ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 03-6.後ずさる事は許されず


 ミイの顔面がみるみるうちに蒼白になってゆく。絶望に打ちひしがれた様なミイの顔からは、怒りよりも失望のような感情が色濃く表れているようだった。
 その表情には話が通じない相手と対峙した事への、言いようのない恐怖感のようなものも含まれているようであった。

「――一部の無能な部下のせいで、今しがた必死に人命救助にいそしんでいる隊員の方々が可哀想ですね……」

 ヒロシが冷めきった、あるいは見下げ果てたといったような口調で吐き捨てるとそれが耳に届いたのか田所は高笑いをピタッと止めて、ヒロシの方へと振り返る。

「今からでも遅くは無いですよ……僕も告げ口しませんし、まだ軽い懲罰で済まされると思いますが。今すぐおかしな宗教からは足を洗って、本業に戻られては?」

 田所はホルスターに下がっていた銃を取ると撃つ動作では無くてそれを振り上げた。がつん、と鈍い音がしてヒロシが片膝を突いた。

「生意気な口を叩くガキだなぁ、おい。少しくらいしおらしくしてりゃあ死ぬまでの期間手厚く迎えてやったっていうのによォ……、可愛げのねぇこった」

 無言のままで、ヒロシが上目遣いに田所を睨み据えた。

「オラ、立てよ!……喜べ、お前には俺が特別に指導してやる。殺さない程度にな」

 田所がヒロシの腕を捻り上げながらその場に立たせる。

「な、な、やめろよ……っ! おいっ」

 石丸が止めに入ろうとするのを別の隊員に割りこまれた。胸元にライフルを突き付けられる。

「くっ……」
「おお、スゲエな。こいつら遊びの割に随分手の込んだ武器を所持してやがる。勿論ホンモノだよな?」

 にやけながらユウの持っていたオートマ拳銃に隊員が手を伸ばしてくる。

「さ、触るなよ!」

 ユウがその手を払いのける。
「あ、遊びなんかじゃ無い……! 俺達は、ッ、ほほ、本気で命かけて!」
「あっ、な〜にしやがんだよその態度。気に入らねえな〜、俺もうキレた。あ、キレたよこれ。キレちゃったよ、え? どうすんの?」

 男は何が気に入らないと言うのか、それからコンバットナイフをすっと取り出した。

「まぁいいか、丁度切れ味も試してみたかったし。俺達に逆らうとどうなるかって事教え込んどいたほうが良さそうだな。メキシコマフィアがやるみたいに、見せしめ的な意味合いで痛めつけておくのもいいかもしれんしなー」
「いぃッ……!?」

――な、何だか危ない奴に絡まれてしまった

 鋭い刃先をちらつかせながら男がゲラゲラ笑った。あれで切られたら絶対に痛い――絶対に痛い――痛いなんてもんじゃないだろ! やばい、やばいぞ。 男がナイフを持って楽しそうに振りかざしたのだが、ユウの足は地面に根っこでも張ってしまったように動かない。

「ひっ……!」
「ユウ!」

 ごちゃごちゃと考えている間のうち、ユウはその視界が揺らいだのにやっと気がついた。その時にはもうミイに突き飛ばされていて、ユウはそのまま尻餅をどしゃっとついた。

「み、ミイ……」

 庇うようにして立っているミイの脇腹付近に、男の持っていたナイフが深々と刺さっているみたかった。――見る見るうちに、ミイの制服の腹部が赤く染まる。ミイが力無くその場にずるっと足から崩れ落ちてゆくのが分かり、ユウは自分が彼に守られたんだと知った。

「ミイ!」
「い……、言ったろ……お前の事絶対に守るからって……」

 ミイが苦痛の入り混じった笑顔を浮かべながら刺さったナイフを引き抜いた。その瞬間にこそ、無理強いして作ったその笑顔は消え失せて代わりに苦悶の表情が浮かぶばかりだったが。

「駄目だよ、血が……っ!」
「かか、かすり傷だ、こんなの……ぐっ」
「駄目だ、ダメだダメだっ! 駄目だよ! や、ヤブに言って……早く怪我を――」

 半ばパニックに陥ったみたいにして喚き散らしながら、ユウがミイを抱き起こした。ミイはぐったりとそんなユウに身体を預ける。

「――何してやがんだ馬鹿野郎!」

 続けざま、今ミイを刺した男に向かい田所の叱咤が飛んだのが分かった。

「俺達の動きがバレたらまずい、とあれだけ口酸っぱく言っただろうが。あんまりもめごと起こすんじゃねえ、ボケ」
「自分はあのハゲ撃った癖に……ちぇっ」

 ぶつくさ言って立ち上がりながら、男がユウ達の事等構いもしない様子で田所の元へと引き返していく。

「……それじゃあ行こうかね、ヒロシくん? 君もこれ以上お友達を傷つけたくは無いよね〜、後味悪くなっちゃうもんねェ」
「――好きにしてください。あと、友達なんか僕にはいませんよ」

――な、何でだよ?

 そう言いたいのに言葉に出来なかった。甘んじて手枷をつけられるヒロシの姿を見つめながら、ユウは思う。噛み締めすぎた奥歯と、握り締めていた拳がちりと痛む。

――ヒロシ君、いつもみたいに戦ってよ……君なら……君なら絶対負けないじゃないか!? そんな奴らすぐに勝てるよ、だから……

 その儚い願いも言葉にする事は叶わずに、ユウは只その光景を見守ることしか出来ないのであった。

「ふふ……これできっと俺も上に、いや世界に認められるに違いないな。俺の事見下してた同僚達やアホ上官どもを見返してやれるぜ!」
「ははっ、離せ、ヒロシくんを離せよぉっ」
「ゆ、ユウ、ばかっ……!」

 ミイの止める声は聞かずユウが走り出す。

「ぐわっ。何だこの、」
「ひっ・ヒロシくんは、ヒロシくんは今までもずっと一人で戦ってきたんだよ!? 今だって、今だってみんなを助けるためにさぁ……! それを、それを……」

 適うわけもない、見りゃ分かるその体格の差等は構いもなしに。田所に掴みかかりながら、ユウが尚も叫ぶ。

「い、いででで!」

 ユウが手のひらめがけて、せめてもの抵抗か噛みついた。ほとんど悪あがきに近い、焼け石に水程度のそれを阻止するのは先程の男。今度はナイフは用いずに、男は素手でユウをぶん殴るのだった。

「ゆ、ユウ!……貴様っ、よくも……」

 反射的にミイが立ち上がろうとするも、腹部の激痛によってそれもままならない。ずきん、と追い討ちをかけるが如く突き上げてきたその痛みにミイは引っ張られるようにしながら再び地へとくずおれた。
 そんなミイの姿と、今しがた殴られてよろめくユウの光景を眼福とばかりに楽しむのは田所である。田所はそんなユウめがけてプッと一つ痰を吐き捨てた。

「まあぶっちゃけて本音を言うとな、別に人民なんてどぉーっでもいいんだ俺ぁ。他の連中みたいに素直に従って自分が死ぬかもしれないのに人助けなんかしてられるか、おーアホらしアホらし」
「てッ、撤回しろよ!……俺達は見たんだ……お前達が天子とか呼んでるおかしな奴に殺されてく隊員たちの姿……」
「あぁ〜、まあ、ありゃ運が無かったんだよ。哀想にな。ま、嫌いな奴も死んでくれたし弔いに花でも添えといてやる、とびっきり趣味の悪ーーーいのをな」

 ユウが殴られた箇所を押さえながら、負けるものかと必死に立ち上がろうとする。待て、と口にしたくとも視界が歪んで上手く見つめることすら出来ない……こんなにも虚弱な自分を知ってユウは日頃からもっと鍛錬しとくべきだった、とか、せめて体力だけでもつけとけば、とあれやこれやと色んな事を後悔する。もう何を悔やんでも遅すぎるのだが。
 そして――ヒロシはずっと無抵抗だった。只黙って、大人しく奴らに連れて行かれていた。その姿がユウには受け入れ難く、同時に信じられなかった。信じようという気にもなれなかった――。

 やがて大勢の気配がいなくなったその辺りで、ユウ達はしばし絶句していた。

「ヤブ……、すまん」

 ヤブも治療を施しながらその光景を、固唾を飲んで見守るのに必死だったようだ。やがてミイの元へとやってきて静かに腰を降ろすと、ミイのその傷口へと指先を伸ばした。

「ゆ、ユウ、」
「ひ……どいよ! こんなの、あまりにも……何で……何でだよ……」

 言葉も無い、といった具合にまずはユウが泣きじゃくった。

「あの胡散臭いオッサンの息がかかった連中もいるって事だな。敵がまた増えちまった、厄介だ。いやいや厄介なんてモンじゃねーぞ、こりゃあ」

 ばつが悪そうに石丸が頭を掻き毟れば、その爆発頭が更にグシャグシャに跳ね上がった。

「なぁ……それよりノラは?」

 ふと、ミイが先程からずっと喋らないノラの存在に真っ先に気がついた。……言われてみれば……その姿がどこにも見当たらないものだから。さっきまではヒロシのすぐ傍にいたのに、見渡してみてもどこにもいないではないか。

「そ、そういえばさ」

 石丸がぽつん、と呟いた。

「ノラの両親って自衛隊なんだろ?」

 その言葉に何か無数の意味を感じ取ったよう、一同がハッと顔を上げた。

「……あ、あの」

 それからおずおずと口を挟むのはヤブだった。

「さっき、ノラくんがあの連中と一緒に……いなくなっちゃったんだけど。何でかな? ぼ、僕の見間違いだよね……えへへ……」

 愛想笑いを交えつつヤブが言ったが、それは到底笑える内容ではなく……途端に、不穏な空気が流れ始めた。ヤブは見間違い、とぼやかして言ったが事実ノラは今ここにいない。隠れているのかと見渡しても、どこにも見当たらない――それが全てを物語っている、ということ。

「……な、何だよそれ。ノラが裏切ったとでも言いたいのかよ。……あいつが情報、流してたとか?」

 石丸が半笑い気味に言った。そうじゃない、ノラはそんな事するような奴じゃない、とハッキリと言い切りたいのに口にすればするほど悲しいかな、その不安はより形になっていくみたいであった。
 やがてミイが、ためらいつつもうっすらと口を開いた。

「しかし……、あいつらみたいな連中が中には紛れ込んでるんだ。上手い事口車に乗せられて、ノラの両親も加担させられているとしたら……或いは……」

 ミイは腹部の痛みからか、途切れ途切れに声を絞り出した。勿論大よそ信じたくない話なのだが、可能性としては十分に有り得る。あいつはそんな奴じゃない!……なんていう感情論だけでは否定出来る事ではなかった……。

「そ、そんな事信じられるかよ――クソッ」

 石丸の激したようなその声には、どこかやるせなさも含まれているようで一同の物悲しさも一層強まった気がした。

「……そ、それよりも! 今はミイくんの手当てもしなくちゃ……」

 ふらつくミイを支えながらヤブが叫ぶ。ユウもそこでようやく泣くのを止めたようだ。

「どこかいい場所、探そう!」

 普段はおどおどとしているヤブも、友人の窮地とあらばシャキっとするらしい。青ざめちゃいるが、ヤブはその場にいる誰よりもはっきりとした口調でそう言ってのけたのであった。

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