ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 02-5.5分前までは人間だった

 それからもミイは無理やり立たせようとするが、間宮はすっかり腰が砕けてしまって立ち上がる事すら出来ないらしい。少しばかり持ち上がった身体も、またすぐにぺたんと尻餅を突いてしまった。

「もう行ってくれ。お願いだ、頼むからさ」

 懇願するように泣き顔の間宮が呟いた。迫るゾンビ達の影に、ミイはいよいよ選択を迫られた。バースデーカードの入っているのであろう、その封筒を……ほとんど無意識のうちに手に取った。ミイはその瞬間、何だかわけのわからない事を叫びながら走りだしたような気もする。

――クソ! 結局、結局誰一人として救えやしないじゃないか……!

 同時に色んな出来事が脳裏によぎった。自分を逃がすために命を落とした剣道部の部長や名前も知らない女の子の事、あの時自分じゃ無くてヒロシを選んだユウの事、中学時代の大会、トイレですれ違ったヒロシの事。あの時の冷え切ったヒロシの目……到底自分には出来ない目つきだった。それでいて自分はそれを見て心底震えあがった。

――何て俺は弱虫なんだ……

 そこから随分と走って来てから、ミイは息を切らしつつ背後を振り返った。誰もいなかった。もう間宮達の姿も見えないところにまで走り抜けて来たのだ。――ミイは片手に握りしめられたその封筒を見つめた。握りしめた。

「――畜生がっ……」

 忌々しそうに吐き捨てて、ミイはその封筒を一度口に咥え、横手にあった校長室へと飛び込んだ。一か八かの賭けに出るしかない――確かここの校長、骨董品が好きで校長室に本物の日本刀を飾ってあった記憶がある。

 それが記憶違いで無い事と、まだ飾られている事を祈りつつ視線を動かすと、――ガラスケースに入った日本刀が飾られていた。果たしてこれが噂されるような真剣なのか、やはり噂に過ぎずレプリカなのか気にしている暇すら無かった。ミイは傍にあったトロフィーでケースを叩き割ると、その刀を手にした。残された選択は一つ……それだけだった。

――戦え……!

 自分のものでは無い、別の誰かの声がした様な気がした。その声に奮い立たされるようにミイは刀を鞘から引き抜く。校長室から抜けると先程の二体と、既にゾンビ化した間宮が調子っぱずれな鼻歌を口ずさみながらこちらへ向かってよろよろと近づいてきている。

 ミイは一呼吸すると刀を上段に構える。左利きだろうが剣道ではまず右足から踏み込むのが基本だが――、何せ相手の手の内が読めないのでは下手な事が出来ない。噛み付かれれば、すなわち全ての終わりを意味するぞ……この相手、どう戦う? どうすればいいんだ? ミイの額に、じっとりと脂汗が滲む。右耳のやや横で構えられた刀身が陽の光を反射させるのが分かった。

――考えているのも勿体ない、か……ミイは息を呑むと、勢いよく距離を詰めまずは一体目のゾンビ捉える。狙うのは頭部のみだ、だがその太刀を止めるのはバットを構えた間宮だった。ミイの初太刀は完全にバットの腹で受け止められている。

「くっ……」

 音程も歌詞もめちゃくちゃな鼻歌を口ずさみながら、ゾンビが笑う。ミイは刀を一度引く。素早く後退するとミイは刀を逆手に持ち直した。

「グボボボボ、うえっ」

 体制を立て直す隙すら与えてはくれず右のゾンビが両手を大きく広げて襲いかかってくる。食らいつこう、というのはすぐに分かった。

「クソ、ふざけっ……」

 叫ぶより早く、身体が勝手に行動していた。ミイは飛びかかってきたゾンビの肩に手を掛けるとそのまま背面跳びを決める。着地にやや失敗したが今まで体育の授業で飛んだどんな背面跳びよりも決まっていた、と思いたい。きっとそれは陸上部のユウより遙かに華麗に飛べていた筈だろう……ミイはゾンビ達の背後に着地すると刀を構え直してすぐに見上げた。

――マジかよ。こんな事できたの!? 仕事しすぎだろ俺……

 ゾンビが振り返る。しかしながらゾンビは楽しそうにへらへらとしている、何とも幸せそうな笑顔を浮かべながら……ミイはそれでも何とか立ち上がると三体を見据える。

「ゆぅうたかな、ここーろー、かわのーせせらぎー、ほにゃららー」

 よく耳を澄ましてみて分かったが、どうやらそれは校歌のようだった。口ずさみながら、まず向かって右端の奴が先程と同じように両手を広げて飛びかかってくる。ミイは、今度は余裕を持たせて右へ飛んで交わすと、頭部を狙って刀身を振り下ろした。軽く撫でるだけでは死なない、頭を潰さなくては、脳を潰さなくては――渾身の力をこめて、ミイは一撃を叩きこんだ。

「……う、うぶっ」

 軽く吐きそうになってしまった。確かな肉の感触と骨の断ち切れる生々しい手触りが刃を通して伝わってくる。勢いよく切れた首がゴトンと落ちた。

「ごめんな……ごめんな、くそおっ――」

 とめどなく溢れてくる苦い涙に、泣きながらミイは誰に言うでもなく謝っていた。

 だがここで攻撃の手を止める事は許されない。自分が生き残るためにはこうするしか無い、これ以上犠牲を増やさないためにもこうするしか――無力な自分を憎んだ。次いでミイは振り向きざまにまずは目に入った郷田の右足を切り落としてから無力化させる。倒れ込んだ郷田の後頭部に突き立てると動かなくなったのを確認して日本刀を抜いた。

 残る一体、間宮との交戦でミイは一度身を沈め、抜刀の構えをとる。ここまで来て諦めた訳では無い、最後の勝負に出るだけだった。ミイは目を閉じると全ての神経を研ぎ澄まし、集中させる。

「この一撃で決めてやる……っ」

 ミイが出せるありったけの力を全て刀へと注ぎこむ――、切り込むのとほぼ同時に間宮のへらへらとした表情がこれまでとは一変して生前のそれとほぼ等しいものに切り替わった。



「弟の事……、頼むよ」
「っ……!?」


 躊躇したようにミイの手が一瞬だけ止まる……途端、乾いた銃声が一つして間宮の頭がパンッと弾け飛んだ。

「……は……、」
「ミイ!」

 それでミイが夢から覚めたように、辺りを見渡した。

「ミイ! ミイ!! ごめんよごめんよ、俺がクソチキンなヘタレな童貞だから、俺お前の事見捨てて自分の保身に走っちゃったよ、ごめん、ごめんよおおおお」

 聞き慣れたユウの声がしたかと思うとユウがしがみついてくる。

「――ユウ……お前……」
「あぁあミイ! やっぱりミイだ、生きてた! ミイの匂いがする! すんすん……くんかくんか」
「よ、よせよ……っ、ていうか……!?」

 妙なスキンシップを取ってくるユウを引き剥がし、それから遅れて歩いてくるヒロシに目が行った。続けざま、見慣れたノラや石丸やヤブの姿にミイは驚きが隠せない。

「お前ら……何で?」

 思わず感嘆の声を漏らすミイに、皆が苦笑混じりに顔を見合わせたのだった。

「ま、ちょっと色々あってね〜……」

 ノラが相変わらず状況を把握しているのかいないのかへらへらした調子で言うと、ヒロシが辺りを見渡して感心したような声を上げた。

「まさかその刀一つでこれを……? 刃物一本でここまでやれるとは大したものですね」
「おい、転校生。今お前が撃ったの……」
「……何ですか? また友達だったとか先輩だったとか言って因縁をつける気でしょうか?」
「違う。……俺が切ろうとした寸前、それまで完全にゾンビだったのに一瞬だけ正気に戻ってはっきりと喋ったんだ」
「……正気に……? そんな事ある筈無いでしょう。大方、混乱して幻でも見ましたか」

 相変わらずヒロシの言い方は厭味ったらしくてカチンと来るが――まぁ確かに見間違いだったとも言えなくはない。ミイはふっ、とため息を吐いて特に何か言い返すような事はせずに大人な対応をしろ、と自分自身に強いたのだった。

「ですが……」

 ヒロシが呟いた。

「もしそれが本当だとしたら厄介かもしれませんね。声色を使う様な、亜種のゾンビがいると言う事なのか」
「……」
「さて。お友達に会えたんだからもういいでしょう。校門まで送り届けたら、今度こそお別れです」
「うん……ありがとう、ヒロシくん」

 ユウが笑いながらヒロシの前にひょいと顔を出した。

「ここまでヒロシくんがいなかったら、俺の事だからとっくに死んでたかもしれない」
「……」
「――ありがとう」

 ユウが照れたようにもう一度笑うと一度その手を拭いてから握手を求めてその手を差し出した。ヒロシはどこか警戒するように、その手をまじまじと見つめてから言った。

「何です、それ?」
「握手。うーん感謝の握手、かなぁ」
「――ふん」

 だが、ヒロシはあっさりとその手をはねのけてしまうとプイっとそっぽを向くのだった。

「そういう安っぽい馴れ合いってねぇ、嫌いなんですよ。生憎ですけど。友達ごっこがやりたいのなら別の方を巻き込んでください」

 つっけんどんにヒロシにそう返されてしまった。ユウは少しだけ寂しそうにはねつけられた手を見つめた……。

「……やっぱ俺アイツ嫌いだわ……畜生、アイツが武器持ってなかったら思いっきりぶん殴りてえぞ」

 石丸がぶるぶると握り拳を作ったままで震えているのを、慌ててヤブがなだめに入った。こうやってすぐにプツン、となる石丸をまあまあとやるのは大体ヤブの仕事らしい。

「――何なら素手でやりあっても僕は一向に構いませんけど? ま、仮に僕が素手でも貴方には勝ち目は無いと思いますがね」
「ンだとてめえ、眼鏡叩き割るぞ」
「どうぞ。……家にいくらでもあるんで好きなだけ割ってください」
「おっ、おま……お前、屋上! 屋上に来い!!」

 今度はユウとヤブから二人がかりで止められながら、石丸がぎゃいぎゃいと叫んだ。

「んふー。ヒロシちゃんってば素直じゃないねえ。口の端が緩んでるよ〜」

 そこでまたノラがひょいっと顔を出して、ヒロシの肩に抱き付いた。人差し指でヒロシの頬をツンツンしながらノラがにやにやと顔を覗きこむ。

「なっ……」
「あんれっ、図星? 耳赤いよ〜? どうしちゃったの〜。ファンシーだねこりゃ」
「……黙れ、それ以上馬鹿みたいな事をのたまうようなら殺すぞ」
「おおー、怖い。違うなら違う、の一言でいいじゃない? そんなムキになんなくてもさ!」

 ノラが両手を上げてホールドアップのポーズを決めてへらへらとした調子で笑った。

「……ちっ」

 どうもノラ相手には得意の仏頂面では効果が無いのがやりにくい。ヒロシはホルスターにさっさと銃をしまうと、これ以上相手するものかと無視を決め込みつかつかと歩き出した。

「あ、待ってよヒロシちゃーん」

 そうしてその後を懲りずに追いかけるのはノラである。

「ミイ? どうしたの、行こうよ……」
「え? ああ、うん――」

 ユウに言われるがそれでもミイは先程の事が気にかかって仕方無かった。ズボンにしまってある例のバースデーカードにそっと手をやると、ミイはその場に転がる三人の亡骸を改めて見つめた。

 少しだけ冷静さを取り戻すと、濃厚な血の香りが周囲を包み込んでいるのが分かった――そう、それは……死体だ。動く事もなければもう立ち上がる事もない、魂を失った器。当たり前の事だけど、これまで同じ校舎の中で共に生活してきていたのであろう、だけども今日初めて出会い、初めて会話をした。……そんな人間達の死体だった。

 急速に自分の中で、やるせなさと情けなさと、それからどうしようもない倦怠感がこみ上げるのが分かった。

――ごめん……

 ミイは心の中で微かに謝罪の言葉を述べてから、ユウ達と歩き出すのだった。

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