前半戦


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01-2.霧の中に何かいる



 ナンシーがぼんやりと外の景色を眺めていると、その隣の有沢が少し小さな声で呟いた。

「……すまなかったな、さっきは」
「えっ?」

 一瞬何の事だろうかと思い、ナンシーが不思議そうに尋ね返した。が、すぐに風呂場での件だと気付いてすぐにまた口を開いた。

「ああ……気にしてないわ、全然。こちらこそごめんなさい、変な誤解で何だか殴られちゃったみたいで」

 言いながらナンシーがちらっと創介の方を見ると、創介は腕を組んでじっとしているのが分かった。何か考え事でもしてるのかと思いその表情を辿れば、豪快な寝息と共にぐうぐうと眠っていた。

「ぎひひ。落書きしてやろうかなこのアホヅラ〜」
「駄目だよ、凛太郎……僕らご飯抜きになっちゃうよ……」

 そんな双子の会話が聞こえて来たが聞かなかったふりをして、ナンシーはもう一度視線を戻す。

「いや、大したこと無かったから」

 ぼそぼそと喋るようにして言い、有沢が小さく微笑んだ。更にその隣の雛木は何だか面白くなさそうに、ほとんど横柄な態度で言うのだった。

「まぁ、その目じゃ見えないものねー」

 この言い草にナンシーが少しカチンときたらしく、何か言い返しかけたが有沢が片手でさっと制した。有沢は至って冷静な面持ちのままで口を開く。

「……こう言うのも何だが雛木、俺は思うんだ。つくづくお前には感謝していると」
「はぁ〜?」
「俺はたくさんのものを失ったが、結果として何が大切だったのかを知ったんだ。……得たものも大きかったって事さ。それに何よりも――」

 そう話す有沢はひどく落ち着いていて、その話しぶりからも分かるように自分達では計り知れない経験を重ねて来たのだと思わせる。そこまで年齢が離れているわけでもなさそうなのに、抱えているものは何だか自分とは比べ物にならないような気がした。

「お前の顔を見なくて済むのはとても気が楽でね」

 悪びれる様子もなく、有沢がそう言って心なしか口元だけで少し笑ったようだった。

「チッ……言ってろよ、馬鹿野郎」

 対する雛木は随分と子供じみた口ぶりである。不機嫌そうに唇を尖がらせて、面白くなさそうにそっぽを向いたのであった。

「あ……雨だ」

 そんな中、ミミューが降り始めた雨を見上げながら言った。初めは小雨程度だったが、すぐにそれはバケツをひっくり返したような量へと変わっていく。ワイパーが追いつかない程に、雨は叩きつける様に降り注いだのであった。

「うわー参ったねえ〜、この悪天候は。この状態でゾンビ達に襲われたらちょっと厄介かなぁ」

 独り言のように呟いてミミューがふうっとため息をついた。

「おい一真、見ろよ! コヨリがどこまでも入ってくぞこいつの鼻ん中っ、すっげー! ブラックホールかよ!」
「凛太郎、やめようよぉ……。ご飯食べれなくなったら困るよぉ……」

 凛太郎はきゃっきゃと騒ぎながら無防備に寝顔を晒している創介の鼻にティッシュで作った紙こよりを突っ込んでいる。創介はうーんとうなされながらもまだ起きないのだから凄いものである。

 バックミラーでそんな様子を眺めながらセラがふうっと呆れかえったようにため息をついた。同時に、ふとセラが足元に置いたラジオが何やら騒がしいのに気がついた。

「……?」

 ちなみに、ミミューの携帯から持ち出したラジオなのだが、全身黒色のボディはいいとして何故か猫耳がついたモデルだ。ミミューの趣味なのか、エミの趣味なのか分かりかねるがまぁとにかく……。

「どうしたの?」
「何だか、ラジオがヘンだ――騒がしい」

 言いながらセラはそのハンディサイズのラジオをばんばんと叩き始めた。ラジオはこれまでよりも一層と大きな荒々しいノイズを漏らしている。

「この状況に加えてほら、山の中でしょ? 荒れちゃうのも無理はないよ」
「――そうかもしれないけど……何て言うかノイズの中におかしな音が混ざってる」
「おかしな音?」

 ミミューが不思議そうに尋ね、耳を澄ます。確かにざわつくノイズの中に紛れて響いてくるのは何か金属音のような、甲高い音……例えるなら女性の悲鳴のようにも聞こえて、それも一人だけじゃない。二人、三人。いや十人近く――それも甲高いものだけにあらず、中には低い音程のものも混ざっていて実に不気味な合唱を奏でていた。

 はっきりと聞こえたものだから、流石にミミューも顔をしかめたようである「。

「確かに何か気持ち悪いね。何だろう、混線でもしてるのか……こっちのラジオもそうかな」

 ミミューが車のラジオの音量を上げると、こちらも同じような現象が起きているらしい。

「? 何だろう、一体……」

 不思議に思い、ミミューがハンディラジオのスピーカーに耳を近づけた。すると、スピーカーから鳴り響いたのは「キィーーーーーーーーー」という甲高い、黒板を引っかくようなとにかく嫌な音であった。

 生理的嫌悪感を催すのにはまさにふさわしい、聞こえた全員が反射的に耳を塞いでしまう。

「な、何……っ」
「ううう、耳がぁ〜……スタンド攻撃か!?」

 金属音にも似たその音に引き続いて、聞こえてきたのは小さな声で囁く何かお経のような声だった。


「……?」

 ミミューが眉根を潜めつつよく耳を澄ませれば、やはりそうだった。

「何か……何か聞こえる」
「え?」

 セラもミミューと一緒になって耳を傾けると、確かに途切れ途切れの不気味な声――それも複数いるようだ。

『え……、い……! う……なぐる……と……』

 徐々にだが、それは聞き取れるようになってきた。複数の人々の声、男とも女とも、また大人とも子どもともつかぬ不気味な声の集まりは何か不吉な感じがひしひしと伝わってきた。

『いむ……の――のい……む……ら……!』
「――何かの呪文、みたいだね。何だろう?」

 セラの言葉に、ミミューが少しばかり細めていたその目を開いた。息を潜めてその続きを待つと、今度ははっきりと聞こえた。

『いえ! いえ! しゅぶ・にぐらす!』

 幾重ものその声が、ぴったりと合わさった瞬間。

「ねえ、神父」

 後ろの座席からナンシーの声が上がった。

「何だか霧が深くなってるわね……」
「あ……」

 言われてミミューはその奇妙な声を流し続けるラジオから顔を上げ、それから外を見渡した。

「……いや〜、マズイねこりゃ。ルートを変えて一旦街に降りようか?」

 そう言うミミューの口調はいつもの如く砕けたものだが、内心では結構焦っているのに違いない。

「けど、そうするとゾンビ達がうようよいる。この悪天候の中でゾンビと戦うのは……」

 まったくもってセラの言う通りだった。いよいよ鳴り始めた雷と共に雨は一秒ごと酷くなるし、霧は深くなっていく一方だ。心配する優先順位としては低いのだが、このラジオの異変も僅かながらミミューの中に不安を募らせた。

「うひゃひゃっ、超傑作このカオ! 写真撮ろ、写真」
「凛太郎〜……」

 緊張感の欠片も無いとはこの事か……、焦るミミューの事などはお構いなしに二人の楽しそうな声が聞こえる。

「神父……、どうしましょう。僕としてはこのままゆっくりにでも山中を進むのがいいと思うのですが」

 悩むミミューにセラが提案する。

「やっぱりそうするしか無い、のかなぁ。でも、この視界の悪さのせいで道に迷ったりしたら危ないんじゃないのかね。おまけに足場も悪そうだし……さすがにみんなの命を危険にさらすのは」
「……んのガキャっ! さっきから気付いてんだぞオラ、寝たふりし続ける俺の優しさに感謝しとけやこのォ!」

 突如響き渡ったのは創介の怒号だ。叫ぶのと同時に創介の鼻のコヨリがすぽんっと勢いよく抜け落ちた……それで、飛び起きたかと思うと創介は凛太郎の胸倉に掴みかかっている。

「――。セラくん、今の……見た?」

 ミミューが助手席で、そのバカみたいなやり取りを無言で見つめるセラに問いかけた。

「何をですか?……まさか創介のアホ面?」
「ちっがうよ!……今、霧の中で何か動いた。それも一つじゃない……」

 言い終えぬうちにミミューが物々しくもショットガンに手を添えた。セラもそれで何か察知したのか、じりっと張り詰めた様な顔つきに変わった。

 続いて、有沢も鞘に手を添えて抜刀の構えを取る。ナンシーも雛木も、戦闘態勢に入ろうとしているが創介と凛太郎だけはやはりというか……依然変わりは無い。

「このやろー! 身長じゃ適わねえからってなあそういう姑息な真似をなー!」
「ひゃ、ひゃめろ、手ぇーはなへっ」

 創介は凛太郎の頬をつねりながら怒鳴り散らしている。異質な気配が近づくほどに、ラジオのノイズが一層激しくなる……ノイズに混ざる呻き声も、それまではボンヤリとしていた筈のものだったのにはっきりと聞き取れるくらいまでになってきた。

『千匹の仔を孕みし森の黒山羊よ!』

「お、おいぃっ」
「あ?」
「うひろ……」

 凛太郎がこわごわといった様子に創介の背後を指差した。その指先が微かに震えている――創介が不可解そうに後ろを向くと、その瞬間に窓にビタっと張り付いてくる影があった。

「ぎゃわぁっ!?」

 女性であるナンシーが随分と冷静なのに、創介はこのビビりようである。

「ななっ、何だよ! ゾンビか!?」

 創介がビビリ狂って慌てふためくが、彼と違い落ち着いた一同の反応は違う。

「いや、そうじゃないだろう……」

 だが、異様なのは確かであった。




ここへきてクトゥルー感!!
SAN値チェックはいりまーす



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