ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 03-2.その時、人類は

「は? ゾンビ? 馬鹿にすんのやめてよ」

 只でさえ入稿時期が迫っていて苛立っているという時期にこの馬鹿な弟は一体何を言い出すのだろう? 電話口で心底馬鹿らしくなってしまった。

「ほんとなんだよ、姉ちゃん。テレビつけてみるといいよ。原稿ばっかりやってて外出てないから知らないだけなんだろうけど、大変なんだよ、ほんと」
「あーのーねー、いい加減しないとコロスよ。あたしは今それどころじゃねえっつうの。それとも何だ? アレか? ゾンビって同人誌ばっかり描いててほとんど死体みたいな状態のアタシに対するあてつけか? ディスってんのか? 死なすぞ、愚弟が」
「いやだから……とにかく危険だから外は出ないでね。姉ちゃんの事だからその修羅場の時は缶詰の半引きこもり生活だろうし食料の心配は無いかもしれないけど……ちょっと姉ちゃん聞いて」

 る? の言葉を言いきられる前には携帯を切ってやった。ゾンビだの隕石だのと、根も葉もない世界終末論争に付き合っている暇は無いのだ。

 何よりも奈々にとっての終わりの時は、この原稿を落とした時の方である。

 ゼリータイプの栄養補充ジュースを飲みながら、奈々はペンタブを握り締めたままでパソコンの画面とにらめっこを続けている。
 何だか目が麻痺してきていて、もうそれを『萌えるためのもの』として捉えられない自分がいる。飽くまでも、商品。そうだこれはお客様に出す商品なのだ。

「あー、ダメだ。どうしよ、擬音がいまいちそそらない……ぬぷっ、がいいかそれとも、じゅぽっ、がいいか。イヤ、じゅぽっ、は何とも品が無いわ。うーん、どうしたもんかしらね。この擬音にハートマーク付けるのも初めは新鮮味があったけど何度も使ってると流石に目が麻痺って見慣れて来たわね。それよりさあ、喘ぎ声ってのが本当に困るのよね、毎回同じの使いまわしてるしいい加減バレるか……あ、つうか攻の体位おかしくね!? これ」

 自分の原稿を、それもキワドイ絵を見つめながら奈々はしばらくブツブツと独り言を念仏のように繰り返していた。

「……よし!」

 やがて立ち上がると奈々は冷蔵庫の方へと向かった。

「まず一杯煽って、で、ちょっと酔っ払ってから進めようっと。酒入ると調子出るのよね〜これが」

 キンキンに冷やしたグラスを冷蔵庫から取り出して、で、お行儀悪く足で閉める。片手につまみとワインの瓶を持ち定位置へと戻って行く。

「さーて酒飲んでる間に最近見て無かったツイッターでも見て酒が周るのを待つか……原稿中はツイ禁してたけどやっぱり息抜きは大事よねー、もしかしたら公式から思わぬ燃料が投下されてるかもしれないし」

 うきうき気分でツイッターを開く奈々。まず過去のツイートから遡って読んでいく事にする。

 いやはや、フォロワーがフォロワーなだけあって実に卑猥な単語の飛び交うタイムライン……チンコだのケツの穴だのはもう日常茶飯事で、一般人が見たら大よそどっ引いてしまう事大請け合いだろう。

「あっはっは、しら子さんマジあらぶりすぎだってば〜! しら子さんの嫁キャラのパンチラがアニメで出たからって興奮しすぎっすよー! ついでにハトはぺろぺろばっかうるせえ! はいはいホモホモ……えっ、嘘、ラブプリのアニメ二期の噂はやっぱガチなの!? 実写はガセで?……おーっしゃきったぁ! 生きてて良かったぁ! おまけにキャラポスまで出るのかよぉ!? は、抱き枕!? おっぱいマウスパッド!? マジでマジで? え、え、しっかもキャラソンとかホントあたし搾取されまくりじゃん! っべー、まじ尊い!」

 奈々は太股をぺしーんと景気良く一度叩くともう一度ディスプレイを見つめ直す。

「二期製作決定の情報以降何かタイムラインがめっちゃすさまじい事になってんなぁオイ、みんな落ち着けって!……まああたしも騒ぐけど……」


――何かさっきから救急車とパトカーが走りまくっててうるさい。原稿集中できないなう/(^o^)\
――ねえ何か外やばくない?きのせい?
――うちの近所がガチでヤバイwwwwおいどうした俺の町wwwww
――? 何か窓の外でガタガタ音がするお。怖いお。またいつもやってくる猫かな?どうしよう覗きに行くべきかな。これ死亡フラグ?


 ぽつぽつと、タイムライン上にそんなつぶやきが目立ち始めるようになった。

 共通して皆言うのが『外がやかましい』とか、『ざわざわしている』……とか、何とか。 奈々は首を傾げながらグラスに注がれたワインをすすった。もう片手には、いつものお供の柿ピーが握られている。

――おい TLのみんな達。テレビ みろ
――は?これどう言う事?皆様の地域は大丈夫ですか!?
――やばい。やばいよ。何、これ。何が起きてるの?わけが分からないよ。きゅうべえじゃないよ。

 またまた、みんなして辻褄合わせが上手いんだから……なんてまだ初めのうちは余裕があった。奈々は酒も手伝ってか笑いすら混ぜながらそのつぶやきの数々を追った。端から見ればネット上ではよくある三文芝居のようだったし、一種のじゃれあいのようにも見えた。

――釣りだと思ったらガチだった。さよならみんな、アニラブ二期が見れないまま死ぬのが悔しいです
――どうせ、壮大な釣りなんでしょ?ねえ?そうだって言ってくれなきゃ泣いちゃう何この地獄外出るなよみんな
――やばい、妹が感染したかもしれない。身内からゾンビでるとか笑えないよね
――皆様に会えて嬉しかったです。このツイッターの事もラブプリクラスタさん達の事も全て忘れません。さようなら。
――皆さん、出来る限り外に出てはいけません。窓やドアは出来る限り塞ぎましょう!#拡散希望
――イヤだ!動いて喋ってるテレサを見るまで死にたくないのに!どうしよう?誰か嘘だって言ってよ〜(;Д;)ヴェーン

「……は? なん、なのコレ」

――まさか弟の言葉が本当だったって言うの?

 奈々は周りつつあったアルコールが一気にさあっと醒めて行くのを知った。時間帯が徐々に最新のものへと近づくたびに、何かが少しずつ崩れ去って行く。奈々はごくりと唾を飲んでから、マウスホイールを動かした。

――うひゃはやさだだdsふぃbjjむ
――もうだめぽ さっき、食料買いだめようと思って外出たらゾンビにくじられた 噛まれたら駄目なんだよね?くじられても平気なんでしょ?消毒すればへいきっすよね?ねえ・・・・・
――さよなら
――あーーーーーーーもーーーーーーーーーあたまおかしくなりそうだーーーーーーぐるぐるぽ
――ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひいいひ
――みんなもこっちおいでよあああああああggぎひw

 思わず奈々はデスクを叩いて立ち上がった。

「何なのよ、一体何!? これ……これって……ど、どうせ馬鹿にしてるんでしょ……?」

 それは憤りから出た言葉と言うよりはもはや懇願に近い叫びであった。どうか、そうであってほしい。みんなで私を驚かそうとしてるだけなんだコレは……、奈々は震える手でチャンネルを探す。

 見つけると、急いで背後にあったテレビをつけた。チャンネルを回した。緊急ニュース、緊迫したアナウンサーの状況説明、映し出されるこの日本のどこかの悪夢のような光景。某テレビ局だけがアニメを放送していて相変わらずなのを除いて、やはりコレは現実の出来事なのだ――奈々はその場にぺたんと力無く座り込んだ。

「ウソ……よね?」



「もしもし? ねーちゃん、おーい」
「電波悪いのか?」
「いや、姉ちゃんに切られた……」

 ヤブが通話の途切れた携帯電話を見つめながら呟いた。

「大丈夫なのか?」
「まぁ……姉ちゃんの事だから多分、大丈夫だとは……家から一歩も出ないだろうし、あろう事か高層マンションのほぼてっぺんに住んでるし……」
「それでもやっぱり心配だろ」

 ヤブが頷くが、もはや無事を祈るよりほかないといった様子で小さく笑って見せた。

「大丈夫……」

 それを聞いてミイが察するように、ヤブの肩を叩いてやる。

「なぁ、転校生よ」

 石丸がヒロシに向かって問い掛ける。
「何もこんな物騒な武器抱えなくても、ゾンビなんてとろいもんだしひたすら逃げ回ってる、ってーのはダメなの?」

 限りなく求める回答からはかけ離れた答えが返ってくるに違いない。そうは分かっていたのだが、念の為に石丸は胸の内に僅かにだけあった疑問を問い掛けてみる。

「ゾンビが鈍い奴ばかりだとは思わない事ですね」

 そんな薄っぺらい希望も打ち砕くが如く、ヒロシは憮然と言い放つだけなのだった。

「……やっぱそうなの」
「ええ。君も校門前で見たでしょう、走るゾンビやら武器を持ったゾンビ。生前の能力や記憶も影響しているのかもしれませんが、厄介な個体もいるんですよ」
「そっかぁ……やるしかねえのか」

 石丸がやるせなさそうに頭を掻いた。

「まぁ降りるって言うんなら止めませんよ」
「だ、誰も降りるなんて言ってねえだろ〜」

 口ではそう言うもの、やはりまだ迷いがあるのには違いない。石丸はがっくりと頭を項垂れている。ヒロシはそれを一瞥するとその横を通り過ぎてまた武器の物色を始めた。

 武器庫にてヒロシは武器の見定めをしていた。父の趣味なのか何なのか、こうして見渡すと集められた武器には結構偏りがある事に今、ふっと気付いた。

「坊ちゃま、体調などお変わりはございませんか?」

 上品な口調でそう言ってアーサーは一つ頭を下げる。

「突然のようにこんな事になってしまいましたからね」
「……平気さ、アーサー。常日頃からこうなる事を予測しながら過ごしていたから覚悟は出来ていた」

 それを聞いてアーサーもどこか安堵したように微笑んで見せた。

「さようですか。これはいらぬ心配を致しました……」
「いいや。実を言うと僕だって百パーセント冷静かと言われたらそうじゃないよ。死体とは言え、人を銃で殺すのは初めてだったからね」

 話しながらヒロシは先程の銃撃戦を思い出しているのか自分の手のひらをじっと見つめている。何を思うのかヒロシはそこでため息をついて見せた。

「坊ちゃま、このような時に少々差し出がましいのですが……」
「?」

 アーサーがそう言いながら銀色のアタッシュケースを取り出した。手短にあったテーブルの上にそれを置くとアーサーは開口部に手をやって中を開いて見せる。

「お誕生日おめでとうございます。お父様から頂いた資金でプレゼントをご用意させていただきました」
「……AKだ」

 贈られたのは彼の手にはやや余る自動小銃――アサルトライフルであった。

「厚かましいとは思いながらもわたくしめの好みで選ばせて頂きました、やはり安価ではありますが耐久性・威力・総合性において信頼性のおけるライフルはこれではないかと」
「その通りだよ……ありがとう、アーサー」

 ヒロシはライフルを構えてみながらアーサーに一つ礼を言った。

「いいえ。それと、これは爺からの選別です」
「?」
 そう言いながら更に差し出されたのは包装紙に包まれた長方形の箱。リボンの施されたそれは一見すると本当に只のプレゼントの様な見た目だ。大きさから察するに、まさかこの中にナイフとか拳銃の弾なんぞが入っているのだろうか。

「あ、開けてもいいかい?」

 ええ、とアーサーが微笑を浮かべる。リボンをほどいてからヒロシは丁寧に包まれた包装紙を解いて行く。現れた箱を開けてみれば、上質そうなネクタイがそこにはあった。

「……お気に召しませんでしたか?」
「い……いや、そうじゃなくて……その、これは、僕に?」

 あまりにも普通の……というかこれが普通なのだが、いつもとは違う贈り物にヒロシは素直に驚きを隠せなかったのだ。思わず目を丸くしながらアーサーを見つめ返した。

「これって、普通のネクタイ?」
「ええ。そうですが」
「武器では無くて……その、普通のプレゼントか?」

 ヒロシの問いかけにアーサーもさすがに込み上げて来る笑いを抑えきれなかったらしい、ふっと息を漏らして笑いつつアーサーは優しく頷くのであった。

「ええ。そうですよ。この決着が着いたら、坊ちゃまには普通の生活を送ってもらうのですから必要になってきますよね」
「それはまぁ……そうかもしれないが。す、すまない、驚いてしまってつい……」

 そう言ってヒロシは冷静さを取り戻すように咳払いを一つした。

「ありがとう。大切にする。……生きて戻って、必ずこれを使う」
「――坊ちゃまは本当に良い子に育たれましたな」

 え? とヒロシが聞き返す間もなくアーサーは瞳にうっすらと浮かんだ涙を指の先で拭っているので驚いた。深く皺の刻まれた目元を、透明の涙の粒が滑り落ちる。

「すみません。坊ちゃまが小さな頃からまるで我が子のように見守ってきた身としては、坊ちゃまの成長が何よりも嬉しく……ううっ」
「あ、アーサー……泣かないでくれよ」

 そう言って慰めるのが精いっぱいで、ヒロシはアーサーの肩に手を置きながら彼が泣きやむのを待った。

「失礼を……、とにかくこのアーサー、こうやって坊ちゃまが歳を重ねる瞬間を祝えるのが何よりも幸せなのです」
「……ふふ、僕だってそうだよアーサー。これからも僕の近くで……毎年のように祝って欲しい」
「坊ちゃま……」

 ヒロシが照れ臭そうにそう言って笑うと、アーサーも落ち着きを取り戻して来たのか鼻を啜りながらまたいつものように姿勢を正してから一つ会釈する。

「有難うございます。……それでは、わたくしは少し調べ物をしてきますがゆえ失礼を。坊ちゃまもあまり無理はせぬよう。ここもいつまで持つかは分かりませんが、いつでもここへ戻って来て良いのですからね」
「ああ。有難う。いつも僕の事ばかり第一に考えてくれて、嬉しいよ」

 やはりまだはにかんだ調子でヒロシがそう伝える。こういう表情なんかはその年の子どもらしいというか素直なのだが……アーサーはそんな風に思いながらも、ヒロシからの素直なその言葉に彼もまたはにかむような調子で笑うのであった。



 アーサーがいなくなってからも、ヒロシは武器を広げてみてはこれからの戦いに必要そして有効な手段となるものがどれなのかを考えていた。テーブルの上にずらりと並べながらヒロシは手始めにバタフライナイフを持ち上げると折りたたまれているブレードを振り出した。手首にもうナイフアクションの動きがしっかり染みついているせいで、ヒロシはほとんど無意識のうちにリストスピンの要領でナイフを手の中で踊らせる。

 そうしてから最後に柄の部分をしっかりと掴んで中心に捉えれば、過去に受けて来たトレーニングの数々を思い出した。

「ひゅう〜、お見事。カックイイねえー」

 自分が武器に夢中になっていたせいだからなのか、それとも気配を隠していたのか……ヒロシは驚いて声のした方を見る。ノラが相変わらずへらへらした笑顔で、今からとても戦場――は大袈裟かもしれないが命を賭けた場所へ赴くとは思えない程に余裕に満ちた様子で立っている。拍手を送りながらノラが近づいてくる。

「……また貴方ですか」

 ふうっとため息をついて見せ、ヒロシがナイフをそっと置いた。そうしてから驚いてしまった事は隠すようにして、ヒロシがくいっと眼鏡を一つ指の先で持ち上げる。無表情を装いながらヒロシは銃火器の品定めを続ける。

「飽きませんか、そうやって僕の事ばかり追いまわして」
「あれれ、つれないな。さっきは俺の事気になるなんてかわいー事言ってくれたのに。ファンシーさがない!」
「……僕に近づく本当の目的は何なんでしょうか」

 さも興味が無い様な口ぶりをしながらもヒロシの意識は武器の方へと注がれていた。万が一の事を想定しておいて、一番素早く手にできて、且つリスクが少ないそのナイフをヒロシは視線の端に収めておく。

 ノラはよっこいせ、と気の抜けるような声を出しながらヒロシの隣にまでやって来てテーブルの上に腰掛ける。座りながらヒロシを見上げる格好でノラがやはり緊張感に欠ける声で言うのだった。

「本当の目的? えー、そんなの無いよ〜、只君ともっと仲良くなりたいからに決まってるじゃない。ね、ヒロシちゃん。あ、でも下心みたいのはあるかも。何ちゃってね」
「仲良く? どうして」
「俺、基本的にキツイ顔が好きなんだよねー。ほら、俺の顔がへらへらってしてるから」

 またもや本音とも嘘ともつかない曖昧な返答で、ノラは自分の顔を指差しつつにっこりと笑った。釈然としないと言った様子でヒロシが眉を寄せる。

「……おっと、ヒロシちゃん、そのナイフを手に取るのだけは止めてね」
「……」

 何故それが読まれたのかヒロシにはさっぱり分からなかったがヒロシはすぐにノラの方に視線を落とす。
「ナイフで俺を切りつける気だったでしょ?」
「――返答次第では」
「やだなぁ。キリストも言ってるでしょう、剣を取る者は剣によって滅ぶって」
「……」

 ヒロシは黙ってノラを睨んでいたがノラはそんな事もお構いなしに人の良さそうな……ヒロシにとっては、腹の底の知れない笑顔を浮かべている。


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