▼ 01-1.君を死なせたりなんかしない
レースのあしらわれたどでかいリボンに、ラインストーンやキャラクターのブローチがつけられたピンクのキャリーケースはとてもよく目立つ。上は白のカッターシャツにネクタイをしめて、ミニ丈のスカートの裾を揺らしながら、少女はつかつかと黒色のストラップパンプスの踵の底を鳴らして歩く。
まばゆいブロンドのツインテールにはしっかりとリボンを巻いて、そのいでたちは海外の学生さん、こじゃれたスクールガールといった装いだろうか……その装い、は。装いだけなら。
「あ〜……入国するのにこーーんなに手間取ったのって初めてかもしれなーい。ったく、面倒ったらありゃしないわ、まあ思ってたより全然早くは抜け出せたんだけどぉ……」
海の向こう側からはるばるとやってきたその少女――九十九まりあは、長旅の疲れかもうぐったりとしているみたいだった。彼女にとってこの日本という国は、あらゆる意味でとても息苦しい。だから帰国のたびに何かと気疲れが多い、多分この日本という国そのものの風潮が自分には合わないのだ。
「さーてと……まずは兄上に一目お会いしたいのだけど、私の帰国目的は残念ながらお仕事……! きゃっ、仕事の為にあちこちを飛行機で飛び回るキャリアウーマンぶりにまりあ、自分で惚れ惚れです〜」
仕事、とはいったものの彼女の実際の職業は『学生』。それも女子中学生が本職である。仕事というのはその内容も相まってかまりあにとっていわば裏の顔、みたいなものであるのだが。
まりあはガサガサとおもむろにタウンマップを取り出すと、その目的地を探して辺りを見渡した。
「えーと、どこなんだろ。あっち? こっち? そっち? どっち?」
何だか海外のお菓子でも見ているような色合いの、そのド派手なキャリーケースを引きながらキョロキョロうろうろと右往左往するまりあ。それまでシンと静まり返り、人っ子一人見当たらなかった付近にようやくのように人影を発見する。ラッキー、とまりあは金髪のツインテールを翻してたったかとバス停にいるトレンチコート姿の男性に近づいた。
「あっの〜、すいませーん! ちょっと道をお尋ねしても宜しいですかー!」
極めて明るい調子で問いかけようとしたが――振り返った男性は恐ろしく真っ白な顔をしていた。いや、白いを通り越してこれは……、もはや青い。青ざめている。
「……え……あ、あのーぅ??」
やばい、話しかけちゃマズかったんだろうか。途端にまりあは後ずさった――三十代にさしかかるかそうじゃないかくらいのその真っ青な男は完全に身体をこちらに向け、まばたきもせずにまりあににじり寄ってくるではないか!
――えっ、ちょ、ヤダ。何この人、変態さん!?
そんないくらまりあが可愛いからって、痴漢なんぞしようなんて百億光年は早いんじゃなくて? まりあはキッと迫ってくる男を睨むと、女の子らしく怯えたり悲鳴をあげたりなんかはせずに、次の瞬間には鋭い金的を食らわせていた。どすんっ、と手応えがあったようだが……だが……。
「……」
確かに、はっきりとした手応えはあった。そりゃあもうしっかりとダメージもあるようだったのだが――男は急所を蹴られて、その場に蹲るようにし、続けざまその身体が小刻みにブルブルと震え出したのが分かった。
やがて、股間を押さえたままで男はその顔をゆっくりと持ち上げた。その部位への攻撃が男にとってどれ程までに耐え難い苦痛なのかは、女子であるまりあも何となくには知っている……だが……だ・が。
「グ……ウ……ウォオ、オ……」
「ちょっ、やっだぁ……!?」
男は何故か、口から大量に吐血している。これは蹴った場所とは関係がない。口だけじゃなく、目と、更には鼻からもダバダバと真っ赤な血液を流し焦点の無い目をぎょろりぎょろりと彷徨わせた。
「何!? チョコレートでも食いすぎちゃったの、アンタ!? それとも鼻でもほじりすぎたのかしら!」
と、悠長に冗談を言っている場合でもないのかもしれない。これは……これがまさか……、
「ZOMBIE!!」
海外で馴らした実に流暢な発音で叫んだかと思うと、まりあはキャリーケースの取っ手をしっかりと握り締めたままでズササ、と後ずさった。ゾンビ、リビングデッド、グール、アンデッド、食屍鬼、バタリアン、サング、ウォーカー!!……思い出せる限りのそれらの呼び名を頭に並べ、まりあは向かってくる変態、もといリーマン風のゾンビを見据えた。
「おぶっ。おぶっ……おぶぉ」
「し、知らないわよ……まりあ無関係だし……く、来るんじゃないわよッ! それ以上近づいたら兄上に言いつけてやるか……」
「ウグオオオォ、ッオ!」
「だっ、だーーーから来ないでってばぁ!……キッモ! うっげ、ちょーーーもぉ、マジ最悪ぅーーーー!! やーん、来ないでってばぁ! ちょーキモいんですけどぉ!?」
ゲボゲボと血と内臓のゲロを吐き出しながら、悲しきゾンビの習性かまりあを追いかけてくるそいつは傍目から見れば完全に単なる変質者だったろう。ゾンビの数はやがていつしか二体、三体、四の五の……と増しているのにも注目だった。
変質者といえばつい先日、
薬局で買い物した帰りに普通に駐車場に向かって
歩いていたら通り過ぎた背広きた
イケメン風のお兄さんが突然、
薬局の入り口付近で頭フリフリしながら
「A*#今年こそ彼女作ってデズニーランドに
行くぞ〜〜〜〜!!」(かろうじてここだけは聞き取れた)
とどでかい声で叫びだして超びびった。
何か追い詰められたのかなぁ。
普通に背広だったし働いている人だろうし。
現代人はストレスでいっぱいよね。
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