前半戦


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03-3.因果・因果・因果



 やがて有沢はぐしゃぐしゃになったその紙を取り出すと、雛木に向かって見せつけるようにして持ち上げた。紙には恐らく血で書いたものであろう、全体的に丸っこい文字が書かれている。

『愛しの有沢くんへ。僕は、天使達の住む場所にいきます。』

 雛木がそれを見て、ふふっとかすかに笑った。有沢は腰に下げられていた刀に音も無く手をやった。鞘からすっと引き抜いた。

「……この馬鹿げた追いかけっこも終わりにしよう。そして、俺とお前のこのくだらない因果関係もな」

 言いながら有沢は刀身を雛木のその生白い頬へと宛がう。

「くだらない因果関係って……、何それ」

 雛木は首筋に刃物を向けられている事にはあまり頓着していない様子だった。それよりもむしろ、有沢の言葉の方にその意識を取られているようだ。

「酷いなぁ。僕らは愛し合ったでしょ……、それで有沢くんも納得してくれたんじゃない?」
「ふざけるな! 俺はお前のせいでっ……、お前のせいで全て失ったん、だ」

 語尾の方が微かに震えていた。有沢は何か痛みにでも耐えているかのように歯を食いしばった後、その刀を握り締めた手を振り上げていた。

 雛木は避けなかった。避けられなかっただけなのか、わざとそうしただけなのかまでは分からない。だが、有沢のその刀はしっかりと、雛木の首を捉えた。

「――……」

 首を無くした雛木の身体だけがどさっとその場に崩れ落ちた。有沢は沈黙したままその刀を鞘へとしまうと、転がった雛木の首へと視線を落とした。有沢にその顔は分からなかったが、雛木の目は虚ろに宙の一点をただ見つめるばかりであった。

 妙な情が沸いて来ない内に有沢は刀をしまうと、やがてその場から背を向けた。

「……馬鹿だなぁ」

 歩き出すのと同じくして背後から声が聞こえてくる――同時に凄まじい程の殺気も。有沢は再び刀の柄に手を添えると振り返った。

「マシンガンでも死なないのに、首を落とされたぐらいじゃ死なないよ? ゾンビじゃあるまいし」

 雛木の身体は、今しがた切り落とした筈のその頭部を抱えて立ち上がっていた。胸に抱かれたその雛木の首がにっと歯を覗かせて笑った。

「っ……お前、――やっぱり」

 一人で納得したよう、有沢が舌打ち交じりに呟いた。

「そう。僕はね、『お兄ちゃん』と融合したんだよ――お兄ちゃんは切られたりちょっと焼かれたりするくらいじゃ死なないからね。すっごいでしょ?」

 まるで外れた人形の頭部でもはめているかのように、雛木がその首を自身の元あった場所へと戻したのだった。気の狂ったその光景を見る事は出来ないが――いやはや、見なくてもいいものだ――大体想像がついた。

 もはや吐き気を通り越して眩暈がしてくる。出来の悪いB級のモンスタームービーのようだった、切っても撃っても死なないほとんど不死の人間。それが自分の倒さなくてはならない相手――。

「不死身とまではいかないんだろうけど、ほとんどそれに近い身体を手に入れたよ。それに不老なんて、とってもステキじゃない?」

 仕上げとばかりに首の関節をボキボキと鳴らしながら、雛木はしっかりと首がはまったのかどうかを確かめているみたいだった。

「――化け物……」
「うふふ。化け物にしちゃあとても可愛いでしょ? あ、でももうその目では見れないんだね、僕のとっても可愛い姿がさ?」

 有沢は何かが吹っ切れたように抜刀と同時に叫びながら疾走した。その刀は今度は雛木の左肩から脇腹にかけてを斜めに切り裂いた。

 それは綺麗に、まるで野菜でも切ったみたいにざっくりとその断面が割れる――、だが。

「あっれぇええ? 有沢くんってさ、もっと賢くなかったっけ?」

 小馬鹿にするような口調で言い、その首が再び笑った。切り離されたはずの胴体が、その切り口から生えて来た不気味な触手達によってたちどころ修復して行く。

 まるでイソギンチャクのような触覚が生えたかと思うと、互いに絡み合い綺麗に回復して行くのだ。不気味な泡と煙を吹き出しながらやがてその傷跡が完全に縫合された。

「んー……治る時ちょっとカユイけど、まっ・文句は言ってられないよね。ただちょっと面倒な事に傷の修復には多くのエネルギーが必要だからね〜。それで仕方なく人間の肉を拝借してるんだけど、これも生存競争だから仕方ないよね?」

 くすくす、とあどけなさの残るその顔で雛木がほほ笑んだ。月の光を受けながら、雛木のそのおぞましいまでの美貌がいっそう妖しげに見えた。

 かつて有沢が気が狂いそうになるほどに――いや実際、その精神は蝕まれていたのだ――気狂いにでもなったかのように恋焦がれ、そして求めた相手。眩暈がするほどに美しく、侵しがたい神々しささえ放つその存在を前にして有沢は竦み上がりそうなほどの恐怖を覚えた。

「こ、のォ……っ、化け物が!!」

 その絶叫だけが、虚しく月夜に響いた。有沢が力任せに再び刀を振り降ろそうとするのを雛木は鼻の先でフッと笑った。

 瞬間、くるっと回転して見せたかと思うとその右の手の平で有沢の顎を思い切り殴打して見せた。いわゆる『発勁』の要領であろう。大した力も籠っていないかのように見えたのに、回転を伴ったその殴打の勢いは凄まじく有沢は後ろに吹っ飛ばされた。

 そのまま有沢は背後の大木にぶつかる形で、ブレーキとなった。その際に背中と後頭部を思いのほか強くぶつけてしまったらしい。叫び声すら上げることなく、瞬時に痙攣し、その握られていた刀がカラン――、と地面に落ちた。

「でもね、有沢くん――僕は確かに君の大切なものを奪ったけれど、僕はほんのちょっとだけ君の事が好きだったりしたんだよ。だからこそそうやって追っかけてきてくれるのが嬉しかったりするんだけど……って。おーい? ありゃ、気絶しちゃった?」

 ぐったりとしたままの有沢を見下ろしながら雛木がつまらなさそうに呟いた。

「……なぁんだよもう。ガッカリだよ、せっかくの僕の愛のメッセージを――まあ、いっか。僕は行くからね、また追いかけてきてくれるよね? あ・り・さ・わ・くん♪」

 失神しているのであろう(恐らく演技ではないのは何となくにだが分かった)有沢の耳元で楽しそうに呟くと、雛木はその手の平に再びメッセージを握らせておいた。

 また彼が自分を追いかけてきてくれるようにと願いを込めて。


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