07-1.マグナ・マータ
まともな布団に、まともなシーツ。久しぶりの、ちゃんとした寝床での就寝――にも関わらず、創介は何だかおかしな夢を見た。
親父が、あのガミガミうるさい親父が、おいおいと泣きながら謝ってくる夢だった。すぐ傍には、母に変わって自分を主に育ててくれたばあちゃん(残念ながら、もうこの世にはいない)がいて、同じように悲しげな顔をしている。
「ごめんな。創介……ごめんなあ」
「? いきなり何なの、父ちゃん。……ていうか、父ちゃん、今どこにいるのさ……」
「お前に今までずっとずっと辛い思いをさせてたなんて……すまんかった、気付かなかった。すまんな、ほんとうに……」
いや、急にそんな事を今言われてもなあ……と創介は困ったように頬をぼりぼりと掻いた。こちらの話をまるで聞く気配もなく、父親は背中を丸めておんおんと泣き続けているのだから殊更に困ったものである。
「ばあちゃん、ばあちゃんからも言ってよ……父ちゃんは今どこにいるんだって」
「創介、あんたおっきくなったねえ」
「――う、うん。それはいいんだけどさ、ばあちゃん」
「父ちゃんの若い頃そっくりの色男になったなあ、ほんと」
創介から見て、どちらかというと父親は中年太りでしかもカタギの人間っぽく見えない。創介と違って背も高い方じゃなく、ちょっとだけ生やした口髭がなおさら怪しい。胡散臭い悪徳商会の取締役とか、闇金会社の社長とかそういう肩書きの似合いそうな見かけなのだ。
若い頃の姿なんて大方想像が出来る、それに似てると言われるのは正直言って複雑である。って、今はそんなのどうでもよくってだ。
「……んもう、父ちゃん。泣いてないでさぁ〜、教えてくれよ。一体今どこに……」
俯く父親の肩に手を置いた――そして、ぞっとした。驚くほど、その体温が冷え切っていた。寒い場所に、長時間放置されていた金属みたいにすっかり冷え切っていて、えらい大声を出して飛びのいてしまった。同時に、一度置いたその手を避けたのであった。
「と、父ちゃん……!?」
勿論だが、ただ事ではない。ごくり、と唾を飲み込みそして、もう一度父の名を恐々としながら呼ぶ。
――何だ? 一体、何でこんなに冷たいんだ……
今触った手の平の温度を確かめるように、創介はその手の平を何度も見返した。父親は相変わらず俯いたままの姿勢で、こちらを見ようともしない。静かに背中を震わせて泣きじゃくっているだけだ。
「父……ちゃん……」
もう一度、その肩を揺り起そうとした。膝を突いて、揺さぶった。やはりその身体は恐ろしい程冷たい――父の顔を見ようとその身体を半ば抱き起こすように上げた瞬間だった。ごろん、とその首が落ちた。
文字どおりに、まるでマネキンの頭部が転げ落ちた時みたいに、床の上をごろごろとボールみたいに転がって行く。血の池を走り、やがて止まったその頭部と目が合った。目は虚ろで、宙を仰いでいた。何を映しているのか曖昧で、生気がなく、顔色も真っ青で――まあ要するに、死んでいるのだろう。
「あ……あぁっ、」
何か叫びたい衝動に駆られたが、喉にまるでコルク栓でも突っ込まれたみたいに声が出なかった。代わりにひゅうひゅうと、微かに喉を行き来するだけの呼吸音が漏れたのが分かった。
――何で? 何でこんな事に!? 誰がこんな真似をしたんだ!
その問いかけに、答えをくれる者はいなかった。首から上を無くした父の亡骸に寄り添い、祖母は何やら手をすり合わせて念仏のようなものを低い声で唱えている。
――ばあちゃん、冗談じゃないよ。悪趣味すぎるよ。やめてくれよ、父ちゃんを連れてくのは、まだ早いってば!
言いたかったが言葉としてそれはうまい事機能してくれず、創介は只ぱくぱくとその唇を泳がせた。転がった首と、祈りを続ける祖母に釘づけになりながら、創介は途方も無いショックのせいなのか立っていられない事を知った。
足から崩れ落ちた、手を突いた。叫べどもその声は空間へと吸い込まれて行くようだった――現実には、叫んでいたのかもしれない。それから、何かブツブツと唱えていたばあちゃんの祈りがぴたりと止まった。
創介が不思議に思い視線を上げた矢先に、自分の身体の膝の辺りまでが水に使っている事にようやく気づいた。
「っ……、な、何だよこれ……!?」
その濁った泥水に気付かなかったのも驚きだが、次いで汚水から祖母に目をやって更に追い討ちをかけられた。そこにいるのは先程までの祖母ではなく、ぼろを身に纏い髪の毛を伸ばし放題にした、見覚えのない老人である。
老人は、片手にランタンを持ち、もう片手には――何か鎖を持ち、そして鎖に繋がれていたのは『ぐにゃぐにゃの形をした四足のけもの』だった。
何故、自分がそれを獣だと判断したのかは分からないがとにかくそいつはひどく柔軟で、そして真っ白な四足の獣なのだった。
汚水の中を這い回る白い身体をしたそいつは、鎖に繋がれたまま老人にほとんど無理やり引っ張られているみたいであった。よく見渡すと、いつの間にやら自分が立たされているのはどこか薄暗い地下室の一室なのだと分かった。
低い天井に、古代ローマの風景で見かけたような半壊したアーチの向こう側では、奇妙な模様の描かれた石壁に囲まれた――恐らく祭壇。石積みの祭壇では、ごうごうと炎が燃えており、そこに先程の老人とあのぐにゃぐにゃした獣が向かっているのが見えた。
「……?」
何が行われているのか想像すると身震いがしたが、その不気味な集まりの周囲に積み上げられたものを見て益々ぞっとした。不潔な空間の中、所狭しと堆く詰まれた骨の山――よくよく見ればその白い四足歩行の獣達はあらゆるところから連れて来られているようで、老人達の手によって炎の中へと放り込まれているではないか。
『――千匹の仔を孕みし森の黒山羊よ! 』
炎から上がるおぞましい悲鳴に囲まれながら、儀式の中央にいるのはゴシック風の、裏地は赤色をした漆黒のローブに身を包んだ女性のようだった。
大きく胸元の開いた格好から分かるように、女性はローブの下には何も身につけておらず、露出した肌部分には壁に刻まれたものと同じ様な紋章が刻まれているのが分かった。
『イア!……シュブ=ニグラス! 我が生け贄を受取り給えッッ!』
女の声に従うように、奇妙な唸り声達による大合唱が起こるのが分かった。不気味なほどにどれも一定していて、男のようにも女のようにも聞こえ、また大人のようにも老人のようにも子どものようにも聞こえる不思議な声質をしていた。
次々炎の中へと放り込まれる、ぶよぶよの白い物体達――創介は固唾を呑みこんで、それが何であるのかをその場所から観察してみる事にした。何故だろう? 自分は、あの、白い奇妙な獣達の事を何一つとして知らない。全くの知識も無い筈なのに何故かそいつらを知っているような気がして……。
「……っ!」
そして、その正体が何なのか。
分かりかけた時には創介は現実の世界へと引き戻されているようだった。真実を知る数秒前に、自分の脳みそは何らかの危機を予知したよう、ベッドの上で目を覚ましたらしい。
最悪の目覚めで、全身を嫌な汗がぐっしょりと包み込んでいた……。
ラブクラフト一巻目の壁のなかの鼠みたいな
雰囲気にしたかったんだけど単なる改悪ですな。
ラブクラフトの凄いところはいい意味での消化不良具合なんだよね。
ある程度、こちらが想像できるくらいの情報は与えてくれるので
じゃあコレはコレでこういう事か! とこっちが
予想しながら読み進めるとあーげないwwwwと
ばかりに答えは言わずにサっと終わっていく。
だから不気味で不気味で仕方ないんだな。
結局あれらはなんだったんだよ!! みたいなね。
そういうさじ加減が上手い作家なのは勿論だが
翻訳してる人のやり方も巧妙なのな。
無駄な台詞一切なしで、一人称で淡々と進むのが
読んでて息つまりそうなんだよね。
どこで息継ぎすればいいんだ。凄い。
ところでこの白い四足歩行のぶよぶよの獣って
何か想像するとどうしてもboketeにあった
「昨日助けていただいた石鹸です」の人が
頭に浮かぶんだけどどうしようこれw