secret


▼ 15-16の間話 二日酔いの話

「しんどい」

 太陽が燦々と照りつける晴れやかな朝。窓の外ではチュンチュン小鳥が囀り、青々と澄んだ空には適度に雲が棚引いている。本日もご機嫌よろしく、暑すぎず寒すぎずの大変よい気候である。

「だるい」

 朝日が射し込む明るい部屋。キッチンではことことお湯を沸かしているスモーカーさん。そしてダイニングに漂うのはコーヒー豆の芳しい香り。ほんの少しの葉巻臭さは別として、実に穏やかなモーニングの光景だ。
 まあ、それは朝食作りをサボったうえに酒臭く死んでいる、過去最高に落ちぶれたわたしを除けばの話なのだが。

「頭も痛い……」

 無論、泣けども喚けども快方に向かう訳はなく、不調を口に出したところで無意味である。しかしなぜ人は体調不良を口に出して訴えてしまうのか――その理由は誰にもわからない。

 さて、初体験のこの感覚、状況から察するにいわゆる二日酔いという症状らしい。どうやら大量の酒を飲んだ挙句のこのザマとのこと。わたしにはなんの心当たりもないにも関わらず、だ。
 なんとも理不尽な災難である。どうしてわたしがこんな目に合わなきゃならないんだ。当然ながらそれもこれも全てあのだらけきったパワハラおっさんことクザンさんの責任であることに間違いなく、色々込みで大変恨めしい。次顔を合わせたときには問答無用で砕き割らせていただくとしよう。あとなんか喉痛いんだけど酒灼けでもしたんだろうか。声が萎びた野菜の如くカスカスだ。つまるところ満身創痍だ。

「――ナマエ、気分はどうだ」

 ふと、やや気遣わしげなスモーカーさんの声が掛けられる。テーブルの上で頭を転がして視線を向けると、湯気の立つコーヒーカップ片手にキッチンを出た彼がテーブルに突っ伏しているわたしの向かいへ腰を下ろすのが見えた。そして勿論、気分は最悪である。

「端的に言うと吐きそうです」
「……吐き気があるうちは水を飲め」
「う、ありがとうございます……」

 ついでに持ってきてくれたらしい。なみなみと水が注がれたコップを差し出されたので、お礼を言いつつ受け取り、顔だけ上げて飲み下す。が、全く楽になった感じはしない。つらい。

「あ、そうだ。一応朝ごはんに、昨晩食べなかった分が残ってるんで、時間あればどうぞ……」
「あァ、……。それよりお前、今日はちゃんと休んでおけよ」
「そうさせてもらいます。まあ、今回に限っては、悪いのは全部クザンさんですし」

 なんとなく歯切れの悪いスモーカーさんに言葉を返す。妙に余所余所しく感じるのは気のせいだろうか。
 今朝、起きがけに遭遇するや否や珍しく引き攣った顔でわたしを見やったこの人は、そこからずっとこんな調子だ。なんというか、どうも不自然に優しいというか、他人行儀というか……。うーん、てっきりお酒のこととかに関してはお小言を頂くんじゃないかとばかり思っていたので、彼のこの粛々とした態度は色々と不可解なのだ。

 もしやわたし、スモーカーさんが引いちゃうほどのとんでもないことをしでかしたんだろか。てか酔ったときの自分の状態なぞ当然知り得ないので心底不安である。まじで、なんか変なことしてないといいんだけど。

「えー昨晩はその……ご迷惑をおかけした……んですかね。ともかくすいませんでした」
「いや……構うな。お前の言った通り、大半は青キジのせいに違いねェ」
「ならいいんですけど。というか、わたし居酒屋に引っ張ってかれてからの記憶がほぼないんですが……何か妙ちきりんなことしてないですよね?」
「……」
「あの……」
「…………」

 ノーコメントらしい。

 そしてスモーカーさんはすいと目を逸らす。……なにこのなんとなく気まずい感じは。普段なら悪態やら嫌味やらの一つや二つ飛んでくるところだろうに、スモーカーさんが言えないほどのことって、一体わたしは何をしたんだ……。
 訝るわたしを前にして、スモーカーさんは暫し考え込むように無言でコーヒーを啜っていたが、そうしているうちにやがて掛ける言葉を思いついたらしい。机にうつ伏せているわたしを見下ろしつつ葉巻を手繰り、彼は溜息に似た煙を吐き出した。

「まァ……安心しろ。大将方やたしぎの前ではそこまで酷ェことにゃなってねェよ」
「状況を限定するあたりにむしろ不安が募るんですけど……というか、たしぎ姉さんも来てたんですね」
「大して役にゃ立たなかったがな」
「ひどい言い草ですね……」

 きっと心配して来てくれたのだろう。またお礼を言っておかなければなるまい。大体たしぎ姉さんのようなうっかり屋さんで可愛らしい女性があんなむさいところへ行くべきではないのだ。彼女を危険に晒したという事実、こうしてまた一つクザンさんの罪が加算されたのである。

///

反応を伺うかのように、さらりと彼の手が頭に触れた。わたしの顔にかかった髪の毛ひと房を指で掬い上げ、そこで動きが静止する。不思議に思って視線をやると、スモーカーさんは相変わらずの仏頂面でじいっとわたしの顔を眺め返していた。

「……なんですか? そんなに見つめたってわたしの照れ顔は拝めませんよ」
「お前の反応なんざ興味ねェよ。ただ……素面は変わり無くて何よりだ」
「……わたし、相当でしたか」
「知りてェのか?」
「いえ、言わなくていいです。さっきの話聞いた感じ、無理に聞き出すと痛い目見そうなんで」
「それが賢明だろうな」

///
 
「お前、ガキの頃は何でも口に入れる方だったか?」
「ええ、何ですかその質問……。そんなちっちゃい頃のことなんか覚えてませんよ」
「……そりゃそうか。しかしお前、昨晩はおれにだけ妙に……いやまァ、どうだって構わねェんだが……」
「?」

 言い澱むなんてらしくない。

「なんですか……言いたいことあるならはっきり言って下さい」

と言いつつ、再び喉が渇いてきたのでコップに口を付ける。スモーカーさんが話し出すのを待って水を含んでいると、突如、彼は至って神妙な声色で問いかけてきた。

「お前、おれのことが好きなのか?」
「――ぶはァッ!? いきなりなに素っ頓狂なこと言ってんですか! 自惚れんのも大概にして下さい!」
「馬鹿、そういう意味じゃねェよ、おれァ真面目に聞いてんだ。大体、勘違いされるようなことをしたのは昨晩のてめェだろう」
「み、身に覚えがありません! そりゃ、好きか嫌いかで言われたらまあ、ヘビースモーカーなことを除けば一応嫌いではないですけど……じゃなくて、昨日のわたしは一体なにを……!」

///

「うースモーカーさんが変なことばっか言うから不調です、気持ち悪いです、吐きそうです」
「どうしようもねェから我慢しろ。今朝は何も食ってねェんだし、どうせ胃の中は空だろう」
「でも昨晩、お酒を誤飲する前後にクザンさんに色々食べさせられたような気がするんですよね……」
「それに関しちゃ、気にする必要はねェよ。もう残ってねェだろうからな」

どういう意味だろうか。

「……昨晩、吐かせてやっただろう」
「は?」
「本当は、あまりやらねェ方がいいんだがな。まァ、出した方が楽になるのは事実だし、昨晩はお前があまりにも泣きつくもんだから……」
「ちょちょちょっ、とま、待ってください」

「吐かせた、って、どういう」
「……洗面所に引きずって喉に指入れて戻させたが」
「な、な…………も、……申し訳ありませんでした」
「まァ、……海兵なんぞやってると、時化で船酔いした輩を介抱することなんかにゃァ常なんでな。慣れたもんだから気にするこたァねェよ」
「……わりと消えたいです」

喉が妙にヒリヒリするなあと思ってたのもそれが原因だったのか。

///

「とにかく」

「今後、二度と人前で酒飲むんじゃねェぞ」
「言われなくても、そのつもりです」

(企画倒れした間話です。スモーカー視点の前日譚もありましたがスケベすぎたのでお見せできません)

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