前半戦


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11-2.宇宙からの色



 室内に飛び込んだ瞬間、強い薬品の匂いがムッと鼻をついて気を失いかけた。モッズコートの袖で鼻と口を覆い、その何ともいえない香りを遮断する。月明かりだけのその部屋は薄暗く、足元を踏みしめると何かガラスのようなものを踏んづける音がした。

――この部屋は……?

 とりあえず、手の中で震えるスマートフォンに出なくては。セラがスマホを耳元に当てて応答した。

「もしもし……」
『大丈夫かい!?』

 出頭に浴びせられたやや興奮気味のその声に、セラが思わずスマホから耳を離した。

「あ、ああ。何とかね……」
『……奴らについてなんだが――今俺の研究ノートを探し出してるところなんだけど、あぁっと……』

 言いながら電話口の向こうでロジャーは何やら部屋中を引っ張り出しているような雰囲気であった。騒がしい物音を立てながら、電話片手に動き回っている姿が容易に思い描ける。勿論このロジャーという男の姿については顔も知らないので、その辺りは声から想像図を描くしかないのだが。

 それからパラパラとページを忙しなく捲る音が聞こえてきた。

『その村、なんだけどね。昔々に――君達の時代で言うと江戸や、それよりももっと前になるのかもしれな。迫害を受けた宗教の教徒達が、その手から逃れてひっそりと山奥に移り住んだのが始まりだったんだよ』
「……」

 史実に基づくと、江戸幕府のキリシタン狩りなんかがその例だろうか。日本だけでなく中世にも魔女狩りなんかが存在していたそうだから珍しい話でもないと思うが――。

『弾圧の手を逃れた彼らはその場所で徒党を組み、やがて生活を始め小さな村が完成した。村の始まりはそれがキッカケだ。――それで、問題の原因なんだけどね。彼らが信仰していたのは恐らく全うな……というのも変な言い方だけど。まあ、つまり、神と聞けば誰しもがイメージするような神様とはちょっと違うものを祀っていたんだよ』
「違うもの?」
『……ああ。邪神だ』

 その言葉に、セラは何か不吉なものを覚えた。

『土着信仰、というやつだね。キリスト教みたいに聖書や教典の存在する宗教とは違って、その土地や民族などに受け継がれてきた習慣というのか。そんな彼らがこっそりと敬っていた邪神はシュブ=ニグラスという名の両性具有の神だ、世界の始まりであるアザトースが生んだとされる闇より生まれた邪悪な存在。彼らはシュブ=ニグラスの恩恵を得て、この村をずっと守り続けてきたんだ。とある儀式と引き換えに、村人達は病気もする事なく健康に寿命を全う出来たのさ。邪神の与えた恩寵は、土砂崩れや雨などの災害から村を守り、日照りや虫などの被害にも合わず、野菜や穀物も毎年のように豊作だった。順調に子宝にも恵まれ、村は安定を保ってきたわけだ』
「で、その恩恵を得る為のとある儀式には生贄が必要だった。……大体そんなところか?」
『ご名答、話が早くて助かるね。それでまあ、村人達は村ぐるみで迷い込んだ外部の人間を犠牲にしてここまでやってきたって事だな。しかしまあ、ちょっとした手違いが起きてね』

 スマホが熱を持って熱くなってきたので、セラがその手を持ち変えつつしゃがみこんだ。

「手違い? どういう事?」
『儀式……まあ、つまり、村とは無関係の人間の命を捧げるという内容なんだけどね。そのしきたりを恐ろしいと思い、逃げ出そうとした人間がいたのさ。その男は、妻が儀式に反発したがために早々に病死してしまった。それをキッカケにし彼も目が覚めたのかもしれないね――たった一人残された娘を連れて、彼は村を放棄して逃げ出したんだ』

 のんびり話し込んでいる暇は残されていないのかもしれないと思いつつ、まだもう少し先を聞かなくてはならないような気がした。セラは、部屋の匂いに慣れつつある今、暗闇の中をゆっくりと移動してみた。

『だがね、それがこの村にまつわる悲劇の始まりだったわけだ。男が娘を連れて逃げたすぐその晩、邪神の怒りを買ってしまったその村に集中的な豪雨が襲った。土砂崩れを引き起こし、たった一晩で村は壊滅状態へと陥ってしまった。そして生き残った村人達が、まだ下山しきっていなかったその男と娘をすぐに執念で捕らえに来た。勿論その二人は糾弾されて、無理やりにでも村へと引き戻されてしまった』
「……どうしてそうまでして男を戻そうとしたんだ? 単なる復讐心だけで?」
『それもあるんだけど――、逃亡した男こそがその村の長だったからね。先代から儀式を取り仕切る中心人物の血筋だったんだよ、そんな男が責任を放棄して逃げ出せばそりゃあ血眼になってでも見つけ出したくもなるね。それに彼が欠けては、儀式もままならないわけだから』
「村がなくなったのに儀式を続ける必要が?」
『なくなったからこそ、必要だったとも言える』

 それで、ロジャーの声が少しばかり小さく頼りないものになったような気がした。言葉の意味をしばし考え込むようにしてセラが黙り込んだ。

「……つまりそれって」
『亡くなった人々の再生と、村の復活さ。その儀式を次は行使したわけだ。だが、それを行うには多大なる代価を支払う必要があった。まずは怒りを静める為に、男の両脚が失われた』

 両脚――、セラがそれでハッとなったように眉根を潜めた。車椅子に乗っていた、あの老人の姿を思い浮かべた。

『しかしそれでも怒りは収まらない。だから次は、娘の命が犠牲になった』
「……!」

 老人の傍に寄り添う、あの黒髪の少女が脳裏によぎった。だが、あの少女は確か人形だった筈だ。ではまだ完全に再生を遂げていない、という事だろうか?

『それでようやく、邪神は村人達に再生の機会を与えてくれたわけだ。男も男で、失われた娘の命を取り戻すべく、否が応でもその血塗られた儀式へ加担しなくてはならなくなった……失われた魂を呼び戻す為の代価はこれまでより一層大きなものとなってしまった』

 セラがごくりと一つ唾を飲み込むのが分かった。

『だが、邪神はこの世に“矛盾”が発生するのを嫌がったみたいだ。ここで再び彼らを蘇らせると、世界の均衡に矛盾が生じてしまう事となる。よって、辻褄合わせが発生してしまう。――ごめんね、この辺りは俺の仮説が混ざってしまうんだけど。まあつまり、シュブ=ニグラスにとっても、この世の全てを作り変えてしまう程の力はなかったのか、それともそれを行使してしまう事で起きるリスクを恐れたのか……とにかく別の方法を取ったわけだ』
「それがさっき君が話してた、別世界と別世界が繋がって……とかそういう話になるのかな」
『You're right、その通りだよ』

 流暢な発音で答えたのち、また元の日本語でロジャーは話し始めた。初めはどうにも胡散臭くて受け入れ難かった喋り方も、何だか今は心強い存在に思えてくるから不思議だ。これがつり橋効果、っていうやつなんだろうか?

『シュブ=ニグラスが取った方法。それは、君達のいる世界と、崩壊した別世界を繋いで一つのものにしてしまうというもの。よくよく考えるととても恐ろしい話だ、別世界にいる自分の日常が突然奪われて、自分と同じ存在に乗っ取られてしまうだなんて。それでまあ、君達の世界にある村とこの世界を繋いでしまったわけだ』
「それでこの場所が、異世界と繋がる場所だとか君はさっきしきりに繰り返してたわけだね。……しかしそうしたら、元々こっちにいた人達は?」
『分からない。でも、神はきっと口裏を合わせるべくしてどんな手段でも用いるだろうね』
「消された、のか」
『或いは、違った形で生かされているかもしれないね。魂だけを別の器に移し替えて――』
「……」

 あの人形達や、顔を隠した奴ら――村に迷い込んだ犠牲者達だけでなく、いわゆる『本物の』こっちの村人達も混ざっているかもしれないという事か。なら、数が無闇に多くても頷ける。

『恐ろしい話だな』

 ロジャーのそんな言葉に、セラはここへきて初めて、このロジャーという男の人間性が見えた気がした。人間性、という表現が相応しいのかどうか分からないけど、とにかくこれまではノートだか研究結果だかに記されていただけの発言を述べていた彼の、本音と言えばいいのか。

「……そうだね。凄くそう思うよ。それと、聞いてもいいかな?」
『ん?』
「そっちの世界ではつまり、この村はなかった事にされてるわけで……代わりにロジャーが今いる屋敷が建っているというわけだよね」
『そう。だから大体だけど、セラが今いるんであろう屋敷の内部は何となくにだけど把握できる。そっちは異世界の影響もあってなのか、きっと時間の概念が過去のままでずっと止まっているんだろうと思う……ねえ、セラ』
「何?」
『今、君のいる部屋はどんな場所?』

 それでようやく、セラは今の状態を思い出した。そうだ、のんびり悠長にやっている場合ではないのだと。




シュブ=ニグラスちゃんは
数少ない性別アリ? の邪神ですね。
子どもを生んだりするので一応女に近い、という
設定みたいけど自分が男になって
人間の女を孕ませたりもするそうなんで
まあつまりどっちもって事か。
擬人化したらフタナリビッチエロ女になるのは目に見えておる!
でもまあ擬人化しなくても十分好きだけどね。
あの禍々しいキモさが。
心の目で見ると可愛く見えてくる。



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