▼ 08-1.ジャスティス・イズ・バイオレンス
車を運転させていたヒロシとノラもその中継をカーナビのテレビで眺めていた。運転していたのはヒロシだったが、思わず急停止させた。サイドブレーキを引き、完全に停止させる。
「馬鹿な……」
悔しそうな声を洩らしながらヒロシがディスプレイに手を置いた。
「これじゃあ、誰も報われない……おい、あいつはどこへ逃走する気だ!? 僕たちだけでも追いかけて捕まえましょう」
「いや、いい。その必要はない」
ノラが腕を組みながら静かに首を振る。
「……ッ、何故ですか!? こいつのせいで何人もの自衛隊や関係の無い市民が――」
「だっからさぁー、そんな必要は無いんだよ、ヒロシちゃん」
たしなめるようにノラが言ってのける。意味が分からずにヒロシが眉間に皺を寄せたまま見つめ返した。
「あれ」
ノラが横手の窓を親指で指した。ヒロシが身を乗り出して見つめると、自分たちのすぐ横を猛スピードで突っ切っていくワゴンがあった。ほとんど走行している車がないとは言え実に乱暴な運転であるが――。
恐らく、今しがた逃げだした田所だろうとはすぐに分かった。ヒロシはその車を見つめて、何故ノラが自分を止めたのかようやく合点がいった。――納得した。ヒロシはふっ、とため息をついて自分の席に戻った。
「……すいませんでしたね。確かに僕らがやる必要は……無かったみたいです」
ヒロシがシートベルトを締め直して、一旦止めた車をもう一度発進させる……。
「くっそぉ、ヨシオカぁ、一度この傷を治療する必要がある。よっしゃ、病院へ行け!」
「イエッサー。それにしても、見事に殴られっぱなしでしたね!」
「わざとに決まっておるだろうが! 断じてあいつが怖かったとか手も足も出なかったとか恐怖ですくんでいたとかそんな事は無いんだぞ。クク……それにもうアイツは死んだからな。今思い出せば中々腕の立つ奴だった、説得して仲間にするのも良かったかもしれないな」
外れた肩や負傷した箇所の深さを調べながら田所が笑った。
「これからどうするんですか?」
「……俺を捨て駒にしたあの野郎どもをブチのめしてやる! 泣いたって許してやらんぞあいつらは。そしてジークフリードのアホに代わって俺がこの世の支配者に君臨する」
田所が宣言するように叫ぶ。決意を新たにするが顔中血まみれでは格好がつかないとまずは鼻血を拭う。
ふと、ルーフの部分がどん、どんと鈍い音を立てるのに気がついた。ともすれば走行中の音にかき消されそうなほどの音であったが確かに聞いた。
「……何だ?」
田所が不審そうに天井を見つめながらベレッタを手に取る。
「おい、今、音したよな」
「? いえ、何も……」
思い過ごしであっては欲しいがいざこうやって否定されると腹が立つ。思わず声も荒っぽくなってしまう。
「おい! 俺をうそつき呼ばわりする気か!……お前らも聞こえただろ……」
そう言って後ろの座席を振り返り、見た。……乗っていた筈の二人は既に息絶えている。喉を一瞬のうちに、一突きにされたらしい。何が起こったのかを理解する間もなく殺されたのだろう。舌をだらんとこぼれさせて、ぐったりとその手を力無く放りながら二人は宙を仰いでいる……その傷跡は鋭利な刃物に刺されて……、−−待て。鋭利な刃物? 田所は全身がぞっとするのを覚えた。まさか、馬鹿な、そんな、まさか――! あいつはだって爆死したんじゃ……。
恐怖に慄き、田所が正面に視線を戻したまさにその瞬間であった。
「はぁーいっ♪」
目の前のフロントガラスに、逆さまに覗きこむルーシーの顔があった。
「ヒイイイイイイイッ!!」
大の男二人が、いい年こいた男二人が、女みたいな悲鳴を上げて抱き合った。
「るるるっ、ルーシー・サルバトーレ……」
「ひ、ひいい! 何で生きてるんですか!? あいつ、何で生きてるんですかああ! さっき死んだんじゃないんすかーーーーっ!」
「おおおお・俺が知るか! ロボットなんじゃないのか!? それとも未来から来たターミネーターか!? ど、どんな化け物か知らんが物理的にそして徹底的に破壊しろ〜〜〜、ええい降り落とせ! さっさとしろよぉおおっ、このポンコツぅうう!」
強引にハンドルを奪うと田所は遮二無二ハンドルを切り、車体を右往左往させ車の上にいるその化け物を降り落とすのに必死になった。車が大きく何度も揺れ、正面等もはや見ていなかった。
「ちょ、ちょっと前! 前ぇえええッ!」
「うるせえっ、前が何……ッうおおおお!?」
急ハンドルを切った車体が派手にスピンするが、勢いは緩まらずそのまま車は道を塞ぐ様に倒れていた壁に激突してしまった。
衝撃のあまり、その場で休息していた鳥たちが一斉に羽ばたいて逃げだしていく。やがて横倒れになった車から這うようにしながら、クモの子みたいな姿勢で田所とヨシオカが飛び出した。
「ええい! くそ! 車もその辺で盗むぞ!」
「ちょちょっ、ちょっと俺の事も引っ張って下さいよ、自分ばっかり逃げて……」
「ああ!? うるせえ俺は選ばれた人間なんだよテメーと違ってな!」
脱出できたはいいが二人は口論をし始めたらしい。
「ええいっ、愚図! てめえがここまで生き残れたのは誰のお陰だと思ってんだ!」
「なっ……つうか貴方だって俺がいなかったらここまで逃げれなかったんですけど!?」
「うるせえ! 車調達したぐらいでいばるんじゃねえ! そんな小さい事言ってるから出世できねえしオンナもできねーんだ、ボケッ!」
揉めることに夢中で二人は気付きもしなかったらしい。そんな二人に迫る、一人の影を。マントをたなびかせ、腰部の鞘からすっと釵を抜き取った。手にした釵が、その刃が、妖しく光をぎらりと反射させた。
「あっ、頭来た! 今日限り貴方とは……」
「ん? 何だ? チーム解消か!? 上等だよターコ、俺は一向に構わん!」
「……ひっ!……いひ」
「? 何だ、おい」
「う、うし」
「……牛?」
ヨシオカが震える指先で指示した先にいたのは、当然……。
「っひぎぃぁあああッ!」
ルーシーの無慈悲な笑顔が彼ら二人にはっきりと自覚させる。……こいつはもはや同じ世界に属している人間ではないのだと。降り注ぐ冴えた陽の光を背に、ルーシーの釵が妖しく映えた。その釵が風を切って降り降ろされるのとほぼ同時に、田所の厳しい鍛錬の末鍛え抜かれた反射神経が活きた……のか。田所はヨシオカの胸倉を掴むと、盾代わりにとその身を差し出された。
ヨシオカは肩から横腹あたりまで一文字にかっ裂かれたようだったが即死では無いらしい、すぐにルーシーに横手に蹴り飛ばされた。単なる時間稼ぎにしかならなかった事を知り田所は両手を上げて戦う意思が無い事をアピールし始めた。
「ま、ま、待て! 待て! ギブアップ! ギブアップだ! 俺の負け、完全に敗北でいいです! 降参しまーす。ねっ、これでいいでしょ!? はいお終い……ねっ、お、お終い……」
「そんなもの、初めから無いよ」
田所の二つの瞼に、まるでスローモーションで見ているかのようにゆっくりと降り降ろされる釵と、子どもの様に無邪気に笑うルーシーの恐ろしいまでの美しさが相まって何かのワンシーンのようだ。有終の美を飾るアクセサリーには丁度いい……あゝ、何て美しいのだろうか……。
横転した車に、寄り添うように亡骸が二つ。それを見下ろすように、ルーシーがサイについた血を振り払っている。そんな中で突然の様に鳴り響いたのは有名なホラー映画のイントロに使われているおどろおどろしいメロディだ。ルーシーはハテ、と首を傾げたがすぐにその場所を発見した。田所は車に背を預ける格好で、その焦点の定まらぬ視線でルーシーを見つめ返した。
「う……うっ、うぅ」
どうやらまだ息はあるらしい。もうほとんど虫の息も同然であったが。ルーシーはしゃがみこむと田所の胸ポケットから携帯をすっと取り出した。ディスプレイ画面には『クソ電波教祖さま』と表示されている……「か・返せ」。田所はそう呻いたつもりだったのだが実際には「返へ」の発音に近かっただろう。
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