▼ 01-5.君を死なせたりなんかしない
冴えた頬に、薄めの唇、知的さの窺えるノンフレームの眼鏡越しに映えるのは少々きつめというか冷たい様な印象を受ける目元。……なるほど、目が悪いところもそっくりなのだな、と思った。
「陰府の長などおそるべき――」
そこでようやく目的を思い出したように、ノラは照準を改めてゾンビの群れへと合わせるのだった……。
「くっ……」
ミイは短く呻くと唇を食いしばる。右袈裟に斬り降ろされた一太刀の後に、ミイは腰に差していたオートマチックの拳銃――ファイブセブンを僅かの間のうちに抜きとると、振り向きざまに背後のゾンビの頭部を狙った。
そのゾンビは実にラフな服装をしており、生活感丸出しで、血に塗れていたが恐らく年輩の男性だと思った。
――ああ、きっと誰かの父親だったに違いない……
そんな風に思うとまた泣けてきて仕方なかった。自分はこの人達に、いわば『二度目の死』を与えているのだ……何と例えればいいやら、その魂さえ冒涜しているのか。ミイは眉をしかめた、今にも泣き出しそうな表情のままで刀を振るった。もう一方の手で、トリガーを引いた。
「ミイくん、何だか……泣きそうだ」
ヤブがぼそりと呟いた。
「え?」
「ごめん、こんな時に……」
申し訳なさそうにヤブが言う。そう言われてユウが視線をやると確かにそんな感じの、思い詰めた時のミイの顔をしていた。
「ち、畜生! 俺もさっさと加わるからよ! あー、くそニコチン切れで頭ふらついてきた! さっさと吸いてえ!」
訳のわからない事を叫びながら石丸が駆け出したかと思うと手にしていた特殊警棒を構えて走った。一振りすると一気に特殊警棒の金属の部分が飛び出した。距離を測り、歯を食いしばる……石丸は渾身の力を込めてそれを横殴りに払う。
歩く死体にクリーンヒットしたそれからは鼻の骨が折れる様な感触が、生々しく、実にリアルにはっきりと伝わってくる……そりゃ石丸は決して素行のいい生徒では無かったし他校の連中と喧嘩ぐらいしょっちゅうやっていたのだが、何故か怯んでしまった。それがいかにも、普通のおばちゃん、って感じの、言ってしまえば自分の親みたいな人だったからなのかは分からないがいい気分になんか絶対にならない。
「……ルールその五!」
こんな時に何だって言うんだ、と石丸が顔を上げるとヒロシはやはり汗一つ掻かずに、もう一体どうやったらあんなに華麗に振舞えるのか――銃を水平に構えながらカッコよく戦っているのだった。
自分達なんかもう髪はボサボサの、服はめちゃめちゃの、鼻水は垂れるし返り血や泥水が跳ねたりで何か汚い。
「ゾンビに情け容赦はかけるな! こいつらはもう、人間では無い!」
――成る程ね。そうでも思わなきゃやってられねえよな、こんな事。なあ転校生……
石丸がそんなに距離は離れていない筈なのに何故か遠く感じるヒロシを見つめて悲しく笑った。
「ヤブ、俺らも……」
「……」
「……。ヤブ?」
ユウが棒立ちになったままのヤブに声をかけた。揺さぶった。……反応が無い。ヤブの瞳はぼんやりと空中を仰いだままだ。ついでにヤブの顔はまるで生気が通っていないようにもう真っ白だった。
「や、ヤブくーん? おーい」
「……ユウくん、僕、もう駄……」
「え?」
言うが早いか、ヤブがその場に貧血を起こしてブッ倒れてしまった。これまでで最大の血の量を見たせいだろうか……? ヤブの許容量を遙かに限界突破し超えてしまったらしい。倒れ込んだヤブをユウが慌てて抱える。
「ちょ、ちょっとヤブ! 駄目だよ、起きねーと……」
声かけと共に何とかゆり起そうとするが、それよりもまずユウを戦慄させたのは自分の背後の存在であった。
まさか――と、ユウは背筋に突き刺さるような凄まじく嫌な視線を覚えて、ハッと背後を振り返る。
「っ……ひっ!」
まあ生きた人間じゃないのは分かっていたのだが、そこにいたのは人型のゾンビでは無いようだった……何とまあ、珍しい。犬型のゾンビだったのだ。
このはた迷惑なウイルスは犬にも感染するらしい、そいつは立派な体格のドーベルマンだ。だがその身体にはいくつかゾンビに襲われたのか、生々しい傷跡があった。犬の牙に噛まれても感染するのかどうかは分からないが噛まれたら痛そうなのは間違いない――開かれたゾンビ犬の口、上顎と下顎から鋭利な犬歯が覗いている。
「あ……あ、えっと、待て! ま、ま、待て!」
ギブアップの構えを取りながらユウは迫ってくるドーベルマンに許しを乞うた。ただでさえ言葉の通じない相手が更にゾンビになったのだから、益々話は通じない訳で、ああ、まあ、御愁傷さま。
――はっ! 俺は馬鹿か!
こんな時に備えて、ヒロシから武器を預かってきたんじゃないのか?
「……く、来るな! 来たら撃つぞ!」
ユウは必死でベルトに差してあった銃を震える指先で掴むと、何とかしてその手に取った。が、案の定、震える手でそれを持っていればすぐにそれを落としてしまった。拾おうとして慌てて屈んだところ膝で蹴飛ばしてしまい、何かのコントのようで……拳銃は勢いよく横手に滑って行ってしまった。
――馬鹿かよ俺ぇええッ!
とりあえず、すぐに顔を上げた。ドーベルマンの目は白く濁っていて、どこを見ているのか分からない。ただ……確実にこちらへ向かってきてはいる。
今すぐにでも逃げれば振り切れそうな気もする……が、それはつまりヤブを置き去りにしてしまうという事。でも……でもこの状況、一体どうすれば! 答えが分からない。ユウはもう、神に祈るしか無いと思った。
「ご、ごめんなさい……こ、来ないでくださ……」
が、そんな希望さえ打ち砕くようにドーベルマンは唸り声と共に飛びかかってくる。
「あうわぁあああっ!!」
みっともない悲鳴を上げてユウが頭を抱えて逃れようとする。が、ドーベルマンに齧りつかれてしまった! 幸いにも肉では無くてズボンの裾を。
「はわわわわっ、か、堪忍! 堪忍してぇえっ……!」
が、その噛みつく力は尋常ではなく、ユウは引きずられて手繰り寄せられていく情けない自分の姿を想像して泣きそうになった。
「ぎゃっ、ヤメテ、放して! おおおおお願いします、放してくれぇえ〜!」
逃れようとするうちにどんどんとズボンがずれていくのに気がついた。これ以上カッコ悪くなってたまるか、と残る理性で思考したのちユウはずり下がったズボンを引っ張った。
「お、お願いだからやめて下さいぃいい! な、何もしないからぁああ! あうううう!」
そうやって暴れれば暴れるほどますますズボンが脱げてしまいもはや下着ごと脱げかかっていた。もはや半分尻を出した状態でユウは両足をばたつかせている……何とまあ今ここでテレビカメラなんて入ろうものならその場で自殺でもしたい衝動に駆られてしまいそうだ。
「……ユウッ!?」
空気を劈く様なユウの叫び声にミイがはっと振り返る。
――何だありゃ、ゾンビ犬か……っ!?
白く濁った丸い瞳はまるで焼死体を思わせて、一層不気味に見えた。結構前に遊んだきりの、有名な某ゾンビゲームにて登場するクリーチャーを思い出させた。あまりゲームはたしまないので記憶のほんの片隅に居座っていた存在をミイはその一瞬、あっという間に思い浮かべていた……あれも確か犬種はドーベルマンで、ガラスを蹴破って飛び込んでくる厄介な相手だったっけ――ミイは慌てて刀を引き、ユウの方へと走る姿勢を取った。
「わわっ、タンマ! タンマぁ! ワンちゃんストップ! い、いい子だから! お手! お座り! はは、ハウス! ぎゃわぁああああっ」
混乱の末、いよいよ訳のわからない事を叫びながらユウが泣いて許しを乞うている。ミイが一歩踏み込んだ瞬間、腹部に重たい衝撃があった。腹筋に力を込めて耐えようとしたが僅かに遅く、ミイはそのまま尻餅をつく格好で叩き落された。左脇腹と、ぶつけた背中に痛みがのしかかった。
衝撃でうっかり舌を噛んでしまったせいで、唇から血液まじりの金属っぽい味のする唾液が一筋伝った。
「ちきしょうっ……何だ一体!」
ミイは口内を満たす鉄臭い唾を横手にプッと吐き捨てて、短く呻きつつも顔を持ち上げる。随分と体格のいい男のゾンビが一体、そこにどっしりと構えている。……どうやら首の骨でも折れているのか、おかしな方向に顔が捻じ曲がっちゃいたが問題ではないらしい。
生前から格闘の心得でもあるのかそのゾンビは腰を少し落とし、空手なんかでよく見られる猫足立ちで構えているのだった。
――おいおい、マジかよ……
蹴られたのかはたまた殴られたのか、ともかく、襲撃された時に手放してしまった刀を手繰り寄せてミイは地面に切っ先を突き立てながら、よろよろと立ち上がる。
鈍痛の走る脇腹をさすりながらミイは既に息の上がっている自分に気がついた。だが、ここで止まるわけにはいかない。
「そ、そこを……――そこをどけッ!」
ミイの眼光に慄くように、人語を解さぬ筈のゾンビがじりっと肩を竦めた――。
その一方でユウは相変わらずの失態を晒したままであった。好転するどころかむしろその逆で、どんどん追い詰められていくユウに出来るのはもはや叫ぶ事、命乞いをする事、あとは神に祈る事のみだった。
「どひぃいい、タンマって言ってるのにぃ! や゛め゛でっ! やめてよぉー! 暴力反対……ッ」
と、言っても止めてくれる筈も無く十分に引き寄せられたところでドーベルマンはその口を開けて今にも齧りつこうとヨダレを垂らした。やばい、このままじゃあ早速ログアウトしてしまう! ユウがかたく目を閉じようとした瞬間に、ぱんっと一つ乾いた銃声がした。
犬には命中しなかったようだがそれでも威嚇としては十分だったようで、ドーベルマンは驚いたのかキャインキャインと吼えながら脱兎の如く逃げ出してしまった。
「……危なかったですね」
ヒロシが白煙の昇る銃口を下げつつ、やはり落ち着いた様子のままに、その場にへたり込むユウを一瞥する。
「そういえば、初めもこんな風になってる君を助けましたね」
「あ、あの時は完全に出してたけど、こ、今回のはギリセーフ、だ、えへへ……」
「――まあ何だっていいんですけど」
それでヒロシが呆れたようにコホンと一つ咳払いをする。その反応は、その時と比べてみると若干だが表情が分かりやすくなった……ようにユウには見えた。それからユウは、そんな事よりもとまず下半身を持ち上げた。
「ヒロシ君っ、ありがとう!」
そして勢いのままにユウが飛び起きたかと思うと、そんなヒロシに派手に抱き付いたのであった。
「な、何なんですかもう! いきなりですね」
「ありがとう! ありがとう!!……死ぬとこだった、俺死んじゃうとこだった……!」
ユウは泣きじゃくりながらヒロシの学生服に顔をこれでもかと擦りつけている。鼻水やら涙やらで汚れそうだったので、ヒロシは無理にでも引きはがそうとするのだがユウは頑として離れてはくれなかった。
「ちょっともう、いい加減してくださいよ。まだ交戦中です」
ミイが駆け付けた時には既にその仲睦まじい二人の姿が合った。ミイはユウが無事であった事に安堵しつつ、だがもう半分は自分がユウを救えなかった事への自責の念、あとは……。
ミイはヒロシをちらと見やると、軽い敗北感のようなものが込み上げて来るのを、かた
く目を閉じて否定した。
「何とか……退けたのか、俺達……」
石丸がよろよろと青ざめた顔で戻ってくると、へし折れた警棒を投げ出す。
「ああ。壊れちまったよー……コレ」
やがて気絶しているヤブに気がついて、慌てて近寄るが脈があるのを確認してほっと胸を撫で下ろす。
「ありゃ、まーたヤブくんってば気絶したの?」
ノラがうなされているヤブの顔を見下ろしながら呟いた。
「おーいヤブくん起きろよ、エサになっちまうよ」
「う、ううーん……はっ!」
ノラに揺り起こされてヤブは飛び起きた。
「ったく、ヤブお前そんなんじゃお父さんの病院継げないぞ」
石丸が肘鉄を食らわせながら言うとヤブがあたりをきょろきょろと見渡し始めた。
「大丈夫、みんな生きてるよ」
「ぼ、僕また気絶してたの!? う、うああぁ〜……」
「全員無事だからいいじゃない。ね、これ結果論」
ノラが励ますように、自己嫌悪に頭を抱えて呻くヤブの肩に手を置いた。
「それより一服……あああ、一服がしてぇ……頭がおかしくなりそうだ……」
ほとんど発作みたいにして石丸が愛飲中の煙草、ラッキーストライクを取り出した。その挙動はもはやニコチン中毒者みたいだ、石丸は震える指先で必死に一本取り出すと忙しない様子で唇に咥えた。次いで学ランの胸ポケット、ズボンの尻ポケットに手を置いてライターを探ったが見当たらなかったらしい。
そう言えば学校で使いきってしまって、何故かそのまま置いてきてしまったのを思い出した。
「火、火」
咥えた煙草を指差しながら石丸が火が欲しいのだろう、火をつけるようなジェスチャーを繰り返す。ヒロシなら持っていると思ったのか石丸がヒロシを捕まえて火をねだったがあっさりとかわされてしまう。
「そのまま禁煙したまえ、肺ガンくん」
「ンだとてめ!」
「僕の肺が汚れるじゃないですか、全く。周りの事も考えて欲しいですね……」
石丸は先ほど、少し、本当にすこーし、涙ほどであったがヒロシの抱えてきた背景を理解しようなんて思っていた自分をぜーんぶ忘れることにした。
ナイトメアのゾンビはウイルス感染型じゃなくて
死霊系なのですがあまり詳しく設定してない。
ゾンビファンはここも好き嫌い別れるんだよね。
のろのろゾンビが好きか走るゾンビ好きか、
ウイルス感染型か死霊系か、
血液浴びるだけでもアウトかとか。
そもそもウイルスで感染するのは
ゾンビじゃないって主張する人もいる。
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