case.20


右近がキンタの対応に大人になったねえと誉めた。キンタが右近はどうなんだと訊ねると、「僕も大人になったよ!」といってベルトに手をかけた。慌ててキンタが止め、メグやすみれは悲鳴をあげ、紫苑は真っ青になって顔をそらした。
羊羹を食べながら「典型的な能天気お坊ちゃまだね!」とカズマが言うと、リュウが「なんとなく妙だな」と言った。
「なんていうか、どことなく…芝居がかってるというか…」
キンタと右近を見ながら、リュウは言った。
「そうだね…。私も思ったよ」
紫苑がいまだ右近の方を見られず、リュウとカズマに向かいながら頷いた。



紫苑たちは右近の寝たきりだという父親にあって、特別な部屋で食事をすることになった。
まさかこんなところで九頭龍匠の美術品に会うことになるとは…と思ったが、ことあるごとに事件にかかわっている謎の人物に一歩近づけるかもしれないという期待から、何も口には出さなかった。もちろん、以前のように誰かが怪我をしたり危険な目にあうかもしれないという不安はある。しかしそれ以上に、紫苑は知りたいのだった。かつて暗い牢獄の中で耳にした、九頭龍匠という人物について――。
「さあ! どうぞ」
いつの間に開けられていたのか、考え事をしていてすっかり右近の話を聞いていなかった紫苑ははっと顔をあげた。
「う……わ…」
その部屋には、立派な掛け軸が三枚だけかかっていた。三人の女が描かれている。
「雪月花ですね…!」
「ええ、まあ。絵柄からそう呼んでるだけで…作者の九頭龍匠は題も何もつけずに、『ただ四季折々の自然の美しさを懐かしむ死者の姿を描いた』だけ言い残してこの家を去ったそうです。まるで謎かけみたいですよね…! 僕や家の連中は、この幽霊を雪幽霊、」
着物をおさえて険しい表情をしている、吹雪に吹かれた女。
「月幽霊、」
満月を背に、ひっそりとたたずむ女。
「花幽霊、なんて呼んでますけど」
花の中で誰かを待っている風情の女。
「ゾっとするわ! 見てると、なんか死者の世界に吸い込まれてしまいそう…ねえ! 紫苑、リュウ君……」
メグが紫苑とリュウを振り返ると、紫苑は「四季折々、ね…」と意味ありげに呟いて肩をすくめてみせたが、リュウはまるで反応がない。呆けたように掛け軸を眺めている。
「リュウ君……?」
「えっ…あ……いや、何でもない」
メグの声にリュウは慌てて笑顔を浮かべた。
「この絵がここにあるってことは、九頭龍匠はかつてこの屋敷に滞在していたんですか?」
「ええ! 父はまだその頃小学校に入ったくらいだったそうですけど――夏の日の夕暮時に、いろんな怖い話を聞かせてもらったそうですよ! 九頭龍匠はこの山里に伝わるいくつもの怪談に興味があってこの村を訪れたんだそうです」
物好きな人ですよね、といって右近が高く笑う。
「キュウ? どうした?」
はた、とリュウがじーっと掛け軸を見つめているキュウの異変に気づき、声をかける。
「うーん…なーんかこの絵、変な感じがして…気のせい……かな?」
それは間違い探しをするように、何か当り前で見落としていることを探すような、そんな口調だった。
「あら…物好きね。そんな恐ろしい絵がお好き?」
開け放たれた思い襖の光を遮って、碧と蒔が入ってきた。
「姉さんたちも一緒に昼食を?」
「悪い?」
「いやあ、とんでもない。うれしいなあ、久しぶりじゃないですか!」
じろりと右近を睨みつける蒔に、右近は動じることなく笑顔を浮かべる。
「ふん! 他人同然の兄弟なんかと一緒にいたって、うれしくもなんともないに決まってるじゃない!」
「!!」
碧の言葉に、紫苑は眉をよせた。どうも裏がある、どころの話ではすまなさそうだ。
「お待たせしました」
右近の父親が、女中の節子に車イスでひかれながら部屋に入ってきた。娘たちに食事の用意を手伝わせるように言うと、三人は節子について部屋を出ていった。
「なんかビミョーな緊張感だなあ…リュウ?」
「ああ…九頭龍芸術あるところには、必ず不穏な影が潜む」
なにごとも起きなければいいが――、というリュウの声は、その時に限って頼りなく聞こえた。いつもなら、誰よりもその声を、言葉を聞くことで安心できるというのに、紫苑は胸の奥がざわついて仕方がなかった。





「残念だ…今しがたまで美しく蒼く輝いていた月が、雲に隠れてしまった…」
「そんなことよりも計画を延期しなくては! DDSが来るなんて予想外の出来事だ!」
「それはできません」
「え?」
「実は我々『冥王星』とDDS――及びその校長である団守彦氏は長い付き合いでね。したがって私は、こうして彼らと相まみえることになった現象を偶然とは思えないのです。まさに運命の導き――そう、お互いがお互いの宿命の糸車に手繰り寄せられたかのように…。おそらく九頭龍匠の描いた三枚の幽霊画こそがその運命の糸を手繰り寄せる糸車なのでしょう」
「で…ではやはり計画は……」
「もちろん予定通り実行していただきます。もはや後戻りはできません――。そして最初の契約通り、我々は決して手を貸したりはしません。例えばあなたがミスをしてなんらかのトラブルが発生したとしても、私はあくまでも傍観者に徹することになる…よろしいですね?」
「わかりました…!」
「それともうひとつ。忘れていただきたくないことがあります。計画立案の報酬は――よろしいですね…?」
「……はい」
「すばらしい…! あなたはよき依頼人です――。
 おお……ちょうど月が再びその美しい姿を見せてくれました。――そう…自己紹介がまだでしたね。

 私の名はケルベロス。

 では…この完全無欠たる計画がうまく運ぶことを祈願して――乾杯!」





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