ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 05-1.奪還かくれんぼ

ベランダからまた別のベランダへ、映画にはよくあるこんな緊迫したアクションシーンを自分がまさか演じる羽目になるとは。おまけにこれは演技でも何でもないし命綱も無ければ落ちても安全なようにマットも敷かれちゃいない……。

 まあ、大した問題じゃ無かった。

 高さもそこまでは無いし、これが一番手っ取り早いのならそれでいい。ヒロシは例の調理場だと思われるベランダへと飛び降りるとすぐさま姿勢を低くして窓を覗く。そう広くは無い調理場には人影は見当たらない。後は自分の武器を探すだけなのだが――開け放された窓を見つけ、ヒロシが足を掛ける。

 飛び込みながら受け身姿勢を取り、ステンレスのシンクを背にして身を屈めた。そっと顔を覗かせながら全体を見渡すがそれらしき物が見当たらない。もうどこかへ持っていかれたのだろうか?
 それは少々困った、とヒロシは眉間に皺を寄せる。もう少し隈なく見渡さねば、と物陰に移動しようとした矢先、誰かが戻ってくる気配を感じた。舌打ちするとヒロシは念の為に、と腰のベルトに差した銃に手を伸ばした。極力、使わずには済ませたい――。

「玉ねぎむくのって大変なのよね〜、これこれ。これが無いと涙が出ちゃうのよ」

 大きな独り言の主は声からしてどうやら年輩の女性らしい。調理師だろうか、彼女の出現でようやく気がついたが室内に美味しそうなカレーの匂いが漂っている。
 ならば手荒な真似は出来ないか――とヒロシはもう一度ちらと女性の方を見た。小柄で、その年の女性には多い中年太りの体型といったところか。少々白髪の混じった髪を後ろでまとめ、女性は大きめの身体を左右に揺らしながら室内を移動する。なんとか彼女の目をかいくぐって行きたいところだが……女性は歌なんか口ずさみながら調味料の入った戸棚に手を伸ばしている。

「あらっ」

 女性の声に思わず咄嗟に身構えたが、女性の視線はヒロシとは全く違う方向を見ていたので自分の事では無いようだ。

「もう、邪魔だわぁ。これ……」

 言いながら女性が持ち上げたのは自分の武器がしまわれた荷物だった。

――そんなところにあったか……

「物騒だったらありゃしないわ。さっさと持ってってくれないもんかねえー」

 ぶつくさ言いながら女性は傍らにデイパックをどさっと置いた。これはいいチャンスだ、とヒロシが無造作に放り出された荷物を見つめて思う。
 このまま女性が立ち去ってくれればなんら問題は無いのだが、カレーの制作に夢中な今の状況では叶いそうもない。もたもたしている時間も勿体ないし、彼女の隙をついて持ち出すしか方法は無さそうである。

「あらまあ、涙が出て来たわ。……ズビッ」

 言いながら彼女は少し上を向いて鼻をすすっている。ヒロシが息を潜めつつ、デイパックに少しずつ歩み寄る。

「はー、カレーも簡単なんて言って野菜切るのが面倒なのよねー」

 荷物と彼女の動きとを交互に見比べた後に、ヒロシはタイミングを見計らってその手を伸ばした。完璧だった、彼女は気付いていない……筈だったのだが。

 何とも運が悪いと言うべきか、彼女は横手に置かれていた調味料の小瓶を肘にぶつけて落下させた。反対方向ならば良かったのだが、ヒロシのいる方向に向かって、だ。

 かんっと小瓶の底が床にぶち当たって、倒れた。こちらへと転がって来る。

「あらぁ、やだ」

――くそ、最悪だ

 しゃがみこんだ彼女と目が合った。ヒロシの中にはせめて武器をしまっておけばよかった、と今更悔やんでも仕方の無い後悔でいっぱいだった。しばしの沈黙があってから、小瓶を拾い上げる姿勢のままで彼女が叫ぶ。

「きゃ・きゃあああぁああああ!?」

 ヒロシがチッ、と舌打ちするとデイパックを慌てて担いで退散しようとする。女性は大袈裟なまでに叫ぶと警報ベルを探そうとしているのか右往左往してまた騒いだ。

「助けてぇえ〜〜ッ! 誰かっ、誰か来てー!」

 パニックに陥った人間と言うのは冷静な目で見るとさぞかし滑稽なものである。女性は何をしたいのやらザルやボウルをひっくり返している。……まさかとは思うが、そんなところにベルでもあるとでも思っているのだろうか。混乱の末に女性はステンレス製の泡だて器を手にとって叫んだ。

「暴漢よぉおーっ! 武器を持っているわッ! 助けて、武器で脅して犯されるわぁああああッ!」
「……ええっ!?」

 退散しかけたヒロシの脚も思わず止まってしまう。素っ頓狂な声を上げながらヒロシが女性を見直した。

「ヒィイ!? だだ、誰かぁあ……銃よッ! 銃を持っているわ! ふ、婦女暴行されるゥウウ〜〜ッ!」

 女性が武器に見立てた泡だて器をめちゃくちゃに振り回す。

「い、いや……さ、流石にちょっと待って下さいよ?」

 ヒロシが思わずひくひくと引き攣った顔で訂正しようとするが、女性は聞いちゃいない。

「わわわわ、私には夫と子どもがいるのよ! っぎゃあああ、お願いだから誰か来てぇえええ!!」

 で、そこから先どうするのかと思えばしまいにはそれを放り出して逃げだしてしまった。便所サンダルがパコパコと立てる音が随分と小気味良い――ヒロシはその場で呆然と手を差し出したまま硬直していた。

「そ……それは無い……」

 ばれてしまった事もまずいが、まさか強姦目的だと思われたままだとは――これがノラの耳にでも入っては一体後で何を言われるやら。すぐにでも追いかけて誤解を解きたくて仕方がない、が、まあ今はそれよりも逃げるべきか。不本意だが仕方がない。ヒロシは深く溜息をついてからデイパックを担ぎ直してとりあえず逃げる事を優先するのだった。

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