まっさらな黒板に、黄色いチョークですらすらと字が連ねられていく。
「東雲桔梗さんだ。東雲さんは、家庭の事情で今日からみんなと勉強する。まだ五月だしな、仲良くしてくれ」
県立名古霧高校、一年生のとある教室。教壇に立つ縦に長い男性教諭の隣に、長い黒髪の小柄な少女が立っている。クラスメイトは、誰もがその端正な顔を隠す医薬用の眼帯に視線をそそいでいた。
一人、この学校の制服ではない真っ黒なセーラーに身を包んだ桔梗がにこりと笑う。
「よろしく」
どこか人間離れした雰囲気に、教室は静まり返った。
「東雲さん、お昼一緒に――あれ?」
「あれ、いないね」
昼休み、声をかけようとした女子がぽかんとする。桔梗のカバンはあれど、姿はどこにもなかったからだ。
「…出て行くの、見た?」
「ううん……」
不思議そうに首を傾げあう。
空席を見て、一度足を止めた風子は、廊下から呼ばれる声に反応して教室から駆けだしていった。彼女にとって気になる噂を耳に挟んだからだ。
曰わく、花菱烈火が佐古下柳の忍を止めた、と。
近所の遊園地は平日の放課後であるにも関わらず、人で混み合っている。制服姿の学生も多く見受けられ、長身にライトブルーの長髪を背中でくくった水鏡凍季也と、気分が低めな柳もさほど浮いているようには見えなかった。
《…不法侵入、と言うのではないか?》
「焔狐が遊園地への入り方を知っているなら、是非教えてくれ」
《………》
裏口からそっと侵入した桔梗が、木の陰に身を隠しながら、二人の様子を伺う。一度着替えたのか、セーラー服から、私服になっていた。
凍季也は柳をベンチで休ませ、ソフトクリームを屋台で購入する。手渡せば柳は無邪気に笑ったが、凍季也はどこか寂しげだった。
「やはり、あいつとは性格も考え方も違うんだな」
鏡の迷宮に向かう二人の後を尾けながら、桔梗が呟く。人前では姿を現せない焔狐は、相槌ひとつ打たずにそれを聞く。
「初めて見たときも思ったが、本当に、そっくり…瓜二つなんだよな」
懐かしい面影を凍季也に重ねながら、営業終了の看板が立てられた建物の前に立つ。二人きりで会話をするために、よくもここまで頭が回るものだと感心する。
烈火が来る前に、桔梗自身も凍季也たちを見つけねばならないと足を踏み入れた。
「……鏡は、怖いな」
《何がだ》
「本物が解らなくなる。…私が馬鹿なのか?」
《我には解らぬよ、主》
「…そうか」
靴音を響かせないように、注意深くゆっくりと歩く。それでいて、どんな小さな音も聞き逃さぬように神経を尖らせる。
すぐ先から、ガシャンとガラスが割れたように、大きな音が聞こえた。ため息をつくと、桔梗は鏡にそっと身を寄せながら、その先に向かう。肩まで髪を切られた柳と、守るように立つ烈火、対峙する凍季也を視界に収め、眉を寄せた。
「てめぇか、水鏡! 姫の…女の子の髪を切ったのは!!」
怒りも露わな烈火が、割れた鏡を体中に受けたまま凍季也に怒鳴る。対する凍季也は全く動じておらず、火影魔導具のひとつである、閻水を構えていた。
「とりあえず、こっから離れてケジメつけよか、大将!」
「――いいだろう」
凍季也は烈火の言葉に頷くと、ちらりと桔梗に目を流してその場を離れた。
残された柳に、桔梗が近付く。
「…まったく、どいつもこいつも外見ばかり似ていて困る」
「あ、あなたは…!?」
「まだ、名乗る時期ではない」
驚く柳を見て、陽炎であったら怯えさせていただろうと察する。
「全ては、烈火の為に」
桔梗は口下手を痛感しながら、柳を見つめた。
どこかから、水の音と破壊音が聞こえる。
「烈火はこれから、否応なしに戦う運命に巻き込まれる。柳、貴女もだ」
「戦う、運命…?」
「そう――もう一人の炎術士が現れる」
二人の戦況はわからない。
「影法師という女が与えた試練は無駄ではないのだ」
その言葉に驚きながらも、柳は耳を傾ける。
「いつか来るその時は、今まで争っていた者を仲間と呼ぶだろう」
桔梗が言い終えると、特に大きな音が響いた。
《ここを破壊するつもりか》
「えっ!」
突然現れた焔狐と焔狐の言葉に柳が驚き、駆け出す。引き止めることもなく、桔梗もゆっくりと出口へ歩き出した。
「…水鏡、水は火で消えるんだ」
戦闘の衝撃でひびが入った鏡にふれながら呟く。桔梗が歩を進める度に、焔狐の炎が薄れ、火の粉を撒き散らして消えていった。
鏡の迷宮を出て立ち止まり、振り返ると黒髪がふわりと揺れた。
「油断していたな、水鏡」
「……うるさい」
桔梗から少し離れて、傷だらけの凍季也が視線をそらす。握り込んでいた閻水に視線をおとし、息を吸って顔を上げる。
「君は、一体――…」
その先には、誰もいなかった。
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