07-1.Dawn of the dead(死者達の夜明け)
むせ返るような香水の匂い、甘ったるすぎてもう鼻が馬鹿になりそう――。
「ねえ〜、創介ぇ。高校卒業したらあたし創介のオヨメさんなっていい?」
「えー……」
家を飛び出した創介はひとまずピンクちゃんの家に転がり込んでいた。そこで一情事を終えてから二人はベッドでのいちゃいちゃタイムへと突入したらしい。
ピンクちゃんの名の通り、フリルのついたハート型のショッキング・ピンクのクッション、薄いピンクのベッドシーツ、カーテン、とにもかくにも派手で全部が全部キラキラとした部屋だった。今は部屋の電気が消えているおかげでそのどぎついまでのピンクは暗みがかって見える。
正直言って落ち着かないし目に悪い配色なので創介はあまりこの部屋が好きではない。こんな部屋に常時いてピンクちゃんは精神に何らかの弊害を起こさないものだろうか。
「んー……駄目だよ、俺そんな甲斐性無いし〜」
創介にとってはこのピンクちゃんは単なる遊び相手なのだが向こうからすれば本気の恋人も同然なのだ。
手料理も食べさせるし、時には食事にだって連れてってもらうし、プレゼントだってあげたりもらったり――この家の合いカギだって渡してある。何よりもベッドの上ではいつものように愛してる、お前だけだ……なんて耳元で囁いてくれるのだからピンクちゃんはもうすっかり彼の虜になっていた。他の女にも同じような事をしているのだとは知りもせず……。
「えー。あたし創介以外とは結婚したくなーい。創介を最後の男にしたいの、本気っ!」
出会った時からだがピンクちゃんはとても結婚願望の強い子だった。十代のうちに、そして出来れば学生結婚したいとしょっちゅううわ言のように繰り返していた。
「ピンクちゃ〜ん、俺先に言わなかったっけ? そういう真剣な付き合いって苦手だから結婚を急ぐんならもっと別の男を探した方がいいよーって。悪いけどぉ、結婚前提って言うなら……」
いつもの調子でそんなピンクちゃんをたしなめるように創介が話しかけた、まさにその瞬間だった。
バンッ! とベランダの扉が思い切り音を立てた。一斉に二人がベランダに視線を注ぐ。
「え、何……?」
ピンクちゃんが怯えたように裸体のままで創介にすり寄ってきた。音がしたのはベランダの方向か……、
「――とりあえず電気つけよっか?」
「……例のストーカーかも」
声を潜めながらピンクちゃんが呟いた。ああ、そういえば元カレに嫌がらせをされてるなんて言ってたっけか……創介は眉間に皺を寄せた。
「マジで? 女々しいやっちゃなー……うし、俺がちょっくらガツンと言ってやるよ。ピンクちゃんは危ないからそこにいてよ。そーっと行くから懐中電灯とか、何か電気の代わりになる物ない?」
「暗くて分かんない……スマホを明かり代わりにするのは?」
まあそれでもいいか、と創介はスマホをとりあえず片手にした。
服を着るのも面倒だ、と創介はすっぽんぽんのまま……いやいやこれから女の子を守る王子様のような役割なのに流石に全裸はカッコ悪いか、とベッドサイドにあったバスタオルだけを腰に巻いてベランダに向かって歩き出した。
ぼんやりと、擦りガラスの向こうに確かに人影が立っている。こちらが近づいているのには気付いていないんだろう、呑気にドンドンとその窓を叩いている。
――女の子ちゃんをビビらすとは悪趣味な野郎だ……
それにしたって女々しい、もしピンクちゃんの言うようにこれがマジで元彼とやらだとするなら何て女々しい野郎だ。ふられた腹いせにこんな嫌がらせとは――、
とりあえず今はこちらの存在は気付かせぬように創介は息を潜めながら問題の陰に近づいて行く。
そのシルエットからして、確かに男のようだった。顔は拝めないが、中々ガタイのいい男である。どん、どん、とその扉を規則的に叩いているようだった。その決まったリズムで叩く仕草が、何だか機械じみていて不気味に感じたが、まあとにかく……創介は窓の傍まで近づくと、姿勢を低くしたまま壁際に立つ。
一旦息を吐いてから、吸い込み、極力ドスの利いた声で叫んだ。
「おいっ!」
返事は無い。代わりに男は窓を叩くのを止めた。ゆっくりと影がこちらを振り返ったようだった。
「何の真似か知らねえけどな、別れた女んとこ現れるとかお前本当にチンピーついてんのか? 気色悪いっての」
そして二度目の無視……。ちなみにチンピーとは彼の中でのチンコの呼び方らしい。
「――おい、黙ってねーでどうにか言えよ? ピンクちゃん怖がらせて楽しんでるのか? このヘンタイヤろ……っ」
痺れを切らしたように、創介は手にしていた携帯の灯りをソイツに向けた。こんな馬鹿な真似をする異常者のツラを拝んでみたかったからだ。あとはちょっとした、威嚇のつもりで。だ、が。
照らし出されたそいつの顔は……左の頬半分がまるで何かに食い千切られた跡の様に、荒々しく抉り取られていた。無くなった左半分はその白い歯が露出している。
「ェひぇッ!?」
思わず間抜けな声を漏らしたが、落ち着け。彼女のマンションにまで現れて嫌がらせをするような男だぞ? きっとこういうメイクでもしてビビらせようっていうんだ、全くどこまでも悪趣味な奴……ッ!
と、何とかかんとかで自分を納得させかけたところで、男は再度その機械じみた動きでガラス戸をどん、どんと叩き始めた。
「……あっ、あのなぁ! そういう真似すんなら警察呼ぶぞ、コラ! このヘンタイめ!」
極力声が震えるのを抑えつけて創介が叫ぶと、男は獣のように「うー、うー」と謎の呻き声を上げながら狂ったようにガラス戸を殴り続けた。
オイオイオイオイオイオイぃ? 完璧に狂人じゃあないか、これは……と創介が固唾を飲んで手にしたスマートフォンで警察に連絡しようとする。
「創介? どうかしたの?」
「何でもねえよ、ピンクちゃんはそこで待って……」
――どうしたことだろうか。電話が、通じない。機械のアナウンスが虚しく創介の耳に響いた。
『大変申し訳ございません。只今、回線の方が混み合っており――』
「んぁあ……? 何でだよ――」
顔をしかめるのとほぼ同時に、変態男がその手を握り拳に作り変えていた。男は右ストレートの要領で、ガラス戸を殴り付けた。ガラスの砕け散る音と共に、派手にガラスが飛び散った。
「きゃあああっ!?」
ただでさえ甲高いピンクちゃんの声がもうワントーン高くなった。
テンションが高いで章。
やっぱりゾンビものの面白さといやあ
パンデミックシーンだよね!!
でも冒頭から既にゾンビまみれ、の
パターンも好き。
理由なくそんなもんが歩き回ってるのが怖い。