終盤戦


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29-1.こんな世界に誰がした



 本当に良い人間の条件――とは果たして何だろうか。それは善行をした者か? 気立ての良い者だろうか? いや、自然を愛し、大切にする者ではないか?……そうではない。そうなのかもしれないが、「自分は違う」。

 きっと、自分のように醜くなく、きちんとまともに話の出来る者でなくては、いくらそれを行おうが意味を成さないのだ。自分では、意味が無い。かのグリム童話だって結局は容姿が美しい者ばかりが幸せな結末を迎えるだけだ。……ハッピーエンドなんか、出鱈目だ。

「ウウウウッ、ウオオオオ!」

 血飛沫が、赤い花弁のように舞った。

 醜い自分の姿を映していた全身鏡に、それはキャンバスにぶつけた絵の具のように飛び散っていた。ハンマーを振り下ろすたび、その身体がびくびくと痙攣を起こしていた。

 男はもうとっくに絶命していたはずだったが、それでもトゥイードルダムは執拗にハンマーを振り下ろし続けた。そこら中に散らばる遺体の山が、幼少の時を思い起こさせた。真っ赤に染まった路地裏。こちらに目を向けたまま死んでいた、ピンクのワンピースの少女。

 その向こうに転がるいくつもの死体は……、トゥイードルダムが更にハンマーを振り下ろした。二度、三度、四度、五度……と数を重ねるたびに涙が溢れては止まらなかった。

 男の顔はもうすっかり原型どころか、形そのものが消えうせていた。骨さえも粉々に砕け散り、血と肉とが一緒くたになってしまった床をトゥイードルダムはひたすらに殴り続けていた。床が潰れ、粉々になり、血肉と一緒に混ざり合って何かの芸術作品でも作り上げているかのように見えた。

「やめて!」

 その声に、トゥイードルダムがようやくはっとなったようにその手を止めた。ふうふうと荒く呼吸しながら、トゥイードルダムはゆっくりと声のしたほうを振り返った。

「……ねえ……お願い、もう止めてよ」

 ナンシーが、恐る恐るといった具合に覗き込んでいるのが見えた。一度息を吐いてから、ナンシーがもう一度口を開く。

「貴方も、怖かったのね。……本当はこんな事がしたいんじゃないのよ。でも、そうしなくちゃ生きてこられなかったのよね……?」

 何て知った風な口の聞き方だろう、と言いながらに思ったけれども……でも――、とナンシーが一度ため息を吐いた。本当は恐ろしくて仕方が無い、ナンシーは今にも逃げ出したくて仕方がなかった。だけど、ここで逃げてしまっては何故か「あのひと」に顔を向けられない気がした。

 そして彼の笑顔を思い出して落ち着きを取り戻し、それから、ポケットに手を忍ばせた。

「……これ、ありがとう。さっきお礼、言えなかったから。どうしても、一度言っておきたかったの」

 人形を取り出すと、ナンシーがトゥイードルダムに見せた。人形のお陰かは分からないが――それで幾分か、トゥイードルダムが落ち着いたように見えた。

「貴方が作ったの?」
「……ウ」

 トゥイードルダムがその手からハンマーをずる、と落とした。ハンマーがごとん、と重厚そうな音を一つ立ててその場に転がる。 ナンシーがまた一度、口を開きかけた時にその声達はがやがやとやってきた。

「こっち! こっちですよ皆さん! 俺の連れがみんな殺されたんですよ見たことも無い化け物に! ゾンビなんか目じゃないです、本物の怪物でした! ええ、そりゃあもう……っ」

 やけに甲高い男の声がしたかと思うと複数の足音を引き連れ白い防護服の団体が現れたのが分かった。

「……!?」

 ナンシーがばっと視線を上げると、その団体は既にすぐ傍にまでやってきているのであった。

「えーと、『化け物と今から対峙なうwww』……っと」

 甲高い声、もっと言えば耳障りな声をしたその男はにやにやしながらスマホをポチポチと片指で操作し始めた。

「うお!? ほ、ホントだ……化け物……」

 ガスマスク越しに、防護服の男が恐れ慄いた。一斉に、その集団が手にしていたライフルをちゃっと構えた。

「な……や、やめて!」

 慌ててナンシーが叫んで彼らの行動を制しようとする。

「撃たないで! 彼はもう無抵抗よ」

 言いながらナンシーはトゥイードルダムの前に飛び出した。それから、庇うようにその両手を広げて立つのだった。

「そこをどきなさい、無抵抗だろうが何だろうが関係あるものか」

 先頭の防護服が、ライフルの銃口をナンシーへと向け避けるように促した。

「……周りに散らばったこの遺体を見てそのような事がよく言えたもんだ」

 半ば呆れたように言い、防護服は依然として射撃体勢を解かない。ナンシーもナンシーで、退こうとはしないのだが。

「でも、彼にだって言い分はあるわ! どっちが悪いとか、良し悪しを決めようって言うんじゃないのよ……」

 ナンシーが首を横に振って必死に叫ぶが、防護服の団体は聞き入れる気配さえない。ガスマスクのせいで表情はまるで窺いしれなかったが。

「キミねえ」

 別の防護服が声を上げた。声だけ聞けば、結構年齢はいっていそうな雰囲気だった。

「仮に我々が君の言うとおり捕虜にして、それから彼を解放したとしても、だ。……そんな姿をした人間が世に放り出されたとしたらどうなるんだい? それこそ生きる厄介者だぞ。誰がそんな人間に手を差し伸べるかね……お嬢さん、何があったか知らないが君はヒロイックな気分になって一時的に興奮してるだけだよ」

 面倒くさそうに説明を終えてから、団体は再びライフルを掲げた。威嚇等ではない、本気で撃ち殺す気だ――何て事だろう。ナンシーは益々打ちひしがれたようになって、絶望しそうになった。

――ヒロイックな気分、ですって? 何を言っているのこいつらは? 人間よ、彼は人間なのよ!?

 蒼白のまま、わなわなと唇を震わせるナンシーに防護服の団体が更に追い打ちをかけるように叫ぶ。

「おい、本当にどかねえか。さもないとお前ごと撃つぞ」
「……さてはその化け物の共犯者か? さっさとどかねえと、可哀想だが同罪とみなしてこの場でハチの巣だ」

 ナンシーの耳にはもう、彼らの言葉が同じ人間の言葉だと思えなかった――否、思いたくはなかった。

 もはや、立っているのですらやっとの思いの中を駆け巡るように後ろから腕を引かれた。



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