前半戦


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09-2.悪童日記



 それから数年の時を経た今――その頃、薄暗くて狭苦しいあの場所で、糞尿まみれになりながらも何とか生き抜いた彼ら二人はどうなったかと言うと……無事にすくすくと成長していた。

「ぜぇえええったいに逃がすな! あんのボケ野郎、俺の見てない隙に財布盗みやがったッ!」
「この状況に紛れてスリとは一真の野郎も図太くなったもんだな〜、えぇおい!? おしおきしちゃうよーん」

 各地でリビングデッド発生の警報は既に発令されていた。無論、この地区にも歩き回る死体どもの情報は錯綜していた。本音とも冗談ともつかぬ状況のさなか、それでいて何だか楽しそうに――双子のうちの片方こと一真を追いまわすのは日頃から一真をイジメ倒している連中だった。この常軌を逸した状況の中で財布を取られた事に随分と腹を立てている様子だったが、血に飢えた連中はそれを口実にして少しでも恐怖心がなくなるのなら……とばかりに一真を追いまわした。

「……うおっとコケやがった! うははは、ばーかばーかっ」

 どしゃんっ、と一真が足元の石に足を躓かせたのかその場に前のめりに転んだ。

 しめたものだと追い回していた二人は走るのをぴたりと止めた。それぞれがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら一真へと近づく。

「ア〜〜んん? 残念でちたね〜一真くーん。お天道様は君の行いを見逃してはくれなかったみたいだよー」
「……おい、いつまでも俯いてねえでさっさと財布返せ――」

 俯いたままの姿勢でいる一真を無理やり振り向かそうと、一人が肩をひっつかんだ。

「あ」

 何とも短い断末魔であった。男はそのままドォっと背中から倒れた。

「は?」

 倒れた男子生徒の顎下に、深々と刃渡り何センチかに至る……大振りなナイフが突き刺さっていた。あんぐりと開けた口の中には貫通したナイフが覗いていた。

「なっ、なァ……」

 残る一人が戸惑っていると、一真はものともしないような顔ですっくと起き上がった。その表情や立ち振る舞いからいって、手が滑ってそうなってしまった、護身の為にナイフを出したつもりが間違って刺さってしまった……だとかとにかくそういった単なる事故的なものだとは考えにくい。

 そう、立ち上がった彼からビンビンに発されているのは殺意以外のなにものでもなかった。後ずさりながら残る一人は、返り血を浴びた彼の顔を見てはたと気付く。

 そうだ、こいつは――、思わず次の瞬間には叫んでいた。

「て、てめえまさか凛太郎の方かよぉ!? え、え、えーっと……」

 気付くわけもないじゃないか、こっちは凶暴な凛太郎の方だった。一真の双子の片割れで、一応兄に当たるらしい。おっとりとしていてぼーっとした一真は彼らにとって恰好のイジメのターゲットであったが、こちらの凛太郎はいささか暴力的すぎて手に負えない。なので基本、近づく事はしない。

 いつか平気で人一人くらい、容赦なくブチ殺しそうな雰囲気を平然と纏わせた危ない奴だとは思っていたがこの事態に便乗してマジで殺しやがった――許しを乞う前に凛太郎が首筋目がけて容赦ない蹴りを叩きこんできた!
 ぐぇっ、と短く悲鳴を漏らしながら『マジで殺される!』と昏倒とする意識の中で思った。

――畜生、こいつ! 死んだらゾンビになって真っ先にその喉笛に……

 糸が切れたように男は両目を白黒とさせて、その場に崩れ落ちた。膝を突いていると凛太郎は喉元を引っつかんで、中指一本を何とこちらの目元めがけて突き刺してきた。目潰し! 格闘技においては禁じての一つ!! 普通やるか? そんな事やるか普通!?

 片目を押さえて悶絶していると、凛太郎はブレまくる視界の中でその中指をおっ立てて『ファックユー』のポーズをとっている。

「こっ、こいつ……」
「死ね」

 邪悪な笑みと共に凛太郎はそいつの頭をガッ! と掴んだ。がっちりとホールドすると、茫然と凛太郎を見つめる男の首が途端に百八十度回転した。首がボキッと折れて、男の頭部は完全にあちら側を向いてしまっていた……。

「……」
「凛太郎〜……」

 物陰からそれを見守っていたのは、こちらが本物の一真のようである。おずおずと一真が物陰からちょいと顔だけを覗かせてこちらの様子を窺っている彼は、成る程確かにいじめられそうな気弱そうな少年。

「……もう済んだ。他愛もないヤツらだった、さっさと離れようぜ。じきに起き上がってゾンビにでもなられたらたまったもんじゃねえ」 

 凛太郎がもう動かないであろうそいつに一つ唾を吐き捨ててから――それから思い立ったよう、事切れている男子生徒二人の身体をまさぐりはじめた。

「殺したの……?」
「呆気なかった。どうせこんな奴らだ、俺が今殺らなかったとしても、いつかは死んでたな」

 それはまるで自分に言い聞かせているみたいにも聞こえた。凛太郎はポケットからガサゴソと何かを取り出し、それが使えるものかどうかを値踏みし始めたらしい。コンビニかどこかのレシート、吸いかけのラークの箱、スマホに百円ライター……その中から凛太郎はライターだけを手にとって制服のズボンに入れた。用済みと言わんばかりに凛太郎はその男子生徒の身体を放り投げると、次は隣で息絶えた方の生徒へと手を伸ばした。

「チッ、こいつらヤンチャそうな割にはナイフの一本も持ってやしねえ。つっかえねえな〜」

 ポケットをまさぐって出て来たのは禁煙用のガム、十円玉や五円玉と言った小銭の類、あとは丸めたティッシュのクズ……こちらは何一つ役に立ちそうな物が無い。

「おい、一真。それで財布は奪えたか」

 仕方がないか、と凛太郎は先程突き刺したナイフを抜き取ることにした。顎から一直線に突き刺さったそれは、何だか大道芸だとかマジックショーで見られる剣を飲み込む手品を思い出させた。これはこれは摩訶不思議、刃物を飲み込む驚異の魔術! タネも仕掛けもございませーん……とな……。

 凛太郎は顎に片手を添えて、もう片手で柄を握り締めた。自分でやった事とは言え、あまり長い事見つめていたい光景ではない――。

「……財布……おっことした」
「ハァ!?」

 ちなみに財布を奪う役割は一真で、途中から凛太郎と入れ替わると言う双子ならではのトリック戦法だったのだが一真は肝心の財布を紛失させたのだと言う。凛太郎も思わず素っ頓狂な声を上げて驚きを隠せない。

「どこにだよ!」
「分からない……」

 一真はおずおずとその首を横に振った。

「……の、グズ!」

 凛太郎がスナップを利かせてぴしゃんと一真の頬を打った。よろけた一真の頭上めがけて今度はナイフの柄の部分を振り下ろして、何度も何度も執拗に殴り付けた。

「あ、アッッホンダラぁ……ッ! だったら俺は何のためにここまで走ってきたっつーんだよ、ボケカス! ふざけるのもいい加減にしろよ!」
「ごめん。ごめん、凛太郎……」

 一真が泣いて許しを乞うが凛太郎はその手を止めない。荒れ狂う感情に任せてその腕を振り下ろし続けた。傍目から見ればちょっとやり過ぎではないのか、と思えるほどに。

「大体てめーはいっつもそうやって俺の足を引っ張りやがる、こんのクソがっ! そんなに俺を困らせるのが好きかよ!? えー、おいっ!?」
「違うよ、わざとじゃないよ。ごめん」

 涙さえ浮かべて一真は言うが、凛太郎は薄々に分かっていた。……否、わざとなんだ。そう、一真はこの『お仕置きタイム』を望んでいる。

 こうやって殴られれば殴られるほどに一真はまるで犬コロみたいに尻尾を振って大喜びするのだ、とんでもない変態だった。殴られ、あるいは蹴り飛ばされ、時には切り付けられて……そんな非人道的な扱いを受けてようやく自分の求めるエクスタシーに達する事が出来るといういわばマゾヒストであった。そしてそんな凛太郎も――。

「謝って済むんならけーさつはいらねーんだよッ! 次やったらクソ地獄行きだ!」

 その丸まった一真の背中めがけて、凛太郎が靴の爪先を叩きこんだ。一真がうげっ、と声を漏らして今にも嘔吐せんばかりに咳き込んだ。そんな弟の姿を見ても凛太郎は申し訳なく思うどころか、そう……笑っていた。

 彼もまた、同じだった。一真をいたぶる事に、至福の喜びを見出していた。……こちらは筋金入りのサディストだ。幼少期の経験が彼らをそうさせてしまったのか、いやそれともこの世に生を受けた時から既にそうであったのかはだ〜〜れも知らない。

 だが彼らはそれぞれ、痛めつける事に興奮を覚える者、痛めつけられる事に興奮を覚える者。綺麗に二等分された、極上の変態同士であった。

「うっ……ううっ」

 一真は声を潜めてしくしくと泣き出した。それで凛太郎に幾分か冷静さが戻ってきたのか、凛太郎の爛々と輝いていた瞳の光がそこでふっと消えて行った。いつもならこうはいかないのだが、何分状況が状況だ。楽しんでいる場合ではない。

 凛太郎は思う、自分以外の誰かが勝手におッ死ぬのはどうでもよいが自分が死ぬのはごめんだ。ましてや自死以外、見ず知らずの誰かに殺されるのなんて。

「ちっ……悪かったよ……やりすぎた」
「わざとじゃないんだよ、凛太郎……ほんとに走ってる時に落として、それで――」

 凛太郎は泣き伏せたままの一真を起こしてやると、抱きしめて頭を撫でてやるのだった。本音からなのかご機嫌取りなのか定かではないがたっぷりと可愛がった後はこうしてやるのが彼なりのアフターケアというやつだった。

「悪かったってば。泣き止め」
「うう、ひっく……」

 凛太郎は片手にあったナイフをひゅっと振って血を払った。これも使い勝手としては悪くは無いが(武器以外にもサバイバルグッズとして使えるし)相手がゾンビとなるとこれ一本では少々頼りないな……、と凛太郎は考える。どこか、銃が手に入る場所は無いものか。

 この銃禁止社会のありがたきニッポン様となると――警官から奪うか、ヤクザの事務所にでも潜り込むか、或いは自衛隊基地にでも……。

「あっ、り、凛太郎……!」
「あぁ?」

 一真が指した先で、先程の男子生徒がゆっくり起き上がっていた。

「チッ、もう目覚めやがったか。よし、逃げるぞ」
「う、うん」

 二人は寄り添いあうかのように立ち上がると、すぐにその場から走りだしたのであった。


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