ー数日後、黒の教団ー



奈楠は談話室に居た。ソファーの背もたれの上に腕を乗せ、その上に顎を乗せて窓の外を眺めていた。頭の上にはリィムが鎮座していた。時刻は朝8時。アレンとリンクは食堂で昼食を取っている。奈楠はアレン達より早めに朝食を終え、談話室にいた。



何時もならリナリーと共に科学班に珈琲を淹れに行っている時間なのだが、今日は珍しくリナリーは寝坊した様で、時間をずらそうということで落ち着いたのだった。リナリーも、アレン達と共に朝食を取っている筈だ。恐らく、立て続けに入った任務の疲労が重なったのだろう。ここ最近、2人で居ることが少なかったからか、昨日のリナリーはやけに奈楠にベッタリだった。まぁ、リナリーが居ないと逆に落ち着かないから問題は無いのだが。一緒に食堂に居ても良かったのだが、どうしてか、今日だけは1人になりたかった。



談話室には奈楠1人。それを良いことに、奈楠はただひたすらに窓の外を見つめてボーッとしていた。既に朝の鍛錬は終わらせてある。久しぶりのゆっくりした時間に、安堵しているのは事実だった。頭の上に静かに鎮座しているリィムの重みが心地良かった。









(我らは人体生成により半AKUMA化した者ゆえ、イノセンスを受けつけぬのです。何卒、ご容赦を)









奈楠の頭に浮かぶのは、数日前にトクサが告げた言葉だ。その数時間後、コムイから直々に第三エクソシストの説明と紹介があった。あの時の皆の困惑した雰囲気は忘れられないものだった。いくら“半”AKUMA種といえ、体内にAKUMAが混ざり込んでいることには代わりはない。本当に自分達の味方なのだろうか、と不安になるのも当たり前だ。拒絶し、煙たがる団員もそう少なくはない。実際、マリが言ったように、教団にはAKUMAを憎んでいる者が大半なのだから。



『(……サード……か……。第一母胎であるアルマ・カルマから複製された、人造使徒……。……9年前の“惨劇”……。……本当に、どうして……)』



目を瞑れば、鮮明に浮かんでくるのは奈楠の中にある筈の無い“記憶”。怪盗Gの任務……、ハースト孤児院でのAKUMAとの戦闘の直後から、奈楠には異変が起こっていた。内面的な異変を知っているのは奈楠だけだったが、外見的な異変を知っているのは、アレンと神田だけだった。外見的な異変は、奈楠でさえも気付いていない。アレンの中の14番目のメモリーが覚醒し、同時に奈楠の中のイードレのメモリーが覚醒した時の事だ。



あの時の事を、奈楠は全く覚えていない。敢えてその事を告げずにいるアレンと神田は、コムイにすら報告していなかった。



目を瞑るだけで映し出されるその映像に、奈楠は正直うんざりしていた。それがイードレの“記憶”である事に代わりはないのだが、そのせいで、夜になり、ベッドに横になっても寝付けないのだ。いくら疲れていても、目を瞑れば頭の中に流れてくる映像に、うんざりしていた。



その映像は毎回毎回同じ物で、変わることはなかった。場所はアジア支部で、イードレらしき女性エクソシストの傍にいる少年。はしゃぎ、騒ぎ、時に叱られ、毎日欠かさず穴に向かって話しかけているその姿。その姿に心を打ちのめされそうになるのは何故なのだろうか。その少年は、いつだって笑っていた。



その映像は、いつも同じ尺度でリピートされる。ある一つの穴から腕が伸びていて、その腕は少年に向かって指を指していて。それを見て、照れくさそうにしている少年。そこで、終わるのだ。どんなに先を望もうと過去を望もうと、そこしか映し出されない。



一体私に何を見せたいのだ、何をしたいのだ、と思わずにはいられない。睡眠不足から出来た目の下の隈を、周りに心配されるようになった。大丈夫だ、と言っても中々信じてもらえず、医務室に強制連行……自室に戻らされたこともある。それでも結局、寝れないのだ。寝れたとしてもせいぜい30分か1時間程度。いい加減ストレスで押し潰されそうだ。



でも、そんな事も言っていられなかった。近い内に起こるであろう大戦に、準備を進めておかなければならない。自分は何の為に此処に居るのだ。AKUMAを破壊する為?戦争を終わらせる為?この世に平穏を取り戻す為?……それもある。その理由だけでも十分戦える。けれど、自分の一番の目的は、「仲間を守り、救うこと」だ。それが出来なければ此処に居る意味は無い。存在意義が無い事に等しかった。教団の為に、仲間の為に、アレンの為に、リナリーの為に、神田の為に、ラビの為に。



『…………頑張ら、……なきゃ……』




































「………………」
『…………なーに、』
「………………」
『……おーい…………』



ギッ、と奈楠が座っているソファーが軋んだ。1人分の重みが追加される。黒くて丸いゴーレムと、リィムが威嚇し合う。それを見て、奈楠はクスクスと微笑む。無言で奈楠の隣に腰掛けたその人は、腕を組み、目を瞑っていた。



『……神田』
「……奈楠」
『……んー?』



依然窓の外を眺めながら、奈楠は神田に返事をする。神田は奈楠の名前を呼んだだけで、後は何も言わなかった。静かな雰囲気は、昔から心地が良い。2人で過ごす時間は本当に久しぶりな気もした。昔から、ずっと一緒に居てくれる神田。そんな幼馴染の彼の事が、自分は本当に大好きだ。リナリーと居る時とは、また別な安心感。その心地よさに、奈楠はフ、と目を細める。



「奈楠」
『んー?』



再度神田は奈楠の名前を呼んだ。返事をするものの、相変わらず神田の方を向かない奈楠。しかし、何を思ったのか徐ろに神田の方に顔を向ける。何だか、視線を感じたのだ。それはその通りで、奈楠と神田の視線が絡み合う。



ん?と首を傾げる奈楠の頬に神田は手を伸ばし、その手を上へ上へと上げていく。そして、奈楠の目の下に出来た隈を親指でそっとなぞる。擽ったそうに肩を竦める奈楠に、神田の雰囲気は柔らかく変化する。けれど、その隈を見れば、神田の眉は顰められる。



「……寝れねェのか」
『……うん』
「……そうか」
『……でも、ね』



神田の指は、気持ちいいよ。そう言った奈楠に、神田はほんの少しだけ目を見開いて、……そうか。と返した。



寝れない理由など言えるはずは無かった。神田の過去も、名前を呼ばれたくない理由も、“あの人”の事も。全てを知り、それを言えずにいる自分に、神田を頼る資格なんてなかった。それは他の人達にも言えることで。アレンも、リナリーも、ラビも、ミランダも、マリも、クロウリーも、コムイも、リーバーも、……クロスも。“この世界”を知っている事を隠してきた自分には、誰にも頼る資格は無いのだろうと思えた。けれど、打ち明ける気は無い。これまでも、これからも。



……それでも、今。今だけは。この優しい指に、甘え、頼り、縋っていたかった。



『……ねぇ、神田』
「……何だ」
『一緒に行こう。……アジア支部』
「……あぁ」



お願い、もう少しだけ。あと少ししたら、ちゃんと“強い自分”に戻るから。



だから、あと少しの間だけ、触れた手を離さないでください。弱いところを見せてごめんなさい。でも、これで最後にするから。



だから………これが、本当に最後。



泣きはしない。6年前のあの日、もう自分の為の涙は流さないと決めた。何処か震えた声で名を紡ぎ、目元に置かれた指の上から、そっと自分の手を重ねた。目を閉じて、その言葉を伝えた。



『……神田』
「……奈楠?」
『……ありがとう』
































瞼の裏に映った少年は、やっぱり今日も、笑っていた。


ふとした弱さを貴方に見せた

(……奈楠。いつか、お前が消えてしまいそうで)
prev next

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -