終盤戦


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31-2.いともたやすく行われるえげつない行為



 不可解な感情が、自分の中に急速に膨れ上がるのを抑え切れなかった。それは怒りでもあったし、途方もない悲しみでもあったし、何だか落胆に近いような感情でもあった。

 入り混じった負の気持ちだけが、自分をぶすぶすと焦がしていくのが分かった。この男たちを、目の前から消したくてたまらない。これを単なる怒りと呼べばいいのか、それとも殺意だといえばいいのか分からないが……。沸き上がる衝動に身を任せるほか、これを抑えるすべはもうないと思った。慈悲なんかもう、とっくに捨てている。

「アンタ達、じゃないの……」

 無意識のうち口の中を滑り落ちる言葉を聞きながら、ナンシーはふらふらと立ち上がった。その声に気がついたのか、馬鹿笑いをしていた男達も談笑をやめてナンシーの方へと視線を動かした。

「……醜いのはアンタたちの方じゃないのよ!」

 悪寒が背筋から這い上がってくるのを覚えた。叫ぶのと同時にナンシーは、手前の男に向かって全速力で突っ込む。そこで男もナンシーが武器を持っていることに気がついたのだろう。反射的にライフルを構えようとしていた。

「ひいいい!」

 真っ先に耳を突いたのは、男達をここへ導いたであろう一般人と思しき男だった。それまでは呑気に携帯をいじくって、何やらネット上に書き込んでいたらしいのだがそのスマホを床に放り投げて尻餅をついている。

「じっ、自分は悪くないよゥ〜! ただ連れてこられてそれで……」

 そんなよく分からない言い訳等はどうでもよかった。そして、そこで初めて気がついた。自分が明確な殺意を持って初めて、人を刺そうとした事。それでそれが、未遂に終わっていたことに――。

 涙で揺らぐ視界の中、ナンシーは目の前にいる彼の姿を見た。

――ああ、今絶対、化粧とか落ちてる……目の下真っ黒かもね……

 場違いな事を考えながらナンシーはその声を聞いた。

「――止すんだ」
「……」

 ナンシーの手がずるずるとナイフの柄から脱力したかのように離れた。それから、後ろに二歩三歩と後じさっていた。

「あ……」

 目の前でそう言って痛みに耐えるように、しかし微笑んで見せた彼は……ユウではなくて創介だと認識してはじめて、状況を全て理解した。

「私――私……」
「だ、だいじょーぶ」

 何か言いかけたのを遮るように、無理強いして笑いながら創介は握っていたナイフから手を放した。 ナイフを素手で受け止めた創介の手が、真っ赤に染まっていくのをナンシーはしばらく茫然として見つめていた。

「な、何で」

 色々と頭は混乱したが、やっとそれだけを言いナンシーは創介の手を掴んだ。

「いででっ」

 弾みでちりっと鋭い痛みが走った。

「何で――どうしてあなたが……」
「ご・ごめん、急に現れておいてあれこれ言えたもんじゃないけどさ」

 このくらい大した傷じゃないと言わんばかりに、創介はその手の平に出来た傷を隠すよう笑った。無理強いして笑っているのはすぐに分かった。

「……そんな事したらナンシーちゃんまでおんなじだよ、こいつらと」
「っ……」

 言葉を詰まらせて、ナンシーは唇をぐっと噛んだ。

「な、何だよ……」

 創介とナンシーの視線とかち合うなり、男達が急激に恭しくなり始めた。男達は顔を見合わせながら自分達のやってのけた罪の擦り付け合いをしようとでもいうのだろうか。

 歪んだ笑みを浮かべながら、ちらちらと互いの視線を交換し合っているように見えた。

「お、俺は別に……何も殺せとまで……、なあ?」
「馬鹿言うなよ、お前が真っ先に合図も待たずに引き金に指かけといて――」

 口論を始めた連中は無視して、ナンシーははっとなったようにその場から駆け出した。

「な、ナンシーちゃん?」

 ナンシーはすぐさま、もう動くことのないトゥイードルダムの傍に膝を突いた。すぐ傍に手を突いて、手を伸ばした。虚ろに宙を見たままの目を閉じさせて、ナンシーはそっとそこから手を引っ込めた。

「……ひどすぎる、こんなの」
「……」
「――なんで殺される必要があるのよ、彼は。彼もまた人殺しをしたからなの? だけどそれじゃああんまりにも……」

 半ばそれは独り言のような感じで、誰に向けられていた言葉なのかは分からなかった。そんなナンシーの悲しそうな呟きを聞きながら、創介はこの短いうちに起きたさまざまな出来事を思い出していた。

 ナンシーの前に横たわっている遺体を含め、この屋敷の中には……本当にたくさんの人々の遺体が転がっているのだ。いいや、それだけじゃない。今世界中に、こうして自分が呼吸しているだけでも死人の数は一つ二つと増えてゆくばかり。喧騒の中、そう思うと眩暈がしそうだった。

 そして次々に、人々の顔や声、場面が……ほんの数秒の間に蘇っていった。

 世界がこうなる前に、自分を殴ってから、ひどく後悔したような顔をした親父。“母さん達と夢中で逃げたけど、途中ではぐれちまったよ”――そう言って悲しそうに笑ったヨシサキの顔。時々見せた、セラの冷たい目。ゾンビになった娘を撃とうとしたセラを必死に止めたその父親の悲しげな顔と、“俺にはもう家族がいないんだ、……残されたのは、優衣だけなんだ――”という悲痛な叫び。それから、娘の亡骸を抱くその姿も。それからルーシーの見せた冷たい目も、思い出していた。

 本当にたくさんの事がありすぎたのだ。それこそ整理がつかないほどに。創介は今しがた負った傷の事等は忘れて、もうすぐ傍にまで来ているのであろう終止符の時を僅かに考えていた。


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