前半戦


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06-2.ハサミを持って突っ走る





――今のは間違いなく、女性の悲鳴だった……

 途端、熱気が顔に触れる感覚があった。どうやら風呂の最中だったらしい、そんなつもりはなかったのだがコレでは単なる変態覗き魔ではないだろうか……。

 謝罪したい気持ちもあったのだが、急がねばまたアイツ――そう、雛木による犠牲者が増えてしまうかもしれないのだ。だから、今の自分には生憎立ち止まっている暇なんて無かった。

 有沢は刀に手をかけながら、窓にそっと触れる。不用心な事に鍵はかかっていないらしい、そのお陰でガラスを割る事無く侵入できるのだが。そっと音をたてないように窓を開けてから、有沢は湯気の立ちこめる室内に足を踏み入れた。

 途端に石鹸のいい香りと、出しっぱなしのシャワーが床を叩く音が視覚以外の感覚に伝わってきた。その立ち込める石鹸の香りに幾分か気持ちが緩みかけたが、すぐに有沢は息を潜める。いつどこで、アイツが自分を待ちかまえているのか分からない。

 あの化け物……雛木は、自分とのこの戦いをまるでゲームでも楽しむような感覚で興じている。心の底から、このクソゲームを楽しんでいるのだ。そして奴の仕掛けたこの糞ったれで悪趣味なお遊びに付き合ってあげている自分もいて――正直、本当にいびつなのは自分の方ではないのかとさえ錯覚する。やがて有沢は考えを断ち切るように首を振った。

 馬鹿な考えは止そう、自分はあんな異常者なんかじゃない。只、復讐のためだけにアイツを追うだけだ。そしてその目標を遂げる事しか、考えちゃならない。有沢は少しばかり昔の事を考えて、それから打ち消すように唇を引き結んだ。刀の柄を再び強く握りしめるといつでも抜刀のできる構えを取った。抜き足で歩きながら、有沢はそのバスルームを出ようとする。




「死ねッッ! この変態目隠し覗き魔ヤロー!!」




 ガンッッ、と後頭部に何やら思わぬ衝撃が走った。形状やその音からいって恐らく脱衣した服を入れたカゴかはたまた洗濯物入れのものか……まあそんな事はどうでもよく、とにかくそれで殴られた。有沢が思わずブーッと何か吹き出しながらコントの如くその場に派手にすっ転ぶと、殴ったヤツは更にその手を振り降ろし続けた。

「女子の風呂を覗くとはふてぇ奴だなオイッ。とっちめてやる! ええい、こいつめ!」
「もうやめとけよ創介……」

 見兼ねてセラが止めるのだが創介は構わずにポコポコと殴り続けるのだった……。セラがハァッ、とこれ見よがしに溜息をつくのだがそんなもの当然創介は聞いちゃいなかった。

「……遅かったみたいね」

 駆けつけたはいいが、その現場を見て苦笑混じりにミミューが囁いた。その隣で包帯姿の少年は腕を組んで、この光景を何とも言えない表情で見守っている……。

「この野郎、この野郎! だんまりじゃなくて何とか言わんか! お前、どーゆーつもりだこんにゃろうめ。ナンシーちゃんに何かエロスな悪さをしようっつー魂胆か!!」

 激昂状態の創介は、もうすっかり人の話を聞く様子も無い。セラが呆れつつ後ろから止めてようやくその手を止めた。

「あのさ、創介――いい加減にしろよ……相手の言い分も聞かずに。それに、この人多分お前よりもよっぽど腕が立つと思うぞ」
「あんっ?」

 洗濯物入れのカゴを抱えながら創介がセラの方を振り返る。

「お前の事も多分、とっくに斬り殺せた筈なのにその刀を抜いていない。……きっと、創介の思うような悪い奴じゃないと思う」

 セラが呟き終えるのとほぼ同時に、走ってきたのは先程の文字通りに人間離れした美貌を持つ美少年だった。慌てて創介とセラが振り返るが少年が向かったのはこの倒れたままの目隠し青年の方であった。

「こンのおマヌケがあッッ!!」

 叫びながら少年は青年の顎を素足で蹴っ飛ばす。

「――たかだかシロートの一般人にこん〜〜〜なボコスカ殴られるなんて、僕ァもう失望だよ! そんな有沢くんに僕は倒されたくなんかないねッ! ドジ、ばかっ、うんこったれ! セイウチのケツにド頭(たま)つっこんでおっ死ね!!」

 突然走ってきたかと思えば一体何なんだ――と創介もセラも目を丸くするしかない。有沢、と呼ばれたその目隠しの青年はゆっくりと、今しがた蹴られた顎を押さえながらよろよろと立ち上がる。

「……雛木ィ……ッ」

 呟いたかと思うと、瞬きしたその次の瞬間には電光石火の抜刀であった。その動きは鋭く、創介の素人目で見ても太刀筋が見えなかった……遅れて、創介のアシンメトリーな前髪が何本かハラハラと時間差で落ちた。この男、抜刀の瞬間に創介をさりげなくどけてくれたがもしそうじゃなかったらと思うと――……創介は鋭い刀で自分の顔のどこかしらが切れるのを考えてぞっとした。

 セラが言った通りにこの有沢という青年、そこいらのボンクラとは違うんだろうし、何より悪い人ではないのかも。かも。かも。

 一方でその少年……雛木は首筋に刀をピッタリと宛がわれても全くの無表情である。汗一つかかずに、只じっと有沢を見据えている。

「この前は不覚を取ったが……次は負けん」
「ふぅ〜ん……?」

 雛木が喉の奥でくくっと笑いつつ有沢を、どこか歪んだ熱のこもった眼差しで見つめた。せいぜい楽しませてくれよ、とでも言いたげな完全に相手を舐め切った顔をしている。雛木は腕組の姿勢を崩さぬまま、また緩やかに笑った。

「言ったよねえ、僕は只切られたり撃たれるぐらいじゃすーぐに回復するって。万能細胞様様ァ〜♪」
「しかし、それが何度も繰り返されればその再生が追いつかなくなるのも事実だ」

 一触即発のこの雰囲気をなだめるのはやはりミミューだ。最年長だけあってかこういう役割は毎度毎度彼に回ってくる。年齢が一番高い事を自負しているのだから、当然は当然かもしれないが。

 ミミューはじりじりと見つめ合う二人の間に躊躇することなく踏み込んで行ったかと思うと、いつもの快活な口調で喋り始めた。

「おいおいおい! ちょーっと待ってよ、ね、ねっ!? どっちかがここで倒れたらゾンビになるんだよ。君達どちらも強そうだしこんな場所でゾンビにでもなられたら、君ら自身もマズくなるんじゃないのかな?」

 緊迫したみんなとは違ってミミューは普段のペースを決して崩さない。それが却って、この張り詰めた空気を緩和させるのに一役買っている……のかどうかは分からないがその言葉に向きあった二人の表情が明らかに変わったのは確かだ。



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