ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 05-3.僕の名前は狂気の救世主


 通された部屋は案外小奇麗だったのにまず驚いた。まあここは収容所でもないし、そんな独房みたいな部屋があるかと尋ねられればそんなのがある方がおかしいに決まっている。
 ヒロシはポイッと投げ出されて、つんのめるようにしてソファーの上に倒れた。そしてその弾みで思わず咳き込んだ。手を拘束されたままのせいで受け身も満足に取れず、ヒロシは満身創痍の全身にもろに衝撃をもらってしまうのだった。

――好き勝手に殴りやがって……

 身体を少し動かすだけでちりっと痛みが走った。最後に殴られた瞬間には意識さえ飛ぶかと思ったのだが、今や全身を覆うその痛みこそがヒロシを完全に覚醒させていたらしかった。

 仰向けに身体を動かすのだけでも一苦労だ、痛みから悲痛な声を洩らしながらヒロシがようやく天井を仰げる姿勢にまで移行する。全身に火でも着けられたかのような痛みとの格闘の末、ようやくその格好にまで持ってゆく事が出来た。

 起き上がりたいが、どうやら今のところそれは無理らしい。……両手が使えないのではどうしようもない、ソファに背中を預けながらヒロシは必死に呼吸を続ける。

「くそっ……」

 天井を見つめながらヒロシは微かに感じるネクロノミコンの気配に視界を歪めた。奴の発する邪悪な気配は日に日に大きくなっている。やはり少しずつではあるが着実に、ネクロノミコンとあの宿主が完全に一つになり始めているのだ。そうなる前には片付けておきたいところではあるが……そう、例えヤツと刺し違えてでも、だ。

 しばらくそうしているうちに幾分か痛みも落ち着き……というか慣れ始めたらしく、大分マシにはなってきた。

「やっほーう」

 気の抜ける声と共に現れたのはやはり緊張味に欠けた、時と場合によってはぶん殴りたくもなってくる顔。……そう、ノラだ。

「……」
「ごめんねー、手の早い奴らで。言っても聞かないんだわ〜ホント」

 ノラが相変わらず人を食った様な口調で言いながらヒロシの傍までやってくる。ソファーの少し空いたスペースにすっぽりと収まると、ノラがヒロシにへらへらっと笑いかける。

「大丈夫? 骨とか折れてたりしない?」
「ふざけるな、このエセ人格者が」
「んー……。それって演技? それとも本音?」
「どっちもだ……、痛っ……」
「おっとと。起き上がらない方がいいよ」

 立ち上がろうとするヒロシの胸辺りを片手で制しながら、やはりノラが底知れぬ顔で笑う。

「しかしまあよく耐えたよ。ありがと。お陰で、ようやく『裏切り者』達の尻尾を掴む事が出来たしね」

 どこか声を潜めるような調子と共に、ノラがぱちっとウインクをしてみせる。

「――ふん……ここまで殴られるって聞いていたら引き受けなかったものだが」

 そこでヒロシは、ノラから相談を持ちかけられたあの瞬間の事をふと思い出していた。

『にひひ。俺も負けず嫌いだからさー、やり返さないと気が済まないみたいで。お互い様だねーぇ』

 その時のノラのしてやったり、というような演技といい本当に隙のない男である――半ば感心の境地にいたわけだが。これでどうしてノラが、あの妙な宗教団体の事を知っていたのか今ならよーく理解できた。

「それはまぁ……ゴメンね。けどお陰で内部の面倒な奴らが全員分かったからさ、もう痛い思いしなくていいよ」
「当たり前だ。……ところで、つかぬ事を聞きますけどお前の父親というのは……」

 そこまで言ったものの、ヒロシはまた不意に襲ってくる痛みにくぐもった声を吐き出した。慌ててノラがヒロシを支えながら、その先に本来言うべき筈であったのだろう台詞に答える。

「や、しがない隊員のうちの一人さ。まぁ、立場上おおっぴらには動けないんでねぇ……代わりに勝手に動こうってなったのよ、俺が」

 そう言った後ノラは何故か意味ありげにヒロシを見つめた。が、ヒロシは特にそれを気に留める事無く……というか気付いていないみたいに続けたのであった。

「――そうか。で、僕はいつまで捕まったふりをしてればいいのかな?」
「それなんだけどね。そろそろ動き出してる頃だと思うんだけど……ヒロシちゃんの代わり」
「……僕の代わり?」

 言ってヒロシが不思議そうにノラを見つめ返した。

「そ。代・わ・りー♪」

 ノラが微笑みながらずっと自分愛用のスマートフォンを取り出した。画面に表示されているのが、その身代わりとやらだろうか……カメラに向かって流し目で微笑んでいるのは、それはそれは端正な美青年ではあるのだが青年はアルカイックな笑顔のままでカメラに向かって中指をおっ立てている……、

「これが僕の……?」
「そう、代わりだよ。背丈も体格も近いし、あとホラ、何たって強いんだ。もう化け物だよ、化け物。もーマジすごいんだから。武藤の試合見てる時くらい興奮するよ」

 ヒロシがはぁ……、と力なく頷くしかないみたいだった。


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