ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 03-1.悪意が来りて笛を吹く



 はっきり言って、その建物は一軒家というよりもほとんど屋敷だった。

 一体誰があんな立派な屋敷に住んでいるのか、誰もがその正体について詳しく知らない。何かの社長だとかヤのつく関係の人だとか高給取りだとか諸説色々と囁かれていたが……今、そこに住んでいるのは高校生の少年一人とそれを世話する男性であった。

「お帰りなさいませ、坊ちゃま。転校初日はいかがでしたか?」

 帰宅したヒロシを迎えるのは上品そうな佇まいの、黒い燕尾服に身を包んだ老紳士であった。綺麗な白髪頭をセットして、にこやかな笑みを浮かべながら紳士はヒロシに会釈して見せた。その振る舞いは至極洗練されたもので、まるで隙のない気品に溢れている。

「ただいま、アーサー」

 アーサーと呼ばれた老紳士は深々と頭を下げてから、ヒロシの腕から鞄を受け取った。アーサーはヒロシ専属の執事であり、同時に親代わりの様な存在だ。

「色々とお疲れになったでしょう。お風呂になさいますか? 努力家の坊ちゃんの事ですからこれから勉学に励むというお答えも……」
「いや、少しシェルターへ向かいたい」

 アーサーのまるで雪でも乗っかったように白いその眉が、僅かにだがぴくりと反応を見せる。その言葉が意味する真意を探っているのだろう――うっすらと浮かべたままの微笑はそのままに、アーサーはゆっくりと唇を開いた。

「――と、言うのも」
「武器のメンテナンスをしたいんだ」

 ヒロシが眼鏡のレンズを拭きながら言うとアーサーは何度か小さく頷いて見せた。

「……それはつまり、使う時が来たという事でしょうか?」
「万が一に備えて……、と言えばいいのかな」
「坊ちゃま、まさか今の高校で例の書物を?」

 アーサーが少し声を潜めるようにして言うとヒロシは眼鏡を掛け直しながら首を横に振る。

「いや、それがまだ何とも言えない。だが父さんの言った事が正しければきっとあの書物は今もあるに違いない……微かにだが共鳴があった。……あの学校のどこかで誰かの手で開かれるのを待っている筈さ」

 ロックを解除するためのパスコードをアーサーが入力する。シェルターへの扉を開くと、ヒロシは先に続く部屋へと足を踏み入れた。

「ネクロノミコン、ですか……そういえば、それを見つけられたとしても只本を読むだけでなくてあれを解読する必要がある……と聞いたのですが。どうでしたかね」
「――父さんは言っていた。我々には読めない言語で書かれていようが、あの書物は意思を持っているんだと。そう、本そのものが読む人間を選ぶ傾向にあるんだよ。自分と波長の合う相手を求めてふらふらと彷徨うんだ」
「本が……」

 アーサーが尋ねるとヒロシが静かに、ゆっくりと頷いた。

「そう。本に導かれるらしいんだ。あの書物が持つ悪意に、憎悪に満ちた存在が吸い寄せられるように……そいつが本を手にすればたちまちそのどす黒い波動にシンクロして心を飲み込まれる……それから、精神そのものを蝕まれる。やがて知識等なくとも本の解読が出来てしまうんだ、と……父さんはそんな風に言っていたよ」

 ヒロシは壁に掛けられていたオートマチック式の拳銃、ジェリコ941を手にして構えて見せた。軍人上がりで兵器マニアの父に様々な武器を握らされたが自分の手にはやはりこの自動拳銃が非常によくなじむ。

「メンテナンスもかねて、腕が鈍っていないかトレーニングでもなさいますか?」

 アーサーがにっこりとほほ笑みながら言う。それに気を許したように、ヒロシも張り詰めていた口元を綻ばせて見せる。ようやく年相応の、それらしい表情を見せたのでアーサーも嬉しそうであった。

「――ああ。付き合ってくれるか、アーサー。お前の射撃さばきも久しぶりに拝見したいな」
「とんでもございません。わたくしのような老いぼれの腕前、見せられたものではありませんよ。私なぞ頼らずとも立派なシミュレーションがあるじゃございませんか」
「あんなの所詮プログラミングされた虚像だよ。やっぱり、現実のものが相手でないと意味が無い」

 広いシェルターを見渡しながらヒロシが呟いた。この地下の武器倉庫を含めた一連の施設も、父が作ったものだ。

「まさか、この物々しい施設が本当に役立つ日が来るかもしれないなんてね。……出来る事ならそんな日が来なくていいんだけれども」

 世界終末説を怯えた父がいつか来るその日に備えて、と急遽造らせたものらしい。その当時から自分が生まれていたのなら猛反対して止めていたところだが、ヒロシが物心ついた頃には既にこの設備は整っていたし、そして彼にあらゆる格闘技や武術を叩きこんでいた。武器の扱いもそうだが近接戦闘の心得も、まだ幼い彼に身につけさせていたのだった。そしてヒロシにとってはこれが普通なんだと思っていたし周りの子もきっと同じなんだと思っていた。

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