▼ 09-4.ふたりの再会
ユウ達との合流を目的に、順調に車を進めていた……が。突如、ヒロシが急ブレーキを踏むのでノラも思わず間抜けな声を洩らしてしまった。
「うわわっと。……ど、どした?」
「――いえ。あの……馬鹿を承知で一つ、申し上げたい事があるのですが」
「? 何だい、かしこまってからに」
いつもは慇懃無礼なヒロシの事だ、丁寧そうな態度をしていながらどこか相手を攻撃するような態度が見て取れるのだが今回の言い草は何だか妙にしおらしく思えたので、ノラも少々ばかし驚いてそのヒロシの顔を覗きこんだ。
その訝るような顔つきといったら、何か悪いものでも食ったのではないかと心配しているような具合で却ってわざとらしくもあったが。
「……少しだけ寄り道してもいいでしょうか? 時間が無いのは分かってるんですが、数分……五分もかからない筈ですから」
「自分の家、か?」
ピーンと来たのか、ノラが尋ねるとややあってからヒロシが頷いた。
「我儘、だとは思うのですが」
「ん……いや、いいよ。でも急に何で? 珍しいからさ」
ヒロシが少しだけ視線を伏せて、いつも以上に眉間に皺を刻ませる。あまりいい返事ではないのは、この時点で察しがいったが。
「――胸騒ぎがする」
ノラから了承を得るなりにヒロシは再びブレーキを解いてアクセルを踏み込んだ。
「只の杞憂に終わればいいのですがね……」
そんなヒロシに対して、深追いする事もせずノラは従うだけなのであった。
信号機の機能しない道とはこんなにもスムーズに進めるものか、ここからヒロシの家はそう遠くない。いや実際にはそれなりにあるはずなのだろうか障害物の無くなった道では比較的楽に辿りつけるのだから何だか皮肉なものだ。
その場所へ着くなりに車を止め、ヒロシとノラは外へと飛び出した。
「……」
立派な外観の我が家は相変わらずそこに聳えてはいたものの、何かがおかしい――すぐに気付いた。大量の火薬の匂い、混ざって血の匂い……ふと足元を見下ろすとガラスの破片が飛び散っている。うっすら血痕も残されている――ヒロシは舌打ちすると、すぐさま駆け出したのであった。
「あ、ちょちょ、ちょっとヒロシちゃん!」
ノラが止めるのもやはり聞かずにヒロシは家の中へと飛び込んだ。ノラもその後を追って屋敷の中へと駆け込んで行く。
「アーサー!!」
広い屋敷の中が、まるで空き巣にでもやられたかのように棚からクローゼット、机の引き出しに至るまでが全て乱雑に開けられており中身は乱雑に散らかされていた。……只一つ空き巣では無い証拠に、落ちた薬莢が飛び散り、おびただしい血痕が壁にへばりついている。たかが空き巣相手ではアーサーがそう簡単にやられるはずはないだろう……ヒロシは一度ごくりと唾を飲み、取り戻したジェリコ941を取り出すと両手に構えた。
――おかしい。アーサーはどこだ!?
「ヒロシちゃん〜」
ノラが少し遅れて追いついて来た。
「うわ、こりゃまた。派手に荒らされまくってるねー」
「ああ……」
静かに頷いて、ヒロシが手前のドアを蹴り開けてから正面に銃口を向ける。先に飛び込んだヒロシより早く、その室内の惨状に気付いたのはノラらしい。ヒロシの背後でノラがうっと呻くのが分かった。
「……これは」
室内に転がっているのは無数の頭部が吹き飛んだ死体達だった。どれも皆、同じ制服を身に纏っている……胸元の不可思議なエンブレム。田所の部隊が身に着けていた物と同じだ。と言う事は、まさか――ヒロシは戦慄し、唾をまたひとつ飲んだ。
「どれもみんな、頭が無い。ゾンビ化するのを避けるためだろうね……」
独り言のようにノラが呟いて再び辺りを見渡した。
「気をつけてください。残党がまだ中にいるかもしれませんよ」
「オーケー、背後はバッチリ任せといてよ」
ノラからの応答を受けてヒロシが足を進め始めた。やがて、呻き声の様なものがヒロシの耳に届いた。微かな、消え入るようなその声にヒロシは銃口を向けた。声のした方に、恐る恐る近づいた。
「……っ!」
壁に背を預ける格好で――そう、アーサーが倒れている。血の滲んだ脇腹を手で押さえながら、アーサーは虚ろな視線を持ち上げてヒロシの方を見つめた。そのおぼつかない視線からも分かるように、もうほとんど半殺しに近い状態で彼はここに転がされていたのだろう。どのくらいの時間をそうしていたのか分からないが、すぐにでも処置しなくては危険なのは明らかであった。
「――ぼ、っちゃん」
それからやっとの思いで口にした言葉も、漏れて来る断片的な呼吸音のせいでかき消されてしまう。
「アーサー!」
ヒロシが駆け寄ると、無残な姿で横たわるアーサーを丁寧に抱き起こした。
「一体……一体どういう事だ!? 何があったんだ」
遅れてノラが室内に足を踏み入れたのが分かった。
「すみません……坊ちゃんの、家を、守りきれませんで……うっ」
「そんな事はいいから! それよりも早く、早く治療を――」
ヒロシが担いでいたデイパックを降ろすと中から救急キットを取り出そうとする。だがそんなヒロシの手に自らの手を重ねる事でその先を止め、アーサーは静かに首を振った。
自らの治療よりも、伝えたい事があるらしい。
「――ジークフリード、です。ここを襲ったのは」
「……」
「あいつは……ジークフリードは、私の……陸軍時代の教え子でした」
「いいから喋らないでくれ、頼むよアーサー。今はそれよりも怪我の方が――」
だがアーサーは喋るのを止めなかった。それが残された自分の最後の使命だと言わんばかりに、手当てしようとするヒロシのその手を頑なに離そうとはしなかった。
「あいつは確かに立派で……腕も確かだったが――、あいつはいつしか自分の力で……世界を手中に収める妄想にばかり、とり憑かれるようになった。……それもこれも、全て私のせいだ、私が……私が彼の思いに気付いてやれずに彼を傷つけたせいで」
「アーサー……」
もう口を開くのすら辛そうだったが、不思議とアーサーは饒舌だった。そうする事で何か、自分を少しでも納得させたいかのように。
「そんな事を今更言っても……遅いか」
アーサーが昔を思い返すように言って、少し悲しそうに笑ってから激しく咽込んだ。慌ててヒロシがその背中へと手を添えてやったが、あまり意味はないように思いつつ、それでもそうする他にはなかった。
「彼は恐らくネクロノミコンを狙っています。坊ちゃまのお父様、から頂いたデータなどを持ち出して行きましたが全てフェイクとすり替えてありますから、問題はありません。持ち出した所で大したデータ等、保存されてはいないのですが……ああ、と、どれも坊ちゃまの知っている情報ばかりですよ」
「……」
「ふ、ふ……そろそろ、私も限界の様です。坊ちゃま、最後に一つ……」
「――父さん、なんだろう?」
思いがけず発されたヒロシのその言葉に、黙ってその状況を見守っていたノラが少しだけ目を伏せて逸らした。アーサーの、死に至る直前の朦朧としていたその瞳が少しばかり大きく見開かれた。
うんこを我慢しながらの執筆
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