一、病める庭

 日は陰ったが、空はまだ明るかった。落ち葉のじゅうたんに腰を降ろし、改まったよう惨憺たるその有様を眺めた。生々しい死の匂いと、雨に打たれた土の香りが漂う新林の中、警察官達が足を運んでいた。

「――うわぁ、こいつは酷いな……。光景だけ見れば切り裂きジャックと比肩しうる、ひでえ死体だ」

 死体には普通の人間よりも免疫がある。だがそんな男の声にも、いくばくかの恐怖心が混ざる程に壮絶な状況であった。

「何よりもこの真っ赤な動物は何だ? 野犬のように見えるが、皮膚病の犬だろうか。だとしたら俺達も気を付けねえと、何か妙な病気を振り散らかすかもしれんぞ。処理には気を付けないと」
「いや、それにしたってこれは何なんだ? あまりにも禍々しすぎる物体だな……何らかの突然変異で姿が変化でもしたんだろうか。犬が背中に目ん玉なんかついているわけがないな――」

 男は口元に冗談めいたような笑顔を浮かべていたが、話している最中で段々と吐き気がこみ上げたのだろう。やがて堪えきれないように口元を覆った。それでも指と指の隙間を掻い潜り、その強烈なまでの血の匂いは口と鼻腔に自由に入り込み、肺と胃を揺さぶった。

「だが、不思議だ」
「何が?」
「……凶器は……一体何だ? こいつはまるで弾丸で頭を弾かれたような死に方だが、拳銃だとしたら焦げた形跡が残る筈なんだが……」

 男が眉間に皺を寄せながら語ると、嫌悪感を抱いたような顔つきで死骸に指を伸ばした。同調したようにもう一人の警察官も肩を竦めた。

「付近に着弾の気配もなければ、銃声を聞いたという声もこれまで出てきていない。例えるなら、体内に仕掛けられた爆発物が破裂して潰れたような死に様じゃないか?」
「内側から爆破だって? そんな魔法みたいな技、出来る奴がいるのか」
「さあな。いるとしたら本当に魔術師か――」

 言い置いて、男はしばし考え込むように口を閉じた。ややあってから、男は何か閃いたようにその腰を上げた。

「……いや。俺の知っている中に一人、いたな」
「何だって?」

 思い直したように、男がため息を漏らす。風の勢いを借りた雨水は、一層激しさを伴いこちらを打ち抜いた。

「表向きには出せない、奇怪な猟奇事件の解決に協力する探偵……だそうだ。法王庁の命によってのみ動く密偵のようなものだと聞いている。――しかし素性は俺達も詳しく知らない、全てが解決しても詳細は明かされないままだという。噂では強力な霊力を持った者しかその任務に就く事はないというが」
「霊力だと……? そいつとこの化け物の死体に何の関係が?」
「念動力のようなものが扱えるらしい。触れずにその物体を動かしたり浮かしたり――更に能力が高い奴にとっては、人間の体内の組織を圧迫させたりして頭部を爆発させる事くらい容易じゃない、とか」
「けどそいつがコレをやったっていうんならあまりにも軽率じゃないか。こんな堂々と死骸を放置しておくなんて……もっと目立たないようにやれんもんかね?」
「いや、真相は分からん。飽くまでも噂は噂でしかないし、もしそいつだとしたらあえてこうやって目立つように放置していった可能性もある。こちらに気付かせる目的、というか自分がいる事を知らせる為の信号としてな」

 いずれにせよ、胸糞の悪くなるような代物でしかなくこちらの吐き気を催すものでしかない。一秒でも早く、目を逸らし口を塞ぎたくなる代物だった。

「と、言う事は――そいつが今、ロンドンの中にいる可能性が高いという事ですか」
「まあ、恐らく……な。何の事件で派遣されてきたかは知らんが――俺達に周ってこないような、妙ちくりんな事件なのは確かだろうが」

 男が硬い表情で言った。ロンドンは二つの顔を持つ、きらびやかなヴィクトリア朝の裏に隠れた労働者達の顔を。封建制度は崩壊し、『貴族』と『農民』という階級は、資本家と労働者に名前を変え、社会はまっぷたつに分かれてしまった。今のように労働基準法や労働組合なんてなかった当時、労働者は過酷な労働条件の元で働かざるを得なかった。経営者たる資本家は、一方的な条件で労働者を荷馬車の如く働かせて最低の暮らしも出来ぬほどの額しか払わなかった。

――だが、雇用条件が過酷だろうが職に就ける者はこれでもまだ『マシ』な方であり、路上でもっと凄惨な暮らしを強いられる民は山のようにいた。そういった場所では良心など持ち合わせていられない、いわゆる無法地帯といわれるような区域と化していた。

「まあ、貧民街のような荒れた場所で俺達警察官の権限があるかと言われたらそれは難しいところですからね――」
「はぁ……、何だかキナ臭い事になってきたな……いや、初めから――か」






 屈強な大男が二人がかりでは、流石に手も足も出せなかった。何の武器も持たない青年――アーノルドはほとんど抵抗する間もなく、あっさりと相手側の攻撃を許してしまう。そのくらいの判断も出来ないなんて、自分は何て詰めが甘いんだろう……これだから二流などと陰口を叩かれてしまうんだ……容赦なく組み伏せられてしまう情けない我が身を憐れみながら、アーノルドは思う。後頭部を男のごつごつした手でしっかりと掴まれ、挙句顔面から地面に押さえつけられた。頬が乾いた砂地に擦れ合い、ひりひりと痛む。所々皮膚の破けた感覚がある。

「さっきからウロウロと怪しい野郎だなァ。言え、一体何するつもりだ? ええ?」
「だから……さっきから何度も言っているだろう、身内に会いに来たんだ!」

 必死に頭を持ち上げながら、アーノルドは千切れチ切れに叫ぶ。

「身内だぁー? そういやぁ兄貴、近頃シャンテクレールの旦那の周辺をコソコソ嗅ぎまわってる輩がいるそうじゃないですか……」

 不躾にアーノルドの顔を覗きこみながら、男のうちの一人が呟いた。

「……関係無いね」

 そう吐き捨てるように言ったアーノルドの言い草が気に入らなかったのか、頭を抑えつけている方の男が力任せにアーノルドの頭をねじ伏せた。

「おい、こいつの持ちもん調べろ。そこに鞄がある」
「っ、おい、勝手に触るな!」

 アーノルドの要求が通る筈も無く、男は鞄を手に掴むと、逆さまにして中身をその場にぶちまけた。見る限り、そのほとんどが書類や新聞の切れ端……紙ばかりである。書類の束の上に転がったペンを男が拾い上げる。

「おお、中々上等なペンじゃねえか。旦那さんの部屋にあったのと似てるな」

 それは皮肉でも何でも無く、純粋に感心しているような口ぶりであった。

「……おい」

 呑気にペンの造形を隅々まで眺めている男を、もう一方の男がどやした。只でさえ迫力のあるその男に凄まれて、慌ててペンから目を離し鞄へと片付ける。

「紙切ればっかじゃねえかよ」
「大事な仕事の資料なんだ、汚したり紛失させたりしたら……」

 当然のようにアーノルドの訴えは聞いていないような素振りで、男はしゃがみこんで散らばった私物の山をしげしげと観察する。

「どれ……手帳に、もう一回りおっきな手帳……こりゃあ日記帳か? やあ、また更に大きな帳面もある。あとは紙切れに、財布に、小説が一冊……か」

 男は手短にあった小説を手に取ると、パラパラとページを眺め始めた。

「ったくつまらねえなぁ、何も持っちゃいねえよ」

 男が小説を投げ捨てるのとほぼ同時に、もう一方の男が怒声を上げた。

「馬鹿野郎! その手帳やら日記帳やらの中身を調べろ」

 男の努号に気圧されるままに、男はうろたえながらも乱雑に散らばったままの書類の山に手を伸ばした。慌てた手つきで男が手帳を開いた瞬間、幾重にも挟まっていた紙切れが滑り落ちたかと思うと、風にその身を任せて舞いながら落下してゆく。

「ん、まぁた紙切れかよ」
「写真に……新聞の切り抜きか?」

 造作も無く花弁のように散らばったそれらに目を向けると、次いで男はそれを拾うように視線で指示を送る。言われるままに手短にあった新聞の切り抜きを拾い上げると、男はその記事をまじまじと凝視した。

「ロンドンの街を脅かす連続少年少女誘拐魔……オカルト結社、切り裂きジャックが関係か? だと。……他には……『貧民救済法』の見直しについての議案、だぁ?」
「……」
「おい、何ブツクサと口からクソ垂らしてやがる。呑気な事抜かしてねえで他のモンも目を通せ!」

 男は資料にどこか釘付けになったように手を止めたが、もう一方の荒っぽい声に背中を押されるように、言われるがまま手当たり次第その他の切り抜きも拾い上げる。

「何だあ、お前さん。こんなもんばっか集めて。殺人事件の記事がやけに多いようだが」
「どこまでお目出度いんだ、お前って野郎はよ。そこまで見ておいて気付かないもんか? おい、テメエ。探偵か? それとも新聞記者か? 何を探りに来たんだ、兄ちゃん」

 どすの利いた声色で、男が質問を投げかけた。

「確かに俺は新聞記者だ。仕事柄、そんなものを持ち歩いているのは癖みたいなものであって、他意は無い」
「ほお。で、その記者様が一体この場所に何の用で?」
「だから……、それは何度も言っている。家族に会いに来たんだ、このシャンテクレール家の養女として引き取られた妹に。頼むから会わせてくれ」
「……妹さんの名前は?」
「キティー……ロマノフ家から来た、エカテリーナだ。みんなからはキティーと呼ばれている」
「ロマノフ……? こっちじゃ聞き慣れねえ響きだな。御大層な名前しやがって。……で、アンタの名前は?」
「アーノルド。……言っとくが偽名でも何でも無いからな」

 言ったところで信じてもらえるかどうかは分からないが、アーノルドは名を明かして真っ直ぐに男の顔を見た。

「……おい」

 アーノルドを拘束している男が、もう一方の男に顎でしゃくりながら指示を促している。

「こいつ、連れて行け」

 静かに言い放ったその声に、アーノルドは解放の時が近いのを知り安堵の息を洩らした。

「悪いなぁ、兄ちゃん。主人の命令で、許可なくここを通す事は出来ねえ。地下でたっぷり話を聞かせてもらうから、気絶しねえよう歯食いしばっておきな」
「……なっ……」

 安慮の表情を浮かべたのも束の間、それはみるみるうちに蒼白へと塗り替えられる。そんなアーノルドの心を見透かしたように、男は鼻で一瞥した。おもむろに取り出された煙草に慣れた手つきで火を灯しながら、男は更に嘲笑うような調子を出して言い放つのだった。

「アンタも記者なら分かるだろ、その例の連続少年少女誘拐魔。噂じゃあ、近頃巷に現れた黒魔術師だか黒か術集団だか、薄気味悪いオカルト結社の連中の仕業なんて話もあるが、真相は闇の中だ……で、狙われるのは主人の家とて例外じゃあねえ。何せ、このシャンテクレール家には、世界各国からの才児……」
「……何だ、何が言いたい?」
「あらゆる面において優秀な子どもが集められてんだぜ。子どもを攫う連中だって、少しでも高く売れるガキがいいに決まってるだろうし、そうなりゃやっぱりあの名家シャンテクレール家のガキを狙うわな」
「おい、何言ってんだ。その口ぶりから見るに、まさか俺をその誘拐魔だと……」

 言い終えぬうちに、男の鋭い裏拳がアーノルドの頬に命中する。反動に思わず後ろへよろめいた瞬間、胸倉を掴まれる。

「主人との約束は絶対でね。主人が戻ってくるまでの辛抱だ、ちょっと我慢してくれよ」
「ふざけろ……っ! 家族の名前まで名乗っているのにこんな仕打ちがあるか、エカテリーナに直接聞いてみるといい、兄のアーノルドが会いたがっていると……」
「だから、話は地下で聞きますってば。はいはい、行きますよ」

 聞き分けの悪い子どもをたしなめるような口調で、男はアーノルドを挑発した。今しがた殴られたばかりの箇所が痛みを伴ってくる。抵抗をしようにも、こうして今声を上げるごとに身体の節々が悲鳴を上げた。屈強な男たちに左右から支えられる格好で、アーノルドはその一寸の光も見えぬ地下へと連れて行かれるのだった。

 アーノルドを拘束している男が、もう一方の男に顎でしゃくりながら指示を促している。

「こいつ、連れて行け」

 静かに言い放ったその声に、アーノルドは解放の時が近いのを知り安堵の息を洩らした。

「悪いなぁ、兄ちゃん。主人の命令で、許可なくここを通す事は出来ねえ。地下でたっぷり話を聞かせてもらうから、気絶しねえよう歯食いしばっておきな」
「……なっ……」

 安慮の表情を浮かべたのも束の間、それはみるみるうちに蒼白へと塗り替えられる。そんなアーノルドの心を見透かしたように、男は鼻で一瞥した。おもむろに取り出された煙草に慣れた手つきで火を灯しながら、男は更に嘲笑うような調子を出して言い放つのだった。

「アンタも記者なら分かるだろ、その例の連続少年少女誘拐魔。噂じゃあ、近頃巷に現れた黒魔術師だか黒か術集団だか、薄気味悪いオカルト結社の連中の仕業なんて話もあるが、真相は闇の中だ……で、狙われるのは主人の家とて例外じゃあねえ。何せ、このシャンテクレール家には、世界各国からの才児……あらゆる面において優秀な子どもが集められてんだぜ。子どもを攫う連中だって、少しでも高く売れるガキがいいに決まってるだろうし、そうなりゃやっぱりあの名家シャンテクレール家のガキを狙うわな」
「おい、何言ってんだ。その口ぶりから見るに、まさか俺をその誘拐魔だと……」

 言い終えぬうちに、男の鋭い裏拳がアーノルドの頬に命中する。反動に思わず後ろへよろめいた瞬間、胸倉を掴まれる。

「主人との約束は絶対でね。主人が戻ってくるまでの辛抱だ、ちょっと我慢してくれよ」
「ふざけろ……っ! 家族の名前まで名乗っているのにこんな仕打ちがあるか、エカテリーナに直接聞いてみるといい、兄のアーノルドが会いたがっていると……」
「だから、話は地下で聞きますってば。はいはい、行きますよ」

 聞き分けの悪い子どもをたしなめるような口調で、男はアーノルドを挑発した。今しがた殴られたばかりの箇所が痛みを伴ってくる。抵抗をしようにも、こうして今声を上げるごとに身体の節々が悲鳴を上げた。屈強な男たちに左右から支えられる格好で、アーノルドはその一寸の光も見えぬ地下へと連れて行かれるのだった。



暗いんだよなあこの話。

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