10-2.パンデミック・フルー
口を半開きにしたまま停止しているセラに、有沢が再度の質問を投げかけた。
「……。俺では、――駄目、だろうか」
「は……っ!?」
これは驚愕に次ぐ驚愕である……セラがばっとその身を翻して、驚きのあまりにほとんど素の状態で叫んだ。
「い、いや。駄目ってちょっと一体それは……」
最後まで言いきらないうちに、有沢が立ち上がりセラの手をぐっと掴んだ。
「お願いだ。聞かせて欲しい」
まだ理解の追いついていないセラに、有沢は答えを急いた。
「待ってくれ、それはどういう意味なのか……ッ」
瞬間だった。ずくん、と意識の底あたりで何かが……鈍い痛みと共に跳ねあがった。セラは有沢に伝えたかった言葉をその痛みによってか遮られてしまう。声が、出なくなる。
目の前にいる有沢の顔が、ぐにゃりと歪んだ。視界にテレビの砂嵐のようなノイズが、ざぁっと走り抜ける。
「――別に、セラとどうなりたいとか……そんな事は言わない。ただ、守らせて欲しいんだ。セラ、おまえの事を」
発されるその声は、まるで海の底で聞いているみたいにくぐもってセラの耳へ届いていた。
「有沢、……手を、離せ」
セラの訴えを、有沢は何をどう受け取ったのかは知らないが――彼のその心に火を灯すのに一役買ってしまったらしかった。有沢はセラの手首を引き、そのまま自分の胸へと手繰り寄せる。小柄なセラの身体が、有沢の胸の中へとすっぽり収まった。
そのまま有沢はセラの身体をしかと抱きしめながら、更に強く言うのであった。
「答えを聞くまでは……、離さない」
今度こそ、セラの中で本物の鋭い痛みがほとばしった。
「――離してくれ……有沢。お願い、だから」
それに反するかのように、有沢の腕に更なる力が籠められる。無言で、離したくはないのだと主張しているかのようだった。
ぎゅっと、セラが有沢の肩を握り締める。どこか夢見心地だったようなセラの瞳に、ちらと火花のようなものが走ったのは次の瞬間だった。
「僕に……、っ、僕に触らないでくれ!」
叫びざま、セラはありったけの力でその身体を突き飛ばした。このくらいの事、振りほどくのは大した問題じゃない。問題なのは――、自分に今起きているこの異変の方だった。
「あ……」
セラは自分の身体をまるで守るかのように抱き締めながら、有沢から背を向けた。それを知ってか知らずか、有沢が申し訳なさそうに呟いた。
「す、すまない……その、おかしな真似をしようとしたわけでは――」
理性が戻りつつあるのか有沢が多少顔を赤らめながら気まずそうに言う。が、セラはその間にも絶え間なく襲ってくる鈍痛と、めまい、そしてとてつもない吐き気に苦しんでいた。極力それを悟られぬよう、顔を伏せて。
「セラ……」
その様子は見えなくとも……返事の無いセラに、有沢も不審に思ったらしい。
「――僕に……僕の事は放っておいて、くれ……ぐっ、うッ」
触れようとした矢先にセラはその手を思い切り跳ねのけた。
「な……、どうしたんだ?」
構わずに蹲ったままでいるセラへと寄るのだが、そんな有沢を背後から制する影があった。
「はい、そこまでー!……お前何してんねん、コラ! ナンシーちゃんだけじゃなく今度はセラにもエロスな悪さをしようってーのかぁッ!」
こんな絡み方をするのは言うまでもなく創介であった。
「なっ……ご・誤解を招くような言い方はやめろ! あ、あと何故に股間を触る! やめろ馬鹿野郎!」
「じゃあ一体何をしようとしてたんだ! 身の潔白を証明できるもんならしてみい、オラ! お前これでチンピー勃ってたらマジでぶん殴るところだったぞ!? この野獣!」
有沢が思い切り鳩尾に肘打ちを食らわせると、創介がぐっと呻いてその両手を解放した。創介は身体を「く」の字に曲げながら千鳥足でよろめいている……。
「……まったく、下品な野郎だ。人を変態か何かのように……」
「あ、セ、セラ!?」
苦しんでいた創介であったがいち早くその異変を、察知した。
10-3.パンデミック・フルー
有沢をどけて、一目散にセラへと駆け寄った。
「セラ、おい……セラ!」
「うッ……」
セラは、激しく床へと嘔吐していた。胃が痙攣して、夕食に食べた未消化の吐瀉物と胃液とを吐き出している。
「……セラ!」
背中を擦りながら創介が幾度となくセラを呼ぶ。セラは涙さえじんわりと浮かべているが、一体何が原因なのだろう。何か食あたりでも起こしたのか……、とにかくタオルが必要だ。あと水とか諸々。
「な、一体何が……」
「ちょっと頼む!」
創介が立ち上がりざまに有沢の腕を引いた。そして、一目散に駆け出した。
創介が大量のタオルを抱えて戻ってくる頃には、ミミュー達も勿論ついてきていた。
「セラ……」
「大丈夫だ……なん、でもない。何でも――」
心配そうな創介の呼びかけに、セラが必死に首を振って答える――だけどその顔は青白く、もう今にも倒れてしまいそうであった。
「……お願いだ、僕に近づかないでくれ」
言いかけてセラは再び、襲ってくる嘔吐感に苦しげに呻いた。
「ほら、水だ……飲めるか?」
創介が持ってきたペットボトルを差し出しかけて、硬直した。持ち上げたセラの瞳からは……涙ではなかった。赤い色の――もうほとんどそれは血といっても過言ではないだろう。
真っ赤な涙が、セラの目尻から音も無く流れ落ちているのだ。創介は、言葉を失った。
「セ、ラ……?」
そうしている間にも、鼻からも鮮血がつうっと垂れて来ていた。セラ本人はそれに気がついているのかどうか分からないが――絶句したまま、茫然としている皆の視線にはっとなったのだろう。
セラは頬を少し拭い、その手の平にこびり付いた血液を見つめた。
「……、」
「セラ、い、い、一体その血は――大丈夫、なのか」
大丈夫な筈が無い。鼻からはともかく目から血を流すだなんて、そんなの聞いたことがない。セラがビックリ人間とかで、何と僕は色つきの涙を流せるんです! とかだったら分かるけど――って、まぁアレだ、ふざけてる場合じゃない。
とりあえず大丈夫なのかどうか尋ねる以外に、良い言葉が見つからなかった。創介はセラに手を伸ばそうとするがセラは身をよじり、顔を逸らした。
「僕に……、近寄らないで、くれ」
セラはハッキリと、そう言った。
「な、……にゆってんだよ! 変じゃねえか、お前それ……ッ」
当然創介は叫ぶが――それまで黙っていたミミューが、前に躍り出て来た。わけもわからずに怒鳴る創介をなだめつつも、冷静に見えてミミュー自身も僅かに困惑しているようだった。
言葉を押し出すみたいにして、ミミューが言う。
「セラくん、君は……君は、まさか」
その声が震えを帯びている。
「まさか、感染者か?」
やっとの思いで口にしたようなその言葉は、その場にいた全員に衝撃をもたらすのには十分すぎるものであった。――自分の耳を信じたくなかった。
「……カンセンシャ?」
まるで初めて聞いた言葉のように、たどたどしく創介はその単語を口にした。セラを見た。セラは俯き、どんな表情をしているのかここからではよく拝めなかった。
ヒエ〜〜〜〜ッ!
セラちゃんが死んでまうセラちゃんが死んでまう
何となくロジャーのセリフが思い出されるのう
特別ってそういう意味なのぉー??