case.13 |
「アリバイトリック!?」 「ええ…」 リュウはペンのキャップをはずして、ホワイトボードに図を描きつけていく。 「私たちが明かりのついてた窓を見上げ、窓の隙間から突き出た腕を発見した時、実はすでに事件現場には犯人などいなかったんです」 「で…でも確かに何者かが引き込んだように腕は窓の内側に消えたんだぞ?」 「そうだわ! 誰もいなかったのならどうやって…!?」 白峰と桜子がもっともらしい反論を立てる。 「簡単なことです」 リュウがホワイトボードの窓にあるものを描き足していく。切断された腕が描かれ、何か糸のようなものが腕に結びつけて描かれている。 「細いテグス糸などを切断した腕に縛りつけ、反対側の隙間から外に引っ張り出し、このようにして――建物の下にいた誰か≠ェ引っ張ったんです!」 「窓の向こうに切断した腕を落とすだけならこれで十分ですからね」 ペンを置いて、リュウが補足する。 「やれやれ! 何を言い出すかと思ったら…」 真木が呆れたように首を横に振る。どうやら意見があるらしい。 「君たちのそのやり方じゃ窓の内側に転がり落ちた腕が残っているはずだが、そのなものはなかった! 君だって現場を見たろ? 腕は二本ともポリ袋に収められ、壁際にあったんだ!」 リュウの方を見ながらさらに続ける。 「つまり犯人は窓の外に死体の腕を出し、建物の下に揃っていた我々を挑発した後――その腕をポリ袋に押し込んで部屋の隅に放って逃げだした……。我々が上がってくるほんの1、2分の間にだ! それ以外考えようがないじゃないか!」 「窓から部屋の中に消えた腕は郷田さんの腕じゃありませんよ」 紫苑がくすり、と笑って真木の反論を覆した。 「あの腕は、最初の事件で消えたままになっていた三郎丸豊さんの右腕≠ナす!」 自信に満ちた言葉に、その場にいた全員がはっとする。紫苑は説明をリュウと交代すると一歩下がった。 「三郎丸さんの右半身が現場から消えていた理由もそこにあります。つまり犯人はこのアリバイトリックに利用するために三郎丸さんの死体から右腕を持ち去る必要があった……しかし腕だけ切り取って持っていったのでは何か目的があるのではと疑われる――だから切り裂きジャック事件になぞらえて、まっぷたつにされた体の右半分ごと持ち去ることで巧妙にその疑いを逸らしたというわけです。 我々は部屋の中に腕が消えた後、犯人がまだ部屋に残っていると思いこんで全員で警戒しつつ現場に向かった。そして現場の前の廊下で我々が目にしたものは……薄く開いたドアと、そこから延びる血まみれの足跡だった。当然全員が腕が突き出ていた部屋はあそこに違いないと思い込む―――! 実はこれこそが切り裂きジャックが仕組んだ心理トリックだった――…本当は腕が突き出ていた部屋は足跡が延びていた部屋じゃなく、手前隣のドアの閉じている部屋の方だったんです!」 「!!」 「もしあの時、瞬間記憶能力のあたしがその場にいたら一目で部屋の不自然さに気付いてたはずです。空間図形の想像に強い紫苑でも」 「でも、あの時、メグと私は二人きりでエレベーターホールに残っていたから、現場となった部屋がどこなのか自分たちで確認できませんでした」 「ですからついさっき、現場に行って確認してきたんです。まちがいありません。頭の中のスクリーンにいつでも再生できる映像がすべてを物語っています」 「腕が突き出ていた部屋は外から向かって右から5番目――。そして郷田さんの死体が発見された部屋は隣の4番目でした……!」 「もともと収容所だったせいか、あの部屋の明かりは廊下のスイッチでもつけたり消したりできるようになっていました。つまり犯人は、みんなが駆け付けた時点でつけっぱなしになっていた5番目の部屋の明かりを騒ぎに紛れて――廊下のスイッチで消して、残った腕を後でゆっくり回収した…」 「このトリックなら、あの時ここにいる誰でも仕掛けられた。つまり、全員にアリバイがないことになるんです!」 メグと紫苑がかわるがわる推理を披露すると、さすがの真木も反論はしなかった。それ以上に、動揺しているように見えた。 「実は今の心理トリックは、獅子戸事件でオレとキンタが部屋をノックされ――廊下の足跡を発見した時から始まってたんです!」 いよいよキュウが踏み出して、これまでのヒントから導き出された推理を口にし始めた。紫苑たちは黙り込んで、話を聞かされているみんなの反応を静かにうかがっていた。 「あの印象に残る足跡のせいで、犯人は現場に堂々と足跡を残す奴なんだっていう思い込みが生まれ、その結果――次の殺人で足跡を見た時、何の疑問も抱かずそこが現場と決めつけてしまった。今にして思えばあの足跡にはいくつもの巧妙なワナが仕組まれていた。ひとつはその場のちょっとしたアリバイトリックとしての効果――、2番目が今話した郷田事件のための伏線――、それと実はもう一つ、この足跡は自分に容疑が向かないように仕向ける心理的ワナでもあったんだけどね…! でも――犯人にとって自分を安全圏に置くための重要な小道具だったはずのこの足跡が、逆に犯人の正体をはっきり示すことになってしまったんだ!」 「ど…どういうこと!? キュウ君!? もったいぶってないで早く話しなさいよ!」 耐えかねたように桜子が声をあげると、キュウが静かに場所を変えようと提案してきた。獅子戸事件の現場に続いていた足跡を実際に見て検証しよう、といいだしたのだ。 「足跡の泥は乾いて白っ茶けてきてるけど、今でもはっきりわかるでしょ? それじゃみなさん、この足跡を追って現場に向かってください!」 キュウの言葉に、桜子と白峰がゆっくりと階段を登り始める。そして途中に差し掛かった時、キュウが「ストップ!!」と二人を呼びとめた。 「動かないで! そのままゆっくり足元を見て!!」 「足元を見ろって…? な、何が…!!」 白峰が言われるまま下を向くと、あることに気が付いて目を見開いた。 「こ……この足跡…不自然だぞ!!」 「そう! やってみればわかるけど、実際に歩いて上がったとしたらこんな踏み板の狭い階段ではよっぽど意識してわざとそうしない限りこんなふうに足跡が踏み板にぴったり収まっちゃうわけないんだ!」 白峰の指摘に、キュウは嬉しそうに答えた。 「無意識につま先が当たるのを避けようとするのと重心の関係で踵が半分出たような足跡が残るはずなんだよ。犯人がここを上ったならわざわざこんな不自然な足跡残す必要はないでしょ? つまりこの足跡は歩いて付けたものじゃない! 足の代わりに手でひとつひとつ泥グツを押しつけてつけられた足跡なんだ! だから何気なく歩いたら絶対ないような不自然さを残してしまった。 じゃあなぜ犯人はわざわざ手を使って足跡なんかつけなくちゃならなかったのか? その答えは一つしかない。犯人は歩いて階段を上ることができなかったんだ! ねえそうでしょ?」 キュウが振り返りながらそう言う。視線はその人物に集中した。 「団先生!!」 キュウのぴっとのびた指先が団を捉えた。 「この事件の真犯人・切り裂きジャックは団守彦先生、あなただ!」 |