ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 03-4.その時、人類は

 ミイは刀を眺めながら先程の事を思い返していた。肉を裂く時のあの生々しい感触は勿論のこと、むせかえるような血液の匂いも、骨の断ち切れる瞬間も、全てが甦りミイの指の先までをも支配していた。

『弟の事頼むよ』

 あれはやはり自分が見た幻だったのだろうか。
 確かにあの瞬間、あいつはそうはっきりと呟いたのに……ミイは思い出したようにポケットの中に入れっぱなしの封筒を取り出した。くしゃくしゃになったそれを、ミイは丁寧に皺を伸ばし始めた。

「ミイ!」
「……ユウ」
「どう? 準備は出来た?」

 そう言って近づいてくるユウの身体にはショットガンの弾やらハンドガン用のマガジンやらが巻きついていて、果たして本人がそれらの使い方をきちんと理解しているのかどうかは別にして……腰や腕にも、ナイフや拳銃がびっしりと武装されている。

 まあ、とりあえず何と言うか実に歩きづらそうだ。それに尽きる。

「お前、まさかそれ全部持っていく気か」
「だって弾切れしたら怖いでしょ!」
「……。馬鹿か、そんなごちゃごちゃさせてたらその前に自滅するだろ。それ、少し降ろせ」

 ええ、と渋るユウからいくつか武器と弾丸をひっぺがして、ミイがやれやれとばかりに苦笑する。

「全く。こんなんでどうやって逃げ回る気だっての」
「……逃げ足には自信あるし!」
「ばか」

 そう言ってミイがユウの頬をぺしんと軽く叩いた。

「……、なあ、ユウ」
「え?」
「お前さ、かなり無理とかしてるんじゃないの」
「どうして?」
「怖がりのお前があんな風に啖呵切った事自体がまずおかしいよ。……お母さんの事、心配かもしれないけどさ。やっぱり事態が一通り落ち着くのを待っていた方がさ、」
「ちょ、ちょっと待って」

 ユウが叫んでその先を制する。

「……その手の話は今は無しだよ。こんな事軽く言うとさ、またミイに叱られるかもしれないけど……その」
「……?」
「俺、今まで逃げてばっかりだった。家族の事からも部活の事からも、透子の事からも」

 ミイが黙ってその言葉に耳を傾けていると、ユウは一旦言葉を切る。そしてそれから、一つ息を吸い込んで、再びのように続けた。

「だからその……もう逃げたくないんだ、俺」
「でもな、これは話が違うぞ。下手したら死ぬかもしれないんだ」
「じゃ、じゃあ、逆に言うけどミイはどうなのさ!?」

 いきなりユウが声を荒げるのでミイも僅かに驚いて肩を竦めた。

「ミイだって……死んじゃうかもしれないんだよ。それを俺一人が黙って見てろ、ってミイはそう言いたいの? そんなの嫌に決まってるじゃないか……俺だって、俺だって戦える……意思さえあれば俺もちゃんと戦えるんだよ!」
「――……」

――戦う? 随分と気楽に言ってくれるじゃないか……

「いいか……ユウ。戦うってのはつまり人を殺すって事だぞ。死人とは言え」
「けど……けどそうしなくちゃ、もっとその死人が出ちゃうんだろ?」

 そう力強く話すユウの目に何かちらっと激しい何かが走った気がした。

「大切な人が黙ってゾンビになって行くのを、指を咥えて眺めてるなんて俺は嫌だよ……そんなのはごめんだ」

 噛み砕くようにユウがそう言った――大切な人、の言葉にミイは再びあの瞬間のゾンビが見せた顔を思い出して胃が激しくぐらつくのを覚えた。

 そうしてそれから、自分が首を切り落とした彼らの姿を思い出した。頭のはじけ飛んだ瞬間や、血の滲んだバースデーカード、頭を失くして床に転がる学ランを纏った胴体……断片的に思い出す節々がミイの胃の中を揺さぶった。

「ミ、ミイ……?」

 ユウが恐る恐る問いただしてもミイはすぐさま答えられなかった。見ればミイは本当に真っ青な顔をして、寒くも無いのに震え出したよう、奥歯がカチカチと音を鳴らしたのが分かった。

「どうしたの、顔が青いよ?」

 ユウが心配そうに顔を覗きこんで訊いた。

「――こ、怖いんだよ……俺、だって」
「え?」

 いつもの強気でしっかり者のミイらしからぬ姿に、ユウは少しだけ驚いてしまったもののすぐにまたミイの顔を真っ直ぐに見つめた。

「だって俺、人を……ふ・二人も斬ったんだぞ。あ、相手はそりゃ死人だったかもしれないけど……」
「ミイ……」

 ユウはしばらく、ミイに黙って寄り添う様な形を取っていたが、やがてミイの前に前足を折って屈みこんだ。膝を突く様な姿勢をとってから、ユウはミイの両肩をそっと抱きしめた。小刻みに震えるミイの肩を抱きしめながらユウは何度も「大丈夫」とだけ囁くように呟いた。

 僅かに驚きはしたものの、ユウのその体温と石鹸の様な匂いが、血の匂いがこびりついていたミイの鼻腔を掠めてひどく安堵させた。

「……ありがとう、ユウ」
「う、ん……もう平気?」

 ユウが離れながらちらっと笑った。ミイも落ち着きを取り戻したのか少しだけ微笑んで見せた。

「すまん。少し……気が立ってたみたいで」

 ミイが言いながら恥ずかしそうに頭を掻いた。それでもまだ落ち着き足りないのかミイは何度も呼吸し直している。

「俺もユウと思いは同じだ。傍観してるだけなのは嫌なんだ。だから、戦う。でも俺は――あの転校生みたいに冷酷にはなれないと思う」
「冷酷? ヒロシくんが?」
「ああ」
「……そっか。でもさ、俺、ヒロシくんは悪い人じゃ無いと思うよ」

 その言葉にミイが視線を持ち上げると、ユウは慌てて付け加えるかのように言った。

「あ、いや……別にそこまで仲がいい訳じゃないんだけど、けど、うん。――ヒロシくんは冷たいように見えるだけで根っからの悪い人じゃ……無いんだと思う」
「そう……かな?」

 ミイが消え入りそうな声で囁くと、ユウがこくりと一つ頷いた。

「何て言うのかな……本当に残酷で悪人、とかじゃないと思うんだ。どっちかっていうと無理して冷たくなるように演じてるって言えばいいのかな……うーん」
「……そっか。悪い人じゃない、か」

 真剣に考え込むユウを見てミイが本当に少しだけ、笑って見せた。どこか悲しい笑い方にも見えるそれに、ユウは気付けずにいた。もっとも、それはほんの些細な変化であり見落としてほとんど当然のものではあったのだが。
 
「――けど、お前を守るのはあいつじゃないさ」
「え?」
「必ず俺がユウを守るよ」

 何だか好きな女の子にでも告白するみたいに、少しばかり照れながら、だけどはっきりとした口調でミイがそう言うのだから何故かユウも変にどぎまぎしながら言い淀む。

「あ、あ、ありがとう」

 緊張した口元がせわしなく動いてから、ようやく零れた言葉だった。

 他にもっと良い言い返しようは無かったの? なんて自分で突っ込みを入れながらも、ミイにとってはその言葉だけで十分だったらしい。嬉しそうに、いつものミイらしくにっと微笑んで、それから彼はユウの猫ッ毛をぐしゃぐしゃと撫でるのだった。その仕草だけ切り取れば、もうすっかりいつもの彼に戻っているように見えた。


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