02-2.死体と遊ぶな子ども達
ミミューがふと足を止めて指差した先にあったのは『食事処』の文字だった。ほとんど塗装のはげ落ちた状態の看板がまず目を引く。
「えっ、メシぃ? 朝食ったばっかで全然腹減ってないんだけど……」
創介がこぼすとミミューは指先を降ろすのと同時に口を開いた。
「何か聞くのにはいいんじゃないかな。お客を拒む客商売なんてそう滅多に無いだろうし……」
「あーあ。僕はお腹減ったナー。今朝は野菜だけだったし。このままだと多分誰かに噛みついちゃうよぉ」
雛木が相変わらず可愛い声で末恐ろしい事を言い出すのでミミューの提案は否応なしに決定された。
「あのー、すみませーん」
言いながらミミューが引き戸に手をかける。案の定開きの悪い扉で、スムーズに開いてはくれなかった。
「いつのポスターだよこれ。昭和か」
ガラス戸に貼られた自分の父親世代のアイドルであろう女性が微笑むポスター。勿論だが色はもうほとんど抜け落ちてしまっている。
食堂に足を踏み入れるが、返事は無い。
「蜘蛛の巣」
一真が指差した先にあったのはクモの巣だらけの、赤色のブラウン管のテレビ。とっくにデジタルへ移行したというのに……ホコリも被りたい放題被ったそのテレビからは使用感が一切感じられない。
テレビだけにあらず、その室内全体が長い事ほったらかしにされているかのような空間であった。テーブルで、割り箸を立てておく入れ物は転倒して中身が出ているし、その傍の醤油瓶は中身の色が何だかおかしい……とりあえず醤油の黒色じゃあない。ほとんど墨汁のような色合いだ。
当然のように店全てがホコリっぽく、とてもじゃないが飲食業を謳っているとは思い難い衛生状態だ。虫がいないのがせめてもの救いか……あとは悪臭もかろうじて臭ってはこない。
「誰もいないのかなぁー」
創介がきょろきょろと見渡しつつ足を踏み入れると、倒れた椅子をガツンと蹴っ飛ばしてしまった。
「うぉ……っと。びっくりした」
ミミューがその隣でテーブルの上をすっと指先でなぞった。指先にはっきりと纏わりついているのは白いホコリの固まりだ、もう何年も掃除されていないのがよく分かった。
「……何だか、長らく人の手が入っていない感じですねえ」
呟いてから、ふっと付着したそれを吹き飛ばす。
「あ」
一真が何かに気がついたようで再び声を上げた。
一同がその視線の先を追うと、そこにいたのはいささか失礼だが、随分と顔色の悪い女性だった。もう長い事日に当たっていないかのような生白さと、この薄暗い室内がそうさせるのかかなり青ざめて見える……。
ぼんやりと佇んでいるその姿はまるで幽霊のようにも見えてしまった。勿論、びっくりして皆が言葉を失っていた。
ミミューだけは冷静に、すぐに口を開いた。
「あ、すみません。営業って、していますかね?」
にこやかな営業スマイルでミミューが言うと、女性は無言ですっと調理場と思われるそこから出て来た。
げっそりとした、痩せた身体付きの女性で年齢はいくつくらいなのか分からない……白髪混じりのその髪を無造作に一つに束ね、化粧一つされていないようだった。虚ろなその目元も相まってかひどく老けこんで見えるが、実際はまだ若いようにも見える――。
「……すみません、今、片付けますので」
蚊の鳴く様な声、とはまさにこの事であろう。虫の羽音の如く小さく、今にも萎んでしまいそうなほど弱々しい声で女性は呟いた後、再び奥に引っ込んだ。
「ど……どうやらやってるみたいね。雛木くん、まだ食欲オーケー?」
ミミューが苦笑混じりに尋ねると雛木は何とも言えないような顔をして、一つばかり頷いた。まあ多分、オッケーの合図なんだろう。
しばらくしてから女性は濡れた布巾を手に戻ってきた。
「紙袋被ってなくて良かったな」
「こ、こら……」
創介に負けじと大きな声でデリカシーの無い発言をするのは凛太郎だった。やっぱり叱り飛ばすのはセラの役割である。それから女性は屈むと、雑巾をテーブルの上に置いた。十分に水分を絞りきっていないその雑巾は、ビチャッと水音を立てて置かれた。
それから女性はゴシゴシゴシゴシゴシゴシと神経質にテーブルを何度も何度も拭いたが、予想通りに余計に汚くなってしまうだけであった。構わずに女性は機械じみた動きでテーブルの上を執拗に拭き続けていたが。
「いいいいいいいいい、いらっしゃい」
その動作を唾を飲み込みつつ見つめていた一同であったが、奥から更に出てきた声にハッとなったよう顔を上げた。見れば背の低い、腰の曲がったおばあさんがトレーの上に水の入ったコップをいくつか乗せて立っている。
こちらに向かって歩いてくるおばあさんだが、もう震えまくっていて、何だかとにかく危なっかしいの一言に尽きる。胡散臭い笑顔(と、言うといささか失礼だが)を浮かべたままでおばあさんは右へふらふら、左へふらふらとしながらこっちへ近づいてくる。
「ちょ、あ、危ないよおばあちゃん」
慌てて創介が支えに走ると、おばあさんは笑顔のまま何度も「ごめんねえ」と繰り返した。
続いて女性はそのお冷を受け取るとコップに注ぎ始めた。やはり愛想は無いに等しく、無表情で、ただ淡々と女性は水を注いでいく……が、女性は真顔のままでコップに入れるはずの水をほとんどテーブルの上にこぼしていた。
そしてそれに気付いているのかいないのか、ボトボトボトボト……とテーブルの上からは更に大量の水分が流れ始めた。
「あの……、みなさん家の中にいるんですかね……誰も外にいませんが」
世間話のつもりかミミューが笑顔を織り交ぜながら極力愛想よく話しかけるが、女性はやっぱり俯き気味の暗い表情のまま答えるのだった。
「天気が……、悪いですもので……」
なるほど、と引き下がろうと思ったがそれではさっきの創介の発言と同じではないか。女性は顔も上げずに、夢中にそのコップに水を注ぎ続けたがほとんど零れてしまっていてコップには三分の一くらいの水しか入っていなかった。
唖然としてその光景を見守る中、凛太郎が割って入った。
「ここへ来る途中、頭に茶色い紙の袋かぶった変な連中に囲まれたんだけど、あれもここの村人なのか?」
オブラートに包む気配も無く言ってのけた――その瞬間、ほとんど水の注がれていないそのコップを並べていた女性の手が硬直した。コップにちょっとばかり注がれていた、水の表面が大きく揺れる。動揺しているのは、すぐに分かった。
「何であんな不気味なカッコしてんだよ? なあ」
「凛太郎くん……」
ミミューが横から止めるが凛太郎が止める気配は無い。
「――、せん」
「え?」
女性は元より青かった顔を更に真っ青にさせながらボソボソと呟いた。
「シリマセン……」
冷や汗だらけの痩せこけた顔の中、まん丸の目が飛び出そうな程に見開かれていた。女性は小刻みに顔を震わせながらもう一度抑揚に乏しい機械じみた調子で繰り返した。
「シリマセン……関係、あり、マセン……」
妙な箇所にアクセントをつけながら女性はぶるぶると唇を震わせながら呟いた。これはまずい、と一同の顔がいよいよ引きつり始める頃。
「あああああああああ゛ー……」
「!?」
今度は何、と創介がビビリの入った表情で異様な声のした方を見れば、先程のおばあさんが座敷に腰掛けた状態で頭を上下に振っているのが見えた。
「あ゛〜〜〜、あ゛ぁ〜〜〜〜〜……」
正座したままで、おばあさんはまるで発情期の猫のように潰れた声で叫びながらなおも激しく頭部を揺さぶり続けている……。まさしく異様である、としか形容できない光景に息を呑んでしまう。
「あーのぉ」
で、そんなおかしくなり始めた空気の中で呑気な声を上げるのは、椅子の上に体育座りなんてして行儀の悪い雛木だった。
「レバニラ炒め定食一つね〜、僕」
挙手した手の平をひらひらとさせながらいつもと何ら変わりの無い口調でそう言ってのける姿には安心感さえ覚えたくらいだった。