▼ 02-4.5分前までは人間だった
一方で、渦中のミイはユウ達と離れてから学校で生存者たちを探して動いていた。一人でも多くの生存者を捜して脱出する――さっきヒロシが吐き捨てたような多少の犠牲はやむを得ない、なんて考えはまっぴらごめんだった。
あの目、あの言い方――ぞっとするような冷たさを孕んでいた。ミイは昔、試合会場で遭遇した時のヒロシの事を思い出しながら足を進めていた。あんな風になんか、絶対になりたくない。俺は、俺としての正義を全うしてやる……こんな状況だろうと、俺は人間の尊厳に縋りついてやる。
「ほ、本当だって。か、噛まれた瞬間避けたんだ。だから感染はしてない!」
「馬鹿言うな! じゃあその傷跡は何だよ!」
「こ、これはその……あ、噛まれたんじゃなくて、えっと……そうそう、あいつよく見たら歯が無くて! そうだそうだ歯が無かったんだよだからきっと感染しないパターンなんだよ! うん違いねぇや!」
「……? どうしたんだ、おい」
階段を上がる途中、言い争う声を聞きつけてミイが早速近づいてみる。男子生徒が三人、うち一人は腕を負傷したのかシャツを赤く染め上げながらその場にぺたりと座り込んでいる。
「あ、アンタも生存者か!?」
切羽詰ったようなその声に、ミイがこくんと一つ頷いた。
「……こ、こいつさっき襲われたんだよ、ゾンビに。食われる前に命からがら逃げ出したけれど腕を噛まれちまって」
「は、歯が無かったんだってあれは!」
「……噛まれたら感染のパターンだろ? だからこいつとはここで別れた方がいいって……」
「だからさぁああ! 俺は平気だってぇええ! ほら、ほら、全然ピンピンしてるだろ! なっ、なっなァ」
もうほとんど半泣き状態で、男子生徒は切実に訴えている。
「それにか、か、噛まれただけで感染ってまだ正式な発表も無いじゃん!? 噛まれて、死んでから初めてゾンビとして起き上がるんじゃないの? そーだ、うん、絶対そうだ!」
「い、いやでもこんなに爆発的にゾンビが増えてるんだぜ?」
「――やっぱりここで別れよう。その方が……」
「嫌だ! 俺を一人にしないでくれよ、頼むよぉ」
いよいよ男子生徒は泣きだしてしまった。そりゃそうだ……こんな場所で置き去りにされてしまって、後は只ゾンビになるまでのカウントダウンを刻むだけなんて誰だって嫌に違いない。少しでも希望があるならここを脱出してそれに縋りたい。それで出来る事なら両親や家族、友達、あるいは恋人やペットの顔をせめて一目見たいだろう――ミイはぎゅっと唇を噛み締めた。
「お前が食い下がらないんなら俺はお前の頭をここで潰すぞ、いきなりゾンビ化して背後から襲われたんじゃたまったもんじゃねえし」
「ひっ……」
「いや、その必要はないよ」
ミイがバットを振り上げた生徒の手をぐっと掴んだ。
「だ、大丈夫……そんな事、する必要無いんだ……さっき運良く、す、スマホがネットに繋がった時見た情報がある……そいつの言う通り、噛まれた状態のまま息絶えるとゾンビ化が始まるそうなんだ」
「ほ、ほんとか、それ……?」
それは勿論、今しがたミイがでっちあげた出鱈目であった。
「ああ。だからここに置き去りにしておくほうが危険だ、だから早く脱出して治療しよう。俺も手伝うから!」
ミイが力強く頷きながら言えば、男子生徒達も訝るような眼差しを向けつつ……最後には納得してくれたらしい。まだ半信半疑、といった具合にも見えたが彼はバットを下げた。
「わ、分かった――俺だって殺したくなんかねぇ。……よし、郷田。肩を貸せ」
「ありがとう間宮、ありがとう……」
「いや、俺がおぶってくよ」
傷を負った生徒の名は郷田、というらしい。ミイが間宮という生徒に代わり彼をおぶると立ち上がった。とにかくこうもしていられない、一刻も早く脱出しなくては――ミイが郷田を背負い、準備が整うなり合図して一同が走り出した。
「きゃああああああっ」
ガラスの割れる音と共に辺りを劈くっような甲高い悲鳴が聞こえる。割れたガラスと共に飛び出して来たのはまた別の生徒の無残な姿だった。もう手遅れだろう、とはその状態を見て分かった。腸がはみ出た状態で、その男子生徒はおかしな体勢で痙攣していた。
「くそっ! ダメだ、別の道を行こう!」
ミイが来た道を引き返すよう、指示をする。別の道と言っても残されている道はもうほとんどと言っていいくらいに限られている……あれこれ考えながら夢中で走っていると背後の郷田が何やらぶつぶつと言い始めた。
「なあ、何か……何か、身体が浮くんだよ……寒い……寒い……」
「は……? 何を言ってるんだ」
「わ、わかんねえ? こう、あたまがふわーって。高熱がある時ってさ……身体の節々痛くて頭ぼけーっとすんじゃん、あれ、あれだよ」
「ご・郷田、お前大丈夫か……?」
「嫌だ……嫌だ。怖い……怖いよぉ……俺はまだ……まだ死にたくない……死にたくないのに」
そう言って郷田は、ぶるぶると震え出した。思わずミイが足を止め、振り返るなりに彼をその場に降ろした。見れば彼の顔は血の気を失い真っ青になっており、震えているというよりは痙攣しており、口から白い泡を大量に吹きながらその動作を繰り返していた。
「こ、これは……」
「や、やっぱりこいつ感染してんじゃねえかよ!?」
「お、おれ、おれを、ひ、一人にしないでくで……うぐひゅ」
完全にラリった声色と表情のまま、郷田が夢遊病のようにふらふらとした足取りで立ち上がり始めた。
「くそ、まだ何か……何か救える方法が――」
ミイが眉間に皺をよせながら、険しい表情で呻いた。そして、その横を掻い潜り飛び出す影があった。間宮と呼ばれた生徒だ。彼の手にはバットが握られている。
「おい、お前……」
止めるより早く間宮がバットをフルスイングする。見事なクリーンヒット音と共に郷田の身体が吹っ飛んでいく。
「馬鹿野郎、何やってんだ!」
ミイが間宮を背後から止める。
「離せよぉおおっ!……頭潰しとかねえとこいつ襲いかかってくんぞ!?」
「さ、最後まで諦めるなよ……っまだ分からないだろ? まだ……ッ」
そんな願いも虚しく打ち砕くが如く、ケタケタと笑う声がしたかと思うと吹っ飛んで突
っ伏していた郷田の身体がむっくりと起き上がった。
「た、タケオ、あぶねえ……」
ぼさっとしていたもう一人の男子生徒に齧りついたかと思うと郷田が彼の身体を押し倒し、そして食い荒らし始めた。人のものとは思えないほどの腕力で、郷田は彼の腹を引き裂いたかと思うと、生々しい色をした内臓とそれから大腸をズルズルと引っ張り出した。
そこまでがあっという間の出来事で、郷田は次にそれらの臓器を無心で頬張り始めた。手始めに大腸に齧りついてがつがつとそれを食したのだった。
「ああああ……うああああ……何て事だ……」
「くそ!……行くぞ!」
ミイが茫然と立ち尽くす間宮の腕を引いて走り出した。
「あああ・あれ、あれ、全部お前のせいだぞ!……お前が、お前がぁあ……」
今のミイにはその言葉が痛切に突き刺さった。先程、ヒロシに言われた言葉達をはっきりと思い出していた。……犠牲者なんか出したくない、一人でもいいから誰かを救いたい、なんてのは幻想でしかないのか。こんな時でも自分の正義を貫こうなんて、アホのやる選択なのか。ユウが自分よりあっちを選んだ理由も、今ならよく分かる気がした。だけど――ミイは砂を噛むような思いで必死に駆け抜けた。
「お、俺はもう……もうダメ、走れない」
「馬鹿野郎、何言ってるんだ! じゃあおぶってやるから、ほら……ッ」
「いいんだ、もうアンタにこれ以上迷惑かけたくない……」
悲しげに呟く声と共に、間宮はその場に座り込み動こうともしなくなってしまった。
「……ありがとよ。さっき罵っちまったけどアンタ、本当にいい奴だな。……俺には分かるよ」
「これで終わりみたいな言い方するなよ! 行こう、すぐに出られるんだ!」
それでもその腕を掴んで何とか立たせようとするミイに、間宮はふっと笑った。
「――あんたみたいな人間に会ったのは初めてだ。なあ、これ預けてもいいか?」
「……?」
間宮は言いながらポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出した。
「な、何だよそれ……」
「実はさ、今日弟の誕生日だったんだぜ――中にバースデーカードが入ってる。俺の代わりに渡してほしいんだけど……」
茫然としたままミイはそれを受け取ったが、すぐにはっとなったように突き返した。叫んだ。
「ふざけんな、そんなのはちゃんと自分で渡せよ!……だから……だから立て、よ……」
「間宮スグルっていう小学校一年生さ。そこの聖都病院に入院してる。あぁ、今度、一緒に釣り行く約束してたのに行けなくてごめんなって……」
「なら尚更……ッ!」
「もう苦しくて足が痛くて走れないよ、逃げ切る自信が無いんだ。……多分俺には無理なんだ……」
そんな間宮の背後に迫るのは――そう、先程の友人二人の影だった。間宮はそれを知っていて、こんな自暴自棄になっているのか。ミイはとにかく説得を続けたかった。
「……友達を殺そうとした罰だ」
虚ろな目をさせたままの間宮が、そんな風にぽつりと呟いた。
ミイのやる事って大体が空回りだったり
裏目に出てたりで、
正義感が強くともそれが実を結ばないという
この虚しさを考えるとあながちミイの気持ちも
無碍にはできなくなってくるんだな。
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