「五行を知っているか」
《……木火土金水であろう?》
「ああ」
未だにセーラー服に袖を通したまま、帰宅した桔梗が唐突に焔狐に話しかける。
通学してはいるが、烈火たちと接触をしてきたのは陽炎で、唯一接触がある凍季也も桔梗とは学年が違うため、まだしばらく桔梗はただの転校生として扱われていた。仲良くされるより、ひとりにされる方が楽だと思っている桔梗は、時折耳に入ってくる烈火の噂を集めるためだけに教室へ通っていた。
「火影魔導具は、そのそれぞれに対応したものがある」
《…火は、頭首にしか使えないのではなかったか?》
焔狐が、一度として頭首であったことがない桔梗に訊ねる。桔梗は肯定するように目を閉じた。
「しかし、ある。木は木霊。火は偽火。土は土星の輪。金は鋼金暗器。水は閻水だ」
焔狐はするすると服を脱いで着替える桔梗に背を向け、九つの尾を揺らしながら言葉の続きを待つ。すっかり着替え終わった桔梗が焔狐を追い抜いて歩き出した。
「風神と雷神は両極端な例であるし、式紙と式髪のように似てはいるけれど異なるものもある」
《何となく、洒落で作ってはいないか》
「そこそこな」
苦笑いを浮かべ、座敷で影界玉から烈火の様子を伺っている陽炎のもとへ向かう。
彼女たち以外は誰も知らない火影の隠れ家は広く、退屈だ。老いることもなく、死ぬこともない二人はただただ年月を重ねてきた。その絆は、実の親子以上に深く強く結びついている。
「まあ、作ったのが冗談好きな爺さんと、それに張り合う爺さんだったからな」
《それで良いのか》
「良いさ。…ただいま、陽炎」
帰宅を告げると、陽炎が振り返った。真剣な眼差しをぱっと綻ばせて、柔らかく微笑む。
「お帰りなさいませ、桔梗様」
「烈火は、今日も元気であったぞ」
「……左様ですか」
見るからに安堵した陽炎を見て、桔梗もほっと息をつく。
「ところで桔梗様、一つ伺っても宜しいですか?」
「ん、なんだ」
座布団に腰を下ろし、焔狐の背中を撫でながら問い返す。陽炎が桔梗の前に座り、姿勢を正した。躊躇いがちに口を開き、顔を上げて桔梗を見据えた。
「敢えて訊くまいと思っておりましたが、桔梗様と水鏡凍季也の関係をお訊きします」
ごろりと、右目蓋の奥で、存在しないはずの眼球が居心地悪そうに転がった。眉を寄せて視線を膝元に落とす。
「……長く、なる」
火影の里として最後の戦に居合わせ、烈火を助けるために禁忌を破った陽炎。不老不死となったとき、桔梗に出会った。本来なら頭首以外使えるはずのない炎の獣を携えて、悲しそうな瞳で静かに陽炎を見据えていた。
それから陽炎は桔梗の話を聞き、二人で火影の隠れ家に住まうことを決断した。桔梗がなぜ隻眼なのか、そして不老不死である理由を聞いた上でのことだ。
「構いません。…お話、してくださるのなら」
しかし桔梗が水鏡という名にこだわる理由は聞いたことがない。水鏡凍季也にこだわるというより、水鏡家に固執しているように陽炎は感じていた。その理由を、問う。
「そうだな…。巡という男がいた。昔のことになる…」
しみじみと深く思い入りながら、ゆっくりと言葉をつむぐ。焔狐がうっすらと開けていた目を閉じた。
桔梗が話し終える頃には、日も暮れて夜が更けていた。食事のことさえ忘れて話に聞き入っていた陽炎は、物語の終結に大きく息を吐いた。
「そんなことが……」
「戦う理由があったんだ。…私も、巡も」
過去形にならざるを得ない話に、陽炎は小さく痛む胸を押さえた。
すっかり眠ってしまい、姿を消した焔狐の跡地を撫でて、桔梗が微笑む。
「不思議なことだよ。二人の男が戦っている、とは」
「それは、」
「例えば、烈火と水鏡」
陽炎を遮って桔梗が続ける。
「どちらも、柳を守ろうと、自分の信念を守ろうとしている」
火と水の、性格も対称的な二人を思いだしてか陽炎がくすりと笑う。始まりや過程に違いがあれど、目的は同じなのだ。
「例えば、巡と水鏡」
小さく笑ってから続ける。
「似ている二人だというのに、守るものは違う。片方は家族を守り、片方は家族に守られた」
二人の結果が、重ならないことを祈る。
闘う理由があるのだと、月明かりの差し込む座敷で、再度桔梗が呟いた。
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