
その殊勝な態度に毒気が抜かれ、頭が冷えていく。

またタージャとリクがなにか言ってくれたのだろうか。人間の話――もっとも、オレ以外のサンプルは知らないが――はロクに聞いてくれないくせに、ポケモンの話はまともに聞くやつだから、多分そうなんだろう。

呆気にとられている間に、どこか満足げにNは踵を返し、出口に向かって歩き出した。

「まだ未来は見えない。未来は未確定……」

その時、意味深に呟かれた言葉の意味も、Nがなにを理解したのかも、オレには知りようがなかった。


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