▼ 07-1.虐殺ヒーロー
ミイの危惧した通り、避難所代わりにされた学校がそこにはあった。幸いにもゾンビ達はいないようだが、代わりに人々が揉めているのが分かった。彼らの怒鳴り声はミイより少し遅れて走るユウの元にも届いた。
先程聞いたのは女性の悲鳴だったようだが、聞こえて来るのは男の人の捲し立てる様な声がほとんどであった。ユウと、石丸とヤブがミイより少し遅れて駆けつける。
「ゆ、許してください……その子が……その子がお腹をすかせていたんです」
女性は泣きながら土下座をして許しを乞うている。それを取り囲むように随分と殺気だった様子の男性達が立っていた。……実にピリピリとした雰囲気だ。女性の傍には割れたガラスの破片と、漬物石くらいの大きめの石が一つ。そしてそんな中でまだ幼い少女が、わんわんと泣いている。
「――馬鹿野郎! だからってルールを破って、食糧に手を付けるなんて……!」
「そうだ! 飢え死にしそうなのは俺たちだって同じだって言うのに、ふざけるなよ! ちゃんと配分を決めてあるんだぞ!?」
女性はそれでもすみません、すみません……と泣きながら頭を下げるばかりだった。この女性がきっと、子どもにどうしても何か食べさせてあげたくて食糧庫に侵入したのだろう。その現場を押さえられたというわけだろうか――。
――きっと誰も悪くないんだ……
ユウは言い争うその姿を見て唾を飲んだ。
「ママーっ、ママァ」
「う……うるせえ! お前のせいだぞ、お前の!」
泣き喚く少女に、いよいよストレスの限界を揺さぶられたのだろうか。まだ若そうなその男性が怒鳴ると、少女の手にしていたぬいぐるみを無理やりに奪い取った。
「がっ、ガキは邪魔なだけなんだよっ! 何もしないでメシは食うし、やかましいし、お
まけに泣いてゾンビ達の気を惹くんだ、畜生!……ちくしょう」
奪いあげたぬいぐるみを男性はアスファルトの上に投げつけて、更には踏みつけた。やるせないのはきっと皆、同じなのだ。子どもを持った事のない人からすれば、きっとこんな状況において子どもの存在なんて邪魔なだけだろうし、ましてや良い対処の仕方だって分からない。
「くそっ! くそ……」
その姿を見て少女が更に泣きだすと、男性は苛立った顔つきで少女の方へと向きを変えた。
「やめろ!」
いち早くそれを察知したミイが少女の前へと庇うようにして立った。
「……この子は悪くない。勿論、あんたらも悪かないが――この子に当たるのは筋違いだろ?」
「だ、誰だお前? 部外者が口挟むんじゃねぇぞ」
男性はたちまち不愉快そうに顔をしかめたが、ミイは頑として引かない。少女を守るようにして立つとミイはその場から立ち上がった。
「……俺達は世界の為に、今戦ってる」
「はあ?」
「俺達が、必ず元の世界にする」
ミイが誓うようにそう言うものの、そんな突然のように現れた挙句世迷い言を並べられても――その場にいた一同が顔を見合わせるのが分かった。
「それって……どういう事だよ……?」
「い、言ったままの意味だ。だから、それまで少しの間だけ、辛抱していて欲しい。それまで辛いかもしれないけど、絶対に元通りにする……から」
どういう理屈で、と追って説明した所できっと理解してもらえないのは目に見えて分かった。なのでそれはあえて伏せたままにしておいて、ユウが横から口を挟む。
「そ、そうだよ!」
いっせいにユウの方に視線が注がれる。
「俺達が……俺達が頑張るから、それまで……協力してほしいんだ。仲間同士が争うなんて俺は嫌だよ、同じ人間が人間を陥れるなんて……違うって……」
「……」
ユウが少し泣きそうになりながら言うとそこにいた一同が皆黙ってしまう。少し、冷静さを取り戻して来たのもあるのかもしれない。ミイは背後にいた少女の方へと振り返ると、涙を拭ってやる。
「さ、泣きやんだら、お母さんの所に戻って。もう大丈夫だから」
「うん……」
ミイが微笑みかけると少女も安心したのか御礼を言って母親の元へと駆け出して行った。
「――アンタら一体何者だ?」
「ま、街のヤンキー……?」
「い、医者の息子」
いきなり振られて石丸とヤブが困惑したように正直に答えた。
「只の高校生だ。だが、こうなった原因も全て分かっている……俺達に出来る限りの事をやる」
ミイがそう告げるとその場にいた皆目を合わせていぶかしんでいる。当然と言えば当然なのだが……。ユウが慌てて、女の子のぬいぐるみを拾い上げると砂埃を払って少女の元に持って走った。
「これ、忘れてるよ」
「あいがと」
舌っ足らずな発音で言いながら少女は手を伸ばした。泣いた直後で、少女の目はまだ潤んだままだ。
「もう落しちゃ駄目だよ」
「ん」
少女が両手でぬいぐるみを抱きしめて頷いた。
「あの……」
少女の母親だった。
「ありがとうございました……その、あちらの男の子も……本当に……本当に――」
母親はまたさめざめと泣き始めた。
「いえ。俺なんか何も……」
謙遜して首を振りながら、ユウがミイをちらっと見た。ミイは皆の不審げな視線を一身に浴びながらも、毅然としたままでいる。
「……よく分からんが……、お前ら、悪ふざけも度が過ぎると命に関わるぞ?」
「そうだな。……少なくとも死ぬ覚悟はある」
落ち着きはらった声でミイが返すと再び静寂が訪れた。皆、ミイの覚悟を感じたのかは知らないが先程見せた様な半信半疑の視線は止めて口をつぐんだ。
代わりに異常者でも見る様な視線を浴びせられたが、当然かな、とユウは苦笑した。また自分で自分を追い詰めちゃいないだろうか、ユウは立ち上がるとミイの傍へと歩み寄った。
「ミイ……もう行こう」
「ああ」
その場から離れかけた時だった。避難所から大慌てで飛び出して来たのは一人の中年の女性だった。
「たた、大変よ」
女性は混乱しているのか傍にいたミイにしがみついた。
「今テレビつけたら、最近よく出てる宗教団体が男の子の公開処刑をテレビで生中継放送するって……もう始まるみたいなのよ! 何でこんなおかしなものを!? ワケが分からないわ、一体どうなっちゃってるのよ!」
それを聞いてユウ達がほぼ同時に顔を上げて視線を交わした。
「今、あの怪しい教祖さんの演説が終わったんだけど……狂ってるとしか思えないわ!」
そんな女性の言葉を全て聞かずして、ユウが夢中でその場から駆け出したのだった。
「――ゆ、ユウ!」
ミイ達の返事も待たずに、ユウは一足先に避難所の中へと飛び込んだ。その後を追い、皆も滑り込む。市の体育館であろうその避難所の順路に従い、一同が駆けこむと既にそこには多くの人がたむろしていた。突然駆け込んできたその団体に皆が顔をしかめているが、気にしていられない。
皆持ち寄ったテレビで見ているか、携帯で見ているか……ユウは駆けつけると一番傍にいた家族達が眺めているテレビの傍へと走り寄った。
「す、すいませんちょっとだけお邪魔しても……」
当たり前だが嫌な顔はされた。だが、渋々了承してくれたらしい。ミイ達も小さな声ですみません、と呟いてからそっとその場に腰を降ろした。
『さぁ〜、皆様。お待ちかねのショータイム。……先程この儀式を善人ヅラかまして否定してくれた素敵なレディース&ジェントルマンの皆様も、結局は腰掛けてこのテレビを眺めているに違いないね。いや隠さずともいい、人は、自分に全く関係の無い他人の不幸とあらば嬉々としてすり寄ってくる。なあに、恥じる事は無いじゃないか。今ばかりはそんな事考えずに一緒に楽しみましょう』
「田所だ……」
忌々しそうにミイが呟いてモニターを睨んだ。ユウがモニターにしがみついた。
「ね……ねえ!? どこ、どこなのヒロシ君は!」
「落ち着けよユウ……」
騒ぎ立てるユウだったが、背後からミイと石丸に押さえ込まれてしまった。
『――馬鹿野郎! テメーのせいでおかしな事んなっちゃったじゃないか! 責任とれよ、責任!』
飛んできた罵声はこの現場にいるヒロシに向けられたものに違いない。カメラが慌てて移動して、学生服の少年を映し出す――隊員に左右から取り押さえられたヒロシは抵抗する事も無く大人しく捕まったままである。俯き気味の彼の顔を捉えようとカメラがズームになる。
『この……人殺しめ! 沢山の人間がいなくなったのに平然としてるんじゃないよ!』
『おーよ、人殺し! とっとといなくなっちまえ!』
『土下座しろよ、この〜ッ』
耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言と共に飛んでくるのはまだ飲み物の入った缶ジュースだった。ヒロシの制服がぐっしょりと濡れるのが分かった。
「ち、違う……何でそんな事言うんだよぉ!」
ユウが勢い余ってモニターを殴ろうとするのを、石丸が慌てて制止する。
「だー、も、落ち着けってさっきから! 止めるこっちの身にもなってくれ〜」
「だってだってだって! こんなのあんまりだよ、単なる悪趣味な見世物ショーじゃないか! 何が聖なる儀式だよ、酷いよ! 人間のやる事じゃない……っ!」
「――……っ」
ミイがぎりっと一つ歯ぎしりをする。田所が抵抗する気配すら見せず俯いているヒロシ
に近づいて行ったかと思うと、その顔めがけてまずは手始めとばかりに一つ拳を食らわせた。続けざまにもう一発……その度に拍手と歓声がどっと沸く――もっとやれ、と煽る声まで聞こえる始末だった。
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